鉄三と小谷先生はさきほどから、三つのビーカーをにらみつづけている。ふたりとも、ひどくしんけんな顔をしている。「ハエの研究」をすすめてから、はじめて鉄三と小谷先生の意見がくいちがったのだ。
鉄三の「ハエの研究」はだいぶすすんでいた。ずっと前からいろいろなハエをあつめて飼っていたのだから、ハエの種類と分類はすでにすませていることになる。鉄三のかいたたくさんのハエの絵が、その仕事にあたる。「ハエのたべもの」から研究をはじめて「ハエの一生」にとりかかり、それから、産卵の研究をした。これは同時に、ハエの発生場所を知ることにもなって、なかなか貴重な研究資料である。
ハエのたべものは鉄三の飼っているすべての種類で実験をして、一つ一つのハエのたべものの好みを表にしてある。クロバエやキンバエ、ニクバエなどは動物質のたべものを好み、イエバエは植物質を好むようである。鉄三の作ったこの表の中から、おもしろい事実を一つ二つひろってみると、ニクバエは名のとおり動物質のたべものにたかるが、一方では木の汁をエサにしたりする。チーズバエという名のハエがいたので、じっさいにチーズが好きなのかどうか実験してみると、もちろんチーズにもたかるが、魚の干物にも同じようにたかるので、とくべつチーズが好きというわけでもないことがわかった。
ハエの一生は鉄三にとってごくかんたんな研究だったようである。卵から成虫になるまでの期間がおよそ二十日くらいだったので、観察しやすかったのだろう。ハエは種類によって、成長の日数に差があるが、およそ卵は一日でうじになり蛹《さなぎ》になるまでに、二回皮をぬぐ。その期間はイエバエが六日から十日、ニクバエ、クロバエは七日から九日、キンバエは十二日ぐらいということが、鉄三の観察からわかった。
蛹は土の中にもぐる、土がなければなんでももぐれるところにもぐる。鉄三はビンの中でハエを飼っていたので、蛹が土の中にもぐることを知らないと、はじめ小谷先生は思っていたのだが、鉄三がハエを採集するときに成虫をとるより蛹の方を多くとってきていたので、この考えはあらためなくてはならなかった。
鉄三の観察によると、蛹の期間はイエバエで四日から十一日、ニクバエ、クロバエ、ヒメイエバエで十二日から十五日、キンバエで十日前後であった。
ショウジョウバエは卵から成虫になるまでの期間が十日ぐらいで、ほかのハエの半分ぐらいの時間しかかからない。
ハエはいつまで生きるかということであるが、ざんねんながら、これは鉄三の実験結果はばらばらでよくわからない。
文治に、カエルのえさにされてしまった金《きん》獅《じ》子《し》のかわりに、鉄三がいま大事にしている二代目の金獅子は、飼ってから二カ月たっているが、いっこうにくたばりそうにない。二カ月もたつとたいていのハエは死んでいる。
ニクバエは卵をうまない、体内でふ化してうじになって出てくる。これは小谷先生は知らなかった。鉄三の研究から知ったことである。
ハエの産卵場所はハエの種類によってだいたいきまっている。しかし、このことを知るまでに、鉄三はたいへん苦労をした。ビンの中の実験とちがって歩きまわらなくてはならなかったからだ。小谷先生もだいぶ手伝いをした。ゴミ溜《た》めの中、くさったワラや草の中、鉄三はどんなきたないところも平気でほりかえした。ネズミの死体をしらべているときは、さすがに小谷先生は近づくことができず、遠くからはらはらしながら鉄三を見ていた。小谷先生は鉄三を、つくだに屋やかまぼこ屋、魚屋やパン屋など、ハエのいそうな店につれていった。鉄三はまるで名たんていのように、ハエの産卵場所をみつけてきた。
市場に小谷先生のファンがたくさんいるのでこういうときにはつごうがいい。ハエはいませんかなどといって、たべもの屋へはいっていったら、ふつうなら、ぶんなぐられるところだろう。
ハエの産卵場所のベスト5は、つぎのようなところだった。ゴミ溜め、便所、たい肥(つみごえのこと、わら、草、落葉などのくさったもの)、動物死体(魚、昆虫、小動物など)、つけものおけ。
鉄三は卵を見て、ハエの種類がわかるときがある。たとえばキンバエの卵はやや赤味をおびているのですぐわかる。イエバエとオオイエバエは大きさでわかる。なかにはよくにていてわからない場合がある。そういうとき、鉄三はその卵をもってかえって飼育してみた。こうして鉄三はハエの産卵場所を、表にした。種類によって、その場所がことなることもそれでよくわかった。
「鉄三ちゃん、イエバエは便所にたくさんいるでしょう。人間のふんをえさにするし、便所とかんけいがふかいのに、どうしてイエバエのうじは便所にいないんでしょう」
小谷先生はイエバエやキンバエのうじがどうして便所にいないのかふしぎだった。オオイエバエ、ヒメイエバエ、ケブカクロバエ、ニクバエなどのうじは便所にいるのである。
