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「みにくいあひるの子」だった私54

时间: 2019-09-23    进入日语论坛
核心提示:サーファーくんとの別れ「アンナ、いい加減(かげん)にしろ。この電話代、見てみろ」その月の請求書の金額は十五万円を超えてい
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 サーファーくんとの別れ

「アンナ、いