「じゃ、うめ、後はよろしくね」
と、玄《げん》関《かん》へ降《お》りて、文江は言った。
「お世話になりました」
と草永が礼を言う。
「いいえ」
うめがどっしりと座《すわ》って、「ずっとここにいらっしゃればいいのに」
「ともかく、東京で式を挙《あ》げなきゃいけないのよ」
「今《ヽ》さ《ヽ》ら《ヽ》ですか」
とうめが言った。
——荷物を手に表に出ると、
「あら、室田さん」
と文江が言った。
車が停《とま》っていて、室田が立っていた。
「駅まで送りますよ」
「まあ、すみません」
二人が乗り込むと、室田は車を村の方へと走らせた。
「——マスコミは割《わり》と静かですね」
と草永が言った。
「何しろ昔《むかし》の事《じ》件《けん》だし、それにここは田舎《いなか》ですからね」
「みんなすぐに忘《わす》れて行くわ」
と文江は言った。
「村の人たちは別でしょうがね」
と、室田は言った。「——あなた方には、ずいぶん、お世話になりました。お礼を言いますよ」
「とんでもありませんわ」
と文江は言った。
村が見えて来た。
「——室田さん」
「何です?」
「村の入り口で停《と》めて下さい」
「どうするんですか?」
「歩いて駅まで行きます」
「しかし、それは——」
「お願いします。先に駅へ行って、待っていて下さい」
「——分りました」
車はゆっくりと停《とま》った。
文江は、外へ出ると、続いて降《お》りようとした草永を停めた。
「一人で行くわ」
「でもそれは——」
「お願い。ここは私《ヽ》の《ヽ》故郷なのよ」
草永は、ちょっと笑《わら》って、
「好《す》きにするさ」
と肯《うなず》いた。
文江は、車が走り去ると、ゆっくりと村の通りを歩いて行った。
——通りに出ていた人たちが、文江を見ると、急いで家の中へ入ってしまう。子《こ》供《ども》をかかえて、母親も家へ駆《か》け込《こ》む。
戸が閉《しま》り、窓《まど》がピシリ、ピシリ、と音をたてて閉《と》じた。
そして、わずかに、隙《すき》間《ま》から覗《のぞ》く目は、敵《てき》意《い》と、冷たい無《む》関《かん》心《しん》を感じさせた。
もう、ここは私の村じゃない、と文江は思った。
静かだった。——風が渡《わた》って行く。その音さえ聞こえる。
自分の足音だけが、耳についた。
村を通り抜《ぬ》けながら、文江は、七年間の空白を、通り抜けていた。文江の足音は、七年の時を刻《きざ》む、時計の鼓《こ》動《どう》だった。
——帰って来た村。しかし、今は、文江はあの大都会へと「帰る」のだ。
文江が帰ろうとした、七年前の故《こ》郷《きよう》は、もう、どこにも残っていなかった……。
「やあ、お嬢《じよう》さん」
鉄男がいつもの通り、ホームで迎《むか》えてくれた。
「——大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だった?」
草永がやって来た。
「ええ。——室田さんは?」
「用があるからって……。君によろしくって言ってたよ」
「そう」
文江は、ホームの中央に出て、息をついた。
——よく晴れていた。
「列車が来ますよ」
と、鉄男が言った。
レールを鳴らして、列車がやって来る。
「鉄男君、元気でね」
と文江は言った。
「どうも。お嬢《じよう》さんも、また来て下さい」
「そうね」
文江は微《ほほ》笑《え》んだ。
列車が停《とま》って、草永が、スーツケースを運び込《こ》む。
がら空きの車内を見回して、この線も、いつまであるかしら、と文江は思った。
窓《まど》際《ぎわ》に座《すわ》ると、列車が一《ひと》揺《ゆ》れして、動き出す。
「おい!」
と草永が言った。
「え?」
「見ろよ」
窓から顔を出して、文江は思いがけないものを見た。
赤ん坊《ぼう》を抱《だ》いた百代が、ホームの外に、立って、こっちへ手を振《ふ》っているのだ。
文江は身を乗り出すようにして手を振った。
「百代! 元気でね!」
と叫《さけ》んだ。
向うも叫び返したが、もう、聞こえなかった。
ゆっくりと座《ざ》席《せき》に戻《もど》ったとき、草永の微《び》笑《しよう》に出会った。文江も、微《ほほ》笑《え》み返した。
列車がスピードを上げた。といっても、大した速度ではなかったが。