次に眼を覚したのは、砲声によってであった。夜は殆んど明け放れていた。音と煙が川の方の空に満ちていた。炸裂音がその空を狭くし、ぐいとこっちへ近づけた。砲声は激しく、間近になり、ゴロゴロと遠雷のような唸りが交り始めた。丘の彼方、私が出て来た中隊のあたりの空に、偵察機が一機、獲物を狙う鳥のように、小さな円を描いて旋回していた。砲撃はそこに加えられているらしかった。
みな起き上った。医務室から軍医と衛生兵が出て、丘の彼方を眺めていた。
ビュルルーと砲弾の飛ぶ音が聞え、昨日私が野火を見たあたりの野に、高い土煙が上った。一種の声があたりに起った。軍医達は中へ入り、やがて銃を持ち装具をつけて現われた。そして一散に駈けて来た。
弾はぐんぐん弾着を延ばし始めた。軍医と衛生兵は我々の傍を駈け抜け、谷間の奥へ向った。まるで弾着の延びる早さを、駈けて凌駕することが出来るかのように。我々の中の二、三人が続いた。昨夜盗みを試みた兵士だけ、額に瘤をつけたまま、反対に医務室に向って突進した。咄嗟に食糧を掠めようというのであろう。患者が小屋から溢れ、思い思いの方向に散らばって行った。
マラリアの兵士は草に俯伏せて動かなかった。肩に触れてみて、私は彼が死んでいるのを認めた。
私はひとり林の奥へ進み、泉の傍の小径から丘を上った。私は漠然と弾の来る方角と、横に行けばいいと考えていた。
ジグザグの道を半町ばかり駈けるように上って、谷間を見晴らす曲り角で立ち止った。逃げ出した患者達は力を失い、豆を撒いたように、玉蜀黍 畑の畦の間に倒れて動かなかった。砲撃は続いていたが、弾の落下点はわずかに病院の小屋に達しなかった。
敵発火点は不明であるが、これが我々の今まで受けた迫撃砲撃とは違い、組織的な攻撃であることは明白であった。或いは上陸前の艦砲射撃かも知れない。レイテ西海岸の平野は浅く、我々は海岸と四粁と離れていなかった。
医務室の裏から煙が出た。煙は渦巻いて軒下でたゆたい、やがて太い捩り合わされた一条となって、立ち上った。窓の奥に赤いものが見えた。
衛生兵が日本軍の習慣に従い、見棄てる陣地に火を掛けて行ったのか、或いはあの衆に逆って食糧を取りに入った病兵が、火を失したかであった。
左手に逃げて行く兵士の群は、並足となって、谷間の奥に孤立した一つの丘を目指して進んでいた。その丘の禿げた頂上から、一条の細い煙が、朝の微風になぶられて、ためらうように揺れながら、次第にその勢を増しつつあった。
砲声は止んだ。小屋は今は太い火束となって、盛んに燃えていた。火の中から、しゅるしゅると水の流れるような音が、聞えて来た。風はなく、煙は真直に突立って、私の眼の高さの中空から、扇形に開いた。
私の今取るべき最も英雄的な行為が、再び谷へ下り、倒れた傷兵を助けることにあるのは明白であった。しかしその時私の感じた衝動は、私自身甚だ意外とするものであった。
私は哄笑を抑えることが出来なかった。
愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げ惑う同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽に映った。彼等は殺される瞬間にも、誰が自分の殺人者であるかを知らないのである。
私に彼等と何のかかわりがあろう。
私はなおも笑いながら、眼の下に散らばった傷兵に背を向けて、径を上り出した。もしこの行為の直接の結果が、さしあたり私自身の生命を延ばすことでなかったなら、私の足取りはさらに颯爽としていたろう。
目指す朝焼の空には、あれほど様々の角度から、レイテの敗兵の末期の眼に眺められた、中央山脈の死火山の群が、駱駝の瘤のような輪郭を描いていた。
名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。