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燃えよ剣39

时间: 2020-05-26    进入日语论坛
核心提示:剣 の 運 命歳三は駕籠で花昌町までゆき、屯営の門をくぐりながら、「いやもう、ひどい降りだ」近藤は、おもだった隊士とともに
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 剣 の 運 命

歳三は駕籠で花昌町までゆき、屯営の門をくぐりながら、
「いやもう、ひどい降りだ」
近藤は、おもだった隊士とともに門まで出むかえてくれた。
「歳」
近藤は、ぐわんと肩をたたいた。懐しいらしい。
「歳、お前が京へ入ると、天も感じて雨をふらせるようだな」
近藤らしい下手な冗談だが、しかしその云いかたにどこか|うつ《ヽヽ》ろ《ヽ》な響きがある。
(妙だな)
歳三はこういうことには敏感であった。大政奉還とともに近藤の心境が、変化しはじめているのではあるまいか。
(そうにちがいない)
廊下を肩をならべて歩きながら、近藤の口ぶりは、また変化した。歳三の機嫌をとるようにいうのである。
「道中、疲れたろう」
「ふむ」
歳三は近藤という男をよく知っている。
心でおもっていても、こんなことを口に出すような|やわ《ヽヽ》な男ではなかった。
「疲れはせぬ。それよりもあんたの様子をみると、京にいたほうが疲れるようだ」
「そうかね」
「顔が冴えない。どうやら、心術定まらざるものが腹にあるようだ」
「歳三、お前は知らぬのだ」
「まあいい。この話はあとでしよう」
その夕、近藤の屋敷で、隊の幹部があつまって、歳三の慰労のために酒宴をひらいた。
「土方さん、江戸はどうでした」
と、沖田総司がいった。
「ああ、お前の姉にも会った。あとでくわしくいう」
どうも妙だな、とおもうのは、一座の雰囲気が、京を発ったころとはちがう。どこか、沈んでいる。
もともとこの一座、ずらりと見わたしても物事に沈むような性根の連中ではなかった。原田左之助が楽天家の筆頭。永倉新八も覚悟のできた男だ。それに温和で書物も読まぬ井上源三郎、さらに沖田総司、これは近藤、土方と生死を共にするという一事だけがたしかで、あとの悩みは神仏にあずけっぱなしというかっこうの若者である。
歳三は、江戸のはなしをした。
周斎老の病状。
佐藤彦五郎の近況。
それに、江戸における新選組の評判。
「両国の花火はことしはなかった。江戸もかわったね。町を歩いていても、コウモリ傘てやつをさして歩いている武士が多かった。はじめは旗本のあいだにはやったんだが、ぼつぼつ町人も用いているようだ」
「そんなに変わりましたか」
と永倉がいった。
永倉新八は松前藩脱藩で、定府の下士の子だったから|きっ《ヽヽ》すい《ヽヽ》の江戸育ちである。それだけに、懐しさがちがうのだろう。
「江戸に帰りたいなあ」
疲れきったような表情でいった。
「どういうわけだ」
歳三は、杯を唇でとめて、微笑した。この男の微笑は、うるさい。
「いや、理由などはありませんよ。土方さんが久しぶりで江戸の匂いを運んできたからそういったまでです」
「しかし新八つぁん、江戸には帰らせねえよ」
歳三は、杯を置いた。
「京《ここ》が、新選組の戦場だと私は心得ている」
「が、歳。——」
と、横から低い声がきこえた。
近藤である。つぶやいている。
「お前は一本調子で結構だが」
「結構だが?」
「お前の留守中、京も、変わったのだよ」
大政奉還のことをいっているのであろう。この急変に、近藤はどう処していいのかわからなかった。
「将軍は、政権を天朝に返上してしまわれたんだよ」
「その話はあとだ」
と、歳三はいったが、近藤はおっかぶせて、
「歳、おれのいうことをきいてくれ。三百年、いや日本は源頼朝公以来、政権は武門の棟梁《とうりよう》がとってきた。政権の消長こそあったが、これが日本の古来からの風だ。ましていまは、洋夷に国を狙われている。いまこそ征夷大将軍を押したてて国を守るべきときであるのに、公卿に政権を渡して日本がまもれるかどうか」
