人間は環境の生き物だ、と誰かが言っていたけど、当然生まれ育った土地の気候も大きく影響するだろう。いつもドンヨリとした雲が津軽海峡の上に垂れ下がって、盆踊りだというのに浴衣の上にカーディガンを羽織らなければ寒くてたまらないという道南に育った私の中には、息苦しいほどの蒸し暑さの中、山鉾巡行を眺めたり、焼け付くような日差しがきらきらと輝いて加鴨川の流れに反射するといったような情景はなかった。道南の四季は厳しい寒さの冬を中心に、緩やかに、いつの間にか変化していく。気付かぬうちに。京都の夏のように、激烈な力強さはない。秋風が吹いて、山々が色づく時、肌を刺すような北風が吹き始めるのだという急な坂道を滑り落ちていくような感覚は、私の故郷にはなかった。
もう人生の半分以上を「夏の気温は30度以上になるのが当たり前」という環境で暮らしていると、この暑さが好きになった。この狂ったような暑さは、僕の好きな何かに似ている、と知ったからだ。きっとギターを弾いている時の何かに、それが似ているから、今は「夏はいい!」と思う。
记得有人说过,人是环境生物,理所当然生长环境的气候也产生了很大的影响。我生长在北海道南部,那里总是阴云低垂在津轻海峡的上空,虽然是盂兰盆会舞,但若不在夏季和服上披一件对襟毛衣则冷得受不了。因此在我的记忆中,从来不曾有过在令人窒息的闷热中观看彩车巡行和灼热的阳光闪烁着反射到鸭川河面上的印象。北海道南部的四季以严冬为中心,缓慢地、不知不觉地变化,而且是在你没注意到时。没有京都的夏天那样猛烈、有力。在秋风吹起、群山泛红时,我的家乡没有那种像滑下大坡一样刮起刺骨北风的感觉。
人生的一半时间若生活在“夏季气温超过30度是正常的”环境中,则会喜欢上这样的炎热。因为我知道,这种失常的炎热与我的某种爱好相似。它一定是与弹吉他时的某种感觉相似,所以现在我认为“夏天好”。