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「みにくいあひるの子」だった私51

时间: 2019-09-23    进入日语论坛
核心提示:アンデルセンの自伝小学校に入学したとき、かわいい制服姿の新入生の中で、一人だけ異様(いよう)な顔の子がいた。その学校には
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 アンデルセンの自伝

小学校に入学したとき、かわいい制服姿の新入生の中で、一人だけ異様(いよう)な顔の子がいた。
その学校には、生まれつき蹴爪(けづめ)(鳥の足のうしろについている突起(とつき))を持っているだけで、自分を皇帝(こうてい)だと思い込んでいる七面鳥(しちめんちよう)もいたし、この世は二人だけのためにあると考えていて、みにくいあひるの子の言うことになど耳を貸そうともせず、喉(のど)をごろごろ鳴らせること、卵を産(う)めることが最高だと思っている猫とめんどりもいた。
そんなせまい考え方の中で苦しみながら、みにくいあひるの子は、さわやかな空気、太陽の光、外の世界への憧(あこが)れをどんどんふくらませ、やがて自分から広い世の中に出ていく。
現実の外の世界は楽しいことばかりではなかった。湖で泳いだりもぐったりしても、あまりにみにくいので、だれも相手にしてくれない。寒さにこごえているところを助けてくれる人がいて、せっかく仲よく遊ぼうと言っているのに、さんざんつまはじきにされてきたため、心がゆがんでしまっていて、相手の気持ちを理解することができず、わざわざ自分から、もっと厳(きび)しい状況の中に飛び込んでいく。
まるで、私のことを書いたのではないかしら——。
だれでも知っているアンデルセンの童話。子どものころ読んだ絵本は、かなり子ども用にアレンジされているようで、この機会に原作に忠実な翻訳(ほんやく)で読んでみたら、それまで気づかなかったいろいろなことが見えてきた。
自分自身のこれまでの体験や、いまの年齢のせいかもしれないけれど。
アンデルセンが三十代後半のころに書いたこの物語には、作者の実体験が凝縮(ぎようしゆく)されていて、自伝的作品といわれている。
デンマークの小説家アンデルセンは、貧(まず)しい靴職人(くつしよくにん)の子として生まれたといわれているけれど、貧しさで苦労したという話はあまりない。それより、夢見がちで空想癖(くうそうへき)があって、ふつうの子とはかなり違ったエキセントリックなところがあったらしい。
五歳で学校に入る。でも、厳しい校則に違反したかどうかは知らないけれど、なにかの罰(ばつ)で先生にムチで叩(たた)かれたら、すぐにやめて別の学校に移っている。
えらい!
「ぼくは本当は身分が高い家の子だから、大きくなったら、きみたちをぼくのお城で働かせてあげるよ」
学校では、まわりの子にそんなふうに言いふらしていたというから、だれからも相手にされなかったのは当然だったかもしれない。彼はほかの子どもとは一緒に遊ぶことがなく、十歳ぐらいで父親が三十四歳という若さで亡(な)くなったあとも、それほど苦労することなく、自由気ままに暮らしていたという。
お芝居(しばい)が好きで、子どものころからビラ配(くば)りをしたり、人形をつくったり、ときには舞台(ぶたい)にも立たせてもらったり。
アンデルセンが属するキリスト教の教派では、十四歳で成人式(堅信礼(けんしんれい))を迎(むか)えることになっていた。その前に教会で信仰(しんこう)に関する教育を受けたときも、彼はだれからも相手にされなかったという。
“常識”の中におさまりきらないところがあったから、仲間はずれにされていたのかもしれない。
成人式を終えると、母親の制止も聞かず、さっさと故郷(こきよう)を飛び出し、デンマークの首都コペンハーゲンへ。
でも、王立劇場の俳優(はいゆう)になりたくて志願しても、頭がおかしいんじゃないかと思われて、追い払われてしまう。その後、通(かよ)いはじめた演劇関係の学校もやめさせられて、十七歳のときに役者になることを断念。それから、作家を目指して勉強をはじめる。
このあたりは、たしかに「みにくいあひるの子」を思わせるところはあるけど、私の中では、自分自身の体験と重(かさ)なりあってしまう。
みにくいあひるの子が、じつは白鳥だったというのは、さんざん苦労して、作家としての栄光をつかむという形式的なものではなく、それはアンデルセンにまつわる「出生の秘密」に関係があるらしい。
アンデルセンは、実際は国王の落とし子ではないかという説がある。母親は貴族の婦人。正式な子ではなかったために、適当な人に預(あず)けられ、育てられた。少なくとも、当の本人はそう思っていたのではないかと。
だとすれば、彼の言葉も、ただの口から出まかせではなく、それなりに根拠(こんきよ)があってのことだったということになる。
あひるの卵の中に一つだけ白鳥の卵が混(ま)じっていたという設定、でも、なぜ混じっていたかは書かれていないという点も。
そう考えてくると、最後のところで、みにくいあひるの子が一度は死を決意したという、いかにも唐突(とうとつ)な設定も、なんとなく重みをもってくる。
アンデルセンの出世作『即興詩人(そつきようしじん)』が刊行されたのは、彼がちょうど三十歳のとき。それまでの作品はすべて不評。そのうえ、アルコール中毒で入院していた母親は廃人(はいじん)同様。お金もない。物質的にも精神的にもすごく苦しい時期だった。
それが、二十代前半から中盤にかけてだったというところが、私には身につまされる。私なんかと比較するのはおかしいかもしれないけれど……。
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