「そのとおり」
末座で原田左之助が割れるように手をたたいた。単純な男なのである。
「左之助、だまっておれ」
近藤は、おさえた。
「しかしながら、天朝に弓をひくことはできぬ。歳」
「なんだえ」
歳三は、杯をおいた。
「お前に意見があるか」
「意見はあるがね。しかしそんなむずかしいもんじゃねえ。新選組の大将はお前さんだ。お前さんが、源九郎義経みたいな白っ面で悩んでいることはないんだよ。大将というものは、悩まざるものだ。悩まざる姿をつねにわれわれ幕下に見せ、幕下をして仰いで泰山のごとき思いをさせるのが、大将だ。お前さんが悩んでいるために、みろ、局中の空気は妙に|うつ《ヽヽ》ろ《ヽ》になっている」
「これは相談だ」
「どっちにしろ、無用のことさ」
吐きすてた。相談なら、自分とこっそりやってくれるといい、というのが歳三の意見であった。隊長が隊士に自分の悩みをうちあけているようでは、新選組はあすといわず、今日から崩れ去ってしまうだろう。

「近藤さん」
と、そのあと、近藤の屋敷でいった。ほかの隊の者はいない。
「われわれは、節義、ということだけでいこう。時勢とか、天朝、薩長土がどうの、公卿の岩倉がどうの、というようなことをいいだすと、話が妙になる。近藤さん、あんたの体から、|あか《ヽヽ》をこそげ落してくれ」
「|あか《ヽヽ》?」
「政治ということさ。あんたは京都にきてからそいつの面白さを知った。政治とは、日々動くものだ。そんなものにいちいち浮かれていては、新選組はこのさき、何度色変えしなければならぬかわからない。男には節義がある。これは、古今|不易《ふえき》のものだ。——おれたちは」
歳三は、冷えたお茶をのみほしてから、
「はじめ京にきたときには、幕府、天朝などという頭はなかった。ただ攘夷のさきがけになる、というだけであった。ところが行きがかり上、会津藩、幕府と縁が深くなった。しらずしらずのうちにその側へ寄って行ったことであったが、かといっていまとなってこいつを捨てちゃ、男がすたる。近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。そのなかで、万世に易《かわ》らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新選組はこのさい、節義の集団ということにしたい。たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背をむけようと弓をひこうと、新選組は裏切らぬ。最後のひとりになっても、裏切らぬ」
「歳、楠公もそうだった」
「あんたはなかなか学者だ」
歳三は、くすと笑った。脱盟した伊東甲子太郎も楠公信者だったことをおもいだしたからである。
「しかし、ことさらに楠某など死者の名前を借りずともよい。近藤勇、土方歳三の流儀でゆく、それだけでよい」
「が、局中は動揺している。なにか告示すべきだろう」
「いや、言葉はいけない。局中に節義を知らしめることは、没節義漢を斬ることだ。その一事で、みな鎮まる。まず、脱盟して薩摩藩側に奔《はし》った伊東|摂津《せつつ》」
伊東は、江戸のころは鈴木|大蔵《おおくら》という名であったことは、かつて述べた。
それが新選組に加盟した年、それを記念して甲子太郎と名を変え、こんど薩摩藩に奔って御陵衛士組頭となり、摂津とあらためた。
この当時、脱藩者などが名を変えるのは常識になっていたが、変節するごとに名を変えたのは伊東甲子太郎ぐらいのものであったろう。
 この伊東甲子太郎が暗殺されたのは、慶応三年十一月十八日の夜である。
近藤の私邸に招待され、泥酔した。辞去したのは、夜十時すぎである。
風はなかったが、道が凍《い》てていた。すでに沖天にある月が、北小路通を照らしている。伊東は東へ歩いた。東山高台寺の屯営にもどろうとしていた。
