東京の仕事が長引き、やっと島へ戻ることができた。ほっとする。
夕方、ランニングをしていると、クノ君と伴侶《はんりよ》の千晴さんが、稲刈りをしている(島は二期作)姿を見つけた。
「食べものを生産すること、料理することは、ぼくの表現なんです」といった、あの青年久野裕一さんだ。
もう、しっかり島の生活に溶けこんでいる。
おーいと手を振ったが、先方は気づかない。そうか、稲作までやっていたのか、と感心し、安心もする。
この八月、毎日のように野菜を運んでもらって、おかげで、わたしはみずみずしい葉菜《ようさい》類を堪能《たんのう》した。
夏の盛りに、葉菜をつくるのは大変なのである。その中にエンサイがあったので、クノ君、なかなかやるな、と思った。地の言葉でエンサイのことをウンチェバーという。
中国野菜の一種で、もともとは水草である。先年、ベトナムのフエで、お城の堀を利用して栽培しているのを見た。
渡嘉敷島の畑は、水はけの悪い所が多い。ふつうは悪条件になるのに、それを逆手にとってウンチェバーをつくっていたのだ。
わたしは前々から、島の、野菜の自給率の悪さを、なんとかできないものかと思っていた。外から運ぶと値段も高い。
クノ君も同じ思いだったのだろう。
夏に、小松菜、チンゲンサイ、モロヘイヤ、エンサイなどをつくって、島の家々へ配り、たいへん喜ばれた。
それはそうだろう。夏場に野菜といえば、せいぜいゴーヤー(にがうり)くらいしかなかったのだから。
「あの青年はたいしたものだ」
「あの二人は筋が入っている」
そんな声を、わたしは何度も耳にした。自分のことのようにうれしかった。
わたしはクノ君の家へ寄った。家は民家を借りたもので、よほどの信頼がないと、それはできない。
「どう? うまくいってるみたいだね」
駄目ですよ、と彼は言下にいった。
継続供給が果たされなければ……と、クノ君はいうのだ。
うーんと、わたしは唸《うな》る。
十月四日、渡嘉敷島に五百ミリという記録的な大雨が降った。
田畑は冠水し、農作物は壊滅状態になった。
「そうか」
わたしは呟《つぶや》いた。
わたしのノー天気な質問に、クノ君は怒りもしないで、あれこれ話してくれた。
ニワトリが卵を産む率も半分に落ち、ジャガイモは大半、土の中で腐るだろうという。
横で千晴さんが微笑みながら、その話をきいている。
話が一段落したところで、彼女はいった。
「でも、これ以上は悪くはならないでしょうから」
うーんと、わたしはまた唸った。すごいな、この根性。