たとひ三百歳の
―慶長訳 Guia do Pecador―
善の道に立ち入りたらん人は、
―慶長訳 Imitatione Christi―
一
して又この「ろおれんぞ」は、顔かたちが玉のやうに清らかであつたに、声ざまも女のやうに優しかつたれば、
さる程に三年あまりの年月は、流るるやうにすぎたに由つて、「ろおれんぞ」はやがて元服もすべき時節となつた。したがその頃怪しげな噂が伝はつたと申すは、「さんた・るちや」から遠からぬ町方の傘張の娘が、「ろおれんぞ」と親しうすると云ふ事ぢや。この傘張の
由つて伴天連にも、すて置かれず
さて一応伴天連の
するとその後間もなう起つたのは、その傘張の娘が
その中でも哀れをとどめたは、兄弟のやうにして居つた「しめおん」の身の上ぢや。これは「ろおれんぞ」が追ひ出されると云ふ悲しさよりも、「ろおれんぞ」に欺かれたと云ふ腹立たしさが一倍故、あのいたいけな少年が、折からの
その後の「ろおれんぞ」は、「さんた・るちや」の内陣に香炉をかざした昔とは打つて変つて、町はづれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな
なれど同じ「えけれしや」に詣づる奉教人衆も、その頃はとんと「ろおれんぞ」を
さる程に、こなたはあの傘張の娘ぢや。「ろおれんぞ」が破門されると間もなく、月も満たず女の子を産み落いたが、さすがにかたくなしい父の翁も、初孫の顔は憎からず思うたのでござらう、娘ともども大切に介抱して、自ら抱きもしかかへもし、時にはもてあそびの人形などもとらせたと申す事でござる。翁は元よりさもあらうずなれど、ここに
この国の
なれどあたりに居つた奉教人衆は、「ろおれんぞ」が
とかうする程に、
あまりの凶事に心も消えて、「しめおん」をはじめ翁まで、居あはせた程の奉教人衆は、皆目の
されば娘が大地にひれ伏して、嬉し涙に
なれどその夜の大変は、これのみではござなんだ。息も絶え絶えな「ろおれんぞ」が、とりあへず奉教人衆の手に
娘が涙ををさめて、申し次いだは、「妾は日頃『ろおれんぞ』様を恋ひ慕うて居つたなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を『ろおれんぞ』様の種と申し偽り、妾につらかつた口惜しさを思ひ知らさうと致いたのでおぢやる。なれど『ろおれんぞ』様のお心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給はいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、『いんへるの』(地獄)にもまがふ火焔の中から、妾娘の一命を
したが、当の「ろおれんぞ」は、娘の「こひさん」を聞きながらも、僅に二三度
やがて娘の「こひさん」に耳をすまされた伴天連は、吹き
見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横はつた、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた
まことにその
その女の一生は、この外に何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござらうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にも
二
予が所蔵に関る、長崎耶蘇会出版の一書、題して「れげんだ・おうれあ」と云ふ。
体裁は上下二巻、
両巻とも紙数は約六十頁にして、
以上採録したる「奉教人の死」は、
予は「奉教人の死」に於て、発表の必要上、多少の文飾を
(大正七年八月)
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