提灯に灯も入れない。供もつれなかった。伊東は、自分の才弁に自信をもちすぎたのであろう。
近藤の私邸では、伊東は時務を論じ、幕府を痛罵し、ほとんど独演場であった。
みな、感動した。
近藤のごときは、手をにぎり、
「伊東先生。たがいにやりましょう。国事に斃れるは丈夫の本望とするところではありませんか」
と、眼に涙さえうかべた。近藤の涙はどういう心事であったろう。
原田左之助のような男まで伊東の弁舌に魅了され、感歎の声をあげては、酒をついだ。
(愚昧《ぐまい》な連中だけに、いったん物事がわかると感動が大きいのだ)
伊東は、いい心もちであった。
(が、あの席に土方が居なかった)
はじめは不審であったが、杯をかさねるほどに気にならなくなってきた。
(世がかわるにつれて、ああいう頑愚者も新選組から消えてゆかざるをえないだろう。察するところ、こんにちの時局を予言していた私との同席が、はずかしかったにちがいない)
その「頑愚者」は、伊東の行くて、半町ばかりむこうの町寺崇徳寺の門の蔭に身じろぎもせずに眼を光らせていた。
むかいも寺。
前の道は、ひとが三人やっとならんで歩ける程度のせまさである。
そこの板囲い、町家の軒下、天水桶《てんすいおけ》の積みあげた背後、物蔭という物蔭が、ひそかに息づいていた。
伊東は、酔歩を橋に踏みいれた。小橋をわたりながら、江戸のころに習った謡曲で「竹生島《ちくぶじま》」の一節をひくく謡いはじめた。
渡りおわった。
橋からむこうの道は、東へまっすぐに伸び、その道の果てをくろぐろとした|いら《ヽヽ》か《ヽ》の山がさえぎっている。東本願寺の大伽藍《だいがらん》である。
伊東の謡曲は、つづく。
やがて、とぎれた。
一すじの槍が、伊東の頸の根を、右からつらぬいていたのである。
伊東は、そのまま立っていた。
気管をはずれていたため、かすかに呼吸はできたが、身動きができない。槍も動かず、伊東甲子太郎も動かなかった。
そのとき背後に忍び足でまわった武藤勝蔵という男が、太刀をふりかざしざま、伊東に斬りつけた。
伊東、それよりも早く抜き打ちに勝蔵を斬ってすてたというから、尋常な場合なら伊東はどれほどの働きをしたかわからない。
抜き打ちで斬ったときに、伊東の頸を串刺しにしていた槍が抜けた。
と同時に、血が噴きだした。伊東は、槍に突かれていることによって、辛うじて命をとりとめていたということになるだろう。
五、六歩、意外なほどたしかな足どりであるいていたが、やがて、角材でもころがすような音をたてて、横倒しにころがった。
絶命している。
「戦さはこれからだ」
と歳三は歩きだした。
悪鬼に似ていた。
(節義をうしなう者は、すなわちこれだ)
伊東の死体は、オトリとして七条|油小路《あぶらのこうじ》の四ツ辻の真中に捨ておいた。やがて町役人の報告で東山の御陵衛士の屯営にきこえるであろう。
おそらく全員武装をして駈けつけるはずだ。
それを待ち伏せて脱盟者を一挙に殲滅《せんめつ》するのが、歳三の戦術であった。敵将の死体をオトリにして相手を|わな《ヽヽ》にかけるというような残忍非情の戦法をおもいついた男も、史上まれであろう。
伊東を、人間としてあつかわなかった。
それほど歳三は、かれ自身の|作品《ヽヽ》である新選組を、崩潰寸前にまで割ってしまった元兇を憎んでいた。
その余類に対しても同様である。
「やがて連中がやってくる。一人も討ち洩らすな」
と、出動隊士四十余人にきびしく命じた。

歳三は、油小路七条の四ツ辻の北へ三軒おいて東側の|うど《ヽヽ》ん《ヽ》屋「芳治」を借りきり、ここに出動隊の主力を収容した。
他は三人ずつ一組とし、四ツ辻のあちこちに伏せさせた。
やがて月が傾きはじめたが、まだ来ない。
「土方さん、来るだろうか」
原田左之助は、「芳治」のかまちにすわっている歳三に、土間から問いかけた。
「来る」
確信がある。正直なところ、伊東派の連中は腕も立つが、気象のはげしい者が多い。首領の死体をはずかしめから救うために、かれらは生死をわすれるだろう。
 一方、高台寺月真院の御陵衛士の屯営では、この夜不幸がかさなっていた。営中には小人数しかいなかった。
隊の幹部の新井忠雄、清原清は、募兵のために関東にくだっていた。
伊東の内弟子だった内海二郎、阿部十郎は前日から鉄砲猟をするために稲荷山の奥に入ったまま帰隊していない。
伊東亡きあとは、その相談相手でもあり、最年長者でもあった篠原泰之進が、自然、下知する立場になった。
急報してきた町役人を帰したあと、篠原はさわぐ同志をしずめて、
「死体をひきとることだ。おそらく連中は待ち構えているだろう。しかしどうあろうとも死体をひきとる、これ以外に、余計な思慮を用うべきではない」
「篠原さん」
といったのは、伊東の実弟の鈴木三樹三郎である。ふるえている。
「相手は旧知の連中です。みな面識がある。当方が礼をつくして受けとりにゆけば、事はおこらぬのではないですか」
「礼を尽して?」
篠原は、笑った。武士の礼のわかるような連中なら伊東をだまし討ちにはすまい。
「戦うあるのみだ」
と服部武雄がいった。かつて新選組の隊中でも抜群の剣客といわれた男である。
「篠原さん、甲冑をつけてゆこう」
「いけないよ」
篠原は、一同に平装を命じた。このときの心境は、篠原泰之進の維新後の手記にこう書かれている。
——モシ賊ト相戦ハバ、敵ハ多勢、我ハ小勢ナリ。然リト雖モ甲冑ヲ着テ路頭ニ討死セバ後世ソノ怯ヲ笑フ可シ。
出動隊士は、七名である。
篠原泰之進、鈴木三樹三郎、加納★[#周+鳥]雄、富山弥兵衛、藤堂平助、服部武雄、毛内監物。みな、駕籠に乗った。
それに伊東の遺骸をはこぶための人足二人に、小者がひとり。
東山の坂をくだったときには、午前一時をすぎている。
油小路ニ駈付ケタリ。
四方ヲ顧ミルニ、凄然トシテ人無キガゴトシ。ヨツテ直チニ伊東ノ死所ニ至リ、ソノ横死ヲミテ一同歎声ヲ発シ、スミヤカニ血骸ヲ駕《かご》ニ舁《か》キ入レントスルニ、賊兵三方ヨリ躍リ出、ミナ鎖ヲ着シ、散々ニ切リカカリタリ。ソノ数、オヨソ四十余人也。
 歳三は、「芳治」の軒下に腕を組んで争闘をみていた。
月が、路上の群闘を照らしている。
藤堂平助、服部武雄の奮戦のすさまじさには、歳三も、胴のふるえるのを覚えた。一歩も逃げようとしないのである。
飛びちがえては斬り、飛びこんでは斬り、一太刀も無駄なく斬ってゆく。
「土方さん、私が出ましょう」
と控えの永倉新八がいった。
「いや、新参隊士にまかせておけ」
「お言葉だが、死人がふえるばかりだ」
永倉はとびだした。
歳三がみていると、永倉は弾丸のように群れの中に突き入って、藤堂の前に出た。江戸結盟以来のふるい友人である。
「平助、永倉だ」
といいながら剣をぬき、軒へ身をよせ、逃げろ、といわんばかりに南への道をひらいてやった。
藤堂は永倉の好意に気づき、駈けだそうとした。安堵したのがわるかったのだろう。背後に油断ができた。その背へ、平隊士三浦某が一刀をあびせた。
藤堂はすでに身に十数創をうけている。
さらに屈せず、三浦を斬ったが、ついに力尽き、刀をおとし、軒下のみぞへまっさかさまに頭を突っこんで絶命した。
服部武雄はさらに物凄かった。おそらく傷を負わせた者だけで二十人はあったろう。原田左之助、島田魁といった隊中きっての手練《てだれ》でさえ、服部の太刀をふせぎきれずに傷《て》を負った。やがて闘死。
毛内監物も闘死。
篠原、鈴木、加納、富山は乱闘の初期にすばやく脱出している。
死んだのは奇妙なことにすべて一流の使い手であった。かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持ちぬしを追いこんで行った。
(剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ)
歳三はふと、そう思った。
軒端を出たときには、月は落ちていた。歳三は真暗な七条通を、ひとり歩きはじめた。
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