鉄三は首をかしげた。ほんとうにわからないらしい。このごろ小谷先生は、鉄三がしゃべらなくても、かれと話ができるようになっている。眼の動きや、ちょっとした動作でだいたい鉄三がなにを考えているのかわかるのだ。
鉄三の方も「ちがう」とか「あかん」、それにハエの名まえをいうぐらいのことは、しゃべるようになっている。
「鉄三ちゃん、あなた、ハエの絵はかいているけれど、うじの絵はかいていないでしょう。それぞれのハエのうじをできるだけこまかくかいてみたらどう。なにかわかるかもしれなくてよ」
二、三日して鉄三のかきあげた絵を一目みて、小谷先生はすべてがわかった。
「鉄三ちゃん、うじのからだのうしろに突き出たものがあるでしょう。これ、なにするものか知っている?」
鉄三は首をふった。
「でも鉄三ちゃん、突き出たものをもっているうじと、もっていないうじをあなた知っていたんでしょう」
鉄三はうなずいた。
「もっていない方のハエの名まえをいってみて」
「イエバエ、キンバエ、ミドリキンバエ」
「やっぱり」と小谷先生はいった。
「あなたがいまいった名まえのハエは、どれも、うじが便所にいないわ。鉄三ちゃん、この突き出たものは気門といってね。うじはここで呼吸をしているのよ。だから、突き出たものをもっているうじは、便所のようなどろどろしたところでもすめるけれど、もっていないうじはおぼれ死んでしまうわけよ」
小谷先生は自分の発見に興奮したようだ。
「ね、鉄三ちゃんそうじゃない。これでなぜイエバエやキンバエのうじが便所にいないか、ナゾがわかったじゃない」
鉄三の目もかがやいた。ふたりはさっそく実験にとりかかった。小麦粉をといてどろどろした液を作った。それをビーカーに入れて突起のあるうじ、ないうじをいっしょに入れた。結果は小谷先生の思ったとおりになった。生きていたうじはすべて突起のある方のうじばかりだったのである。このハエの産卵の研究は、後で鉄三がたいへんな手柄をたてる原因にもなる。
いま、鉄三と小谷先生がにらんでいる三つのビーカーには、砂糖、砂糖水、水がはいっている。水と砂糖水はハエがとまりやすいように綿にしみこませてある。
ふたりの意見がちがったのは、ハエがえさにたどりつくまでは、もののにおいにたよるのだろうが、水ににおいがあるかという疑問に、鉄三はあるといい、小谷先生はないといったことからである。水ににおいがあるなら、ハエは水、または砂糖水にたかるだろう、すくなくとも砂糖だけのものより数多くハエがたかるはずだ。
ふたりはじっとビーカーを見つめた。
あっと小谷先生が声をあげた。ハエがさいしょにとまったのは砂糖水の方である。
小谷先生はなさけなさそうな顔をした。鉄三はじっとビーカーを見つめたままだ。二匹めのハエはさいしょ水の方にとまったが、すぐ砂糖水の方に移動した。三、四匹たかるまではひまがかかったが、それからは、つぎつぎとんできた。たいていのハエは砂糖水の方にとまる。水の方にとまるハエもかなりいたが、これはじき砂糖水か、砂糖の方に移っていく。とんできて、さいしょに砂糖だけの方にとまったハエは、数えるほどしかいなかった。
「やっぱり鉄三ちゃんの方が正しいのね。ざんねんむねん」
小谷先生は笑いながらいった。
秋がふかくなって、鉄三の「ハエの研究」もいそがなくてはならなかった。さむくなれば、この研究はいちおうおしまいにしなくてはならない。ハエというのは、いつの季節にも活動しているわけでなく、たとえば、真夏はクロバエ、オオイエバエが姿を消し、いっぽう秋にはキンバエ類がほとんどいなくなる。鉄三が比較的多種類のハエを自由に研究できたのは、自分で飼っていたからである。採集だけにたよっていたら、こんなにも成果はあがらなかっただろう。
鉄三はハエの研究をするうち、すこし、かわってきたようだ。
これまでハエは鉄三のペットで、猫かわいがりするようなところがあった。気に入ったハエだけをあつめて、たのしんでいるようなところもあった。観察をはじめてから、ずいぶん冷静になった。実験のためにハエをまびいたり、ときには死ぬことをしょうちの上で観察をつづけなくてはならなくなっても、けっして感情的にならなかった。
うじの実験なども、むかしだったら、小谷先生は怒りくるった鉄三にまたもや顔をひっかかれているところである。
鉄三はハエやうじを、ピンセットでつまむようになった。たくさんのハエを移動させるようなときは、手でつかむくせがいまもなおらないが、なるたけ素手は使わないようにしていることが、小谷先生にもよくわかった。
小谷先生はアルコールとクレオソート液を鉄三にわたしていたが、ときどきは使っているようだった。採集してきたハエと、はじめから自分の飼っているハエは区別していて、実験や観察のためにどうしても両者にふれなくてはならないようなとき、その消毒液を使っていた。二代目金獅子をアルコールでふいていて、鉄三は小谷先生に笑われたことがある。
「鉄三ちゃん、まるっきり細キンのないハエはからだがよわくてすぐ死ぬそうよ」
そういわれて、いまは金獅子をアルコールでふくのはやめている。
「ハエの研究」は順調だったが、悩みがないわけではなかった。小谷先生はこの研究がほんとうに完成するときは、鉄三が文章を自由にあやつるようになったときだと思っていた。
みな子が転校していって、小谷先生はすぐ「朝の日記」をはじめた。みな子で苦労した時間をすぐ「朝の日記」にふりかえたのだ。小谷先生は自分にラクをさせないつもりだった。「朝の日記」は先生も子どもも四十分はやく登校するところからはじまる。小谷先生はひとりひとりの日記に感想をかきこんでやりながら、子どもととりとめのない話をする。なんでもないことだが、これは先生も子どももたいへんな重労働であった。
鉄三はさいしょの日、日記帳に「みどりきんばえ、きんじし」とかいてきた。つぎの日は「いえばえ、うんこ」とかいてきた。三日めは「しょうじょうばえ、おさけ」だった。小谷先生はそのノートにいろいろおしゃべりをかいてやるのだった。ハエのことだったり、バクじいさんのことだったり、ちょくせつ日記とかんけいのないことばっかりだ。しょうじょうばえはおさけがすきです、というかき方を教えるのはかんたんだが、小谷先生はそんなことはかかない。鉄三を信頼しているからだろう。
芸は身をたすける、とむかしの人はいったが、とんでもないところで、鉄三はそのことばを証明するような、たいへんな手柄をたてた。
ある日、小谷先生のところへ電話がかかってきた。校区内にあるハム工場からだった。
「妙なことをうかがいますが、先生はハエの研究をなさっていられるとかおききしたんですが……」
「わたしが研究しているわけじゃありませんわ。教え子がやっているんです」
「じつはあまり大きな声でいえないのですが、わたしの工場でハエが異常にふえてこまっておるんです。商売が商売ですからハエはたいへんこまるんです」
それはそうだろう、ハム工場にハエがいっぱいいてはお話にならない。
「肉のとりあつかい、廃棄物の処分、工場内の清掃などどれもじゅうぶん気をつけているつもりなんですが、さっぱり原因がわかりません。いちど、ごらんいただいて適切な処置をおねがいできないものでしょうか」
小谷先生はこまった。専門家じゃあるまいし、そんなことができるとは思えない。
「保健所にたのんでみられたら……」
「いやもう保健所はおねがいしました。ご指導をうけたところは全部きちんとやったのですが、いっこうにハエがへらんので……」
鉄三をつれていってみようかと小谷先生は思った。うまくいかなくてもともとだ。ひょっとして鉄三がなにかみつけてくれるかもしれない。
小谷先生がしょうちすると工場の人はひじょうによろこんだ。
大きな外車が学校によこづけになった。あんまり見事な車なので子どもがわいわいさわいだ。その車に鉄三と小谷先生はのった。いっしょについてきた工場の人はへんな顔をした。
「この方がハエの研究をしているんですか」
「そうです」
小谷先生はすましてこたえた。工場の人はいっそう、へんな顔をしている。ま、むりもない。りっぱな応接室で、お茶とケーキをごちそうになってから、小谷先生は鉄三といっしょに工場をひとまわりした。たしかに清潔な工場である。どうして、こんなところにハエがいるのだろう。
「おかしいね、鉄三ちゃん」
鉄三もふしぎそうな顔をしている。小谷先生は鉄三といっしょに仕入れたハエの知識をフルに回転してみたが原因がわからない。
「どこにハエが多いのですか」
いちばんハエの多いといわれる工場につれていってもらった。なるほど、かなりのハエの大群だ。
「イエバエや」
と鉄三がさけんだ。そんなバカな、というようなひびきがあった。小谷先生もすぐ気がついた。製肉工場だから、キンバエやニクバエがいるのなら話はわかるが、イエバエばかりというのは妙だ。
「へんねえ鉄三ちゃん」
鉄三はきゅうにハム工場のへいをよじのぼっていった。そうして大声でさけんだ。
「あれや」
はしごをもってきてもらって、小谷先生と工場の人はへいの向こうを見た。そこはまだ田んぼが残っていて、道のはしに大きなたい肥の山が六つもあるのだった。
小谷先生はすべてがわかった。
「あのたい肥が原因ですわ。イエバエはたい肥の中に卵をうむんです。おたくの工場にいるハエはみなイエバエですから、あのたい肥が原因であることはまちがいありませんわ」
一週間ほどして、ハム工場からお礼がとどいた。その日の給食に、献立表にないソーセージがひとりひとりの子どもについていた。やがてその理由が校内放送で伝えられた。
鉄三はいちやく英雄になってしまった。もっとも鉄三自身は人ごとのように、知らん顔をしていたが……。
芸は身をたすける、小谷先生はそのことばをかみしめた。知らず知らずのうちに笑いがこぼれてくるのをおさえることができなかった。
鉄三がはじめて大声でおしゃべりをしてくれた、そのことがなによりも小谷先生にはうれしかった。