先頃
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、
二
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
立たぬ鳥もありけり
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく
その
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「
こう
「今度もこの方が
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、
いつぞや大殿様が、二条大宮の
「融の左大臣は、風月の才に富んで居られたと申すではないか。されば父上づれは、話のあとを打たせるにも足らぬと思われて、消え失せられたに相違ない。」と、
それがまた大殿様には、何よりも御耳に痛かったと見えまして、ふとした
「父上、父上、そう御腹立ち遊ばすな。牛飼めもあの通り、恐れ入って
こう云う御間がらでございましたから、大殿様の御臨終を、じっと
五
でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、
その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような
「
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は
まず、若殿様の
六
その御話のそもそもは、確か大殿様が御隠れになってから、五六年たった頃でございますが、丁度その時分若殿様は、前に申しあげました
「爺よ。
しかし、これは、あながち、若殿様御一人に限った事ではございません。あの頃の年若な
いや、現に一時は秀才の名が高かった
が、また
七
でございますからこの御姫様に、
「いや、あれは何も
こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、
それがほど経てから、御門の扉が、やっと開いたと思いますと、
そこで泣く泣く御立ち帰りになって、その御文を開けて御覧になると、一首の古歌がちらし書きにしてあるだけで、一言もほかには御便りがございません。
思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし
これは云うまでもなく御姫様が、
八
こう御話し致しますと、中には世の常の姫君たちに引き比べて、この御姫様の
そこで噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北の
何でも私が
「やい、おのれは
九
丁度その頃の事でございます。
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の
するとその時、私の側にいた、逞しい
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと
「たとい
十
が、それはほんの僅の
「まだ
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の
これに
「見られい。わしの云うた事に、
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた
「
「阿父さん。よう。」
その道理が
十一
「さても
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に
「やあ、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、
鍛冶の親子は互にしっかり
後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、
十二
と申しますのは、まず第一に
が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を
そう云う勢いでございますから、日が
十三
そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、
と同時に
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、
いや、現にその時も、平太夫がそう答えますと、さっきの盗人は一層声を
「さらば
十四
しかしあの飽くまでも、物に御騒ぎにならない若殿様は、すぐに勇気を御取り直しになって、悠々と扇を
「待て。待て。予の命が欲しくば、次第によって呉れてやらぬものでもない。が、その方どもは、何でそのようなものを欲しがるのじゃ。」と、まるで人事のように御尋ねになりました。すると
「
「予は誰やら知らぬ。が、予でない事だけは、しかとした
「殿か、殿の父君か。いずれにしても、殿は
頭立った一人がこう申しますと、残りの盗人どもも覆面の下で、
「そうじゃ。仇の一味じゃ。」と、声々に罵り交しました。中にもあの
「さかしらは御無用じゃよ。それよりは
が、若殿様は
「してその方たちは、皆少納言殿の
「そうじゃ。それがまた何と致した。」
「いや、何とも致さぬが、もしこの中に少納言殿の
若殿様はこう
「なぜと申せ。」と、若殿様は言葉を御継ぎになって、「予を
これを聞いた盗人たちは、今更のように顔を見合せたけはいでございましたが、
「ええ、何が阿呆ものじゃ。その阿呆ものの太刀にかかって、
「何、その方どもが阿呆ものだとな。ではこの
若殿様は
十五
「次第によっては、
恐ろしいくらいひっそりと静まり返っていた盗人たちの中から、
「それは
「さようでございます。」
これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
「そこで予が頼みと申すのは、その
この
「やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば
こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで
するとこれを御覧になった若殿様は、
「おお、大儀。大儀。それで予の腹も
こう
十六
さて若殿様は
「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の
こう
「その代りその方も、折角これまで参ったものじゃ。
私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、
「これ、これ、永居は平太夫の迷惑じゃ。すぐさま縄目を許してつかわすがよい。」と、
それから間もなくの事でございます。一夜の内に腰さえ弓のように曲った平太夫は、若殿様の御文をつけた
二人の間はおよその所、半町ばかりもございましたろうか。平太夫は気も心も緩みはてたかと思うばかり、
この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度
十七
危くつき当りそうになった
が、その内に私の甥の足音に驚かされたのでございましょう。摩利信乃法師は夢のさめたように、慌しくこちらを振り向きますと、急に片手を高く挙げて、怪しい
しかしその御文は
十八
その
その内に
「今も
「まあ、憎らしい事ばかり
「いや、それよりも始めから、捨てられる
「たんと
御姫様はこう仰有って、一度は愛くるしく御笑いになりましたが、急にまた
「一体世の中の恋と申すものは、皆そのように
「されば
十九
「されば恋の
やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、
「何と、
「いえ、
私が
「いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、
「これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、
「そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。
こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は
「それでも
「
若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと
「昔、あの
「では、この頃洛中に
「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。」と、さも気味悪そうに申しながら、
二十
「何、
何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
「摩利と申すからは、
「いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ
「では、
そこで私は先日神泉苑の
「その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の
「そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の
「さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に
すると若殿様はまた元のように、
「いや、何とも申されぬ。現に
「まあ、気味の悪い事を
御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、
「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の
「が、まだその摩利信乃法師とやらは、
二十一
それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、
それを見ますと私の甥は、以前
「あなた様がこの摩利の教を
こう
「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや
「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」
平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの
「しかしこうして
「いや、予が前で
二十二
急に眉をひそめたらしいけはいで、こう
「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり
「さてその姫君についてじゃが、予は
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より
「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては
やがてまた摩利信乃法師は、
「が、予は姫君が恋しゅうて、
こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。
二十三
「
ほど経て
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は
「と仰有っただけでは
この時は平太夫も、思わず知らず
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、
摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を
その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
「予はその怪しげなものを
それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を
「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや
二十四
その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の
私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。
私が
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か
私の甥は顔を
二十五
それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある
御承知の通りあの河原には、見苦しい
その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、
「あれか。」
私は
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、
二十六
が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を
するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く
この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から
「誰じゃ。」と、一声
二十七
その中に
「やい。おのれらは
元よりこう
私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、
「命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に
二十八
それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た
が、その中でもさすがに
するとそれが先方には、いかにも
「その方どもの
そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる
二十九
それ以来私どもは、よるとさわると、額を
それはもう秋風の立ち始めました頃、
別してその
まして正面を眺めますと、
するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の
三十
この騒ぎを見た
摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の
「
あの沙門は悠々と
「打たば打て。取らば取れ。
「如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今
摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような
この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから
三十一
すると
「過てるを知って
が、何しろただ今も、
沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、
「これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの
所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな
「こりゃ
三十二
するとその印を結んだ手の
御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、
しかし当の摩利信乃法師は、
「
その声に応じて
「
勝ち誇ったあの沙門は、思わずどっと
「
その時、また東の廊に当って、
「
(未完)
(大正七年十一月)
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