同窓会というものがある。まず、出席しない。わたしは教員の経験が十七年間あるが、そっちの方の同窓会もいかない。
つき合うときには真剣につき合うけれど、なにかのしがらみで、表向きを繕うのは嫌なのである。
縁は異なもの味なものでいきたい。
講演先に教え子が訪ねてくることがある。
「先生。わたし誰だかわかる?」
○○さんやろ、うわっ覚えてくれていたァ、というふうなことになって、しばし話がはずむ。
ユリちゃんが訪ねてきてくれた。『マコチン』という童話に登場させた子だ。
もちろん、もう「子」じゃなくて、愛らしい我が子を抱いた輝くばかりのみずみずしいお母さんである。
その日、彼女の家に寄り、彼女のつれあいもいっしょになって一杯やった。彼女は突然いった。
「先生、わたしといっしょにお風呂《ふろ》に入ったこと、覚えてる?」
一瞬、ぎょっとする。クリントン大統領の心境? 覚えはないんだけど……。
彼女が小学二年生のとき、彼女の家へ遊びにいき親にすすめられるまま、いっしょに風呂に入ったというのだ。
図々《ずうずう》しい教師だったんだなあ、というと、つれあいはにやにや笑っていった。
「わたしより先に、男がいたとは……」
歌手のもんたよしのりさんには絵を教えた。
雑誌で対談したとき、彼はいった。
「作文を書かせにきて、作文書かせんと、絵を描かせたんや。オレがアウトサイダーになったんは、灰谷先生のせいやでェ」
よくいうよ、とわたしはいったが、どこかはみ出し気味の人生を選んだところは、根のところになにか共通のものがあったのかしら。
落合恵子さんとアメリカ講演旅行をした折も、つぎつぎ教え子が訪ねてきて、わたしは目を丸くしてしまった。
ニューヨーク、シカゴ、カナダのトロント、サンフランシスコと四カ所回ったのだが、四カ所とも教え子が顔を見せたのだ。
最後の日、落合さんが
「ハイタニさん、パーフェクトなるか」
と、いったが、ほんとにそうなった。
「先生、わたしわかる?」
「君、ナガイさんやろ」
わたしは彼女の顔をまじまじ眺めた。独立して旅行代理店を経営しているとのこと。
「なんとまあ、君がなあ……」
とわたしは差別発言をした。
「お母さんの後ろにかくれて、小さな声でしかものをいえん子やったんやで。あんたは」
「そう、先生に迷惑かけたでしょ」
迷惑をかけられた覚えはないけれど、人一倍恥ずかしがり屋さんで目でものをいう子だった。
一度結び合ったいのちは、どこかで、いつまでもつながっているのやなあ、とわたしはしみじみ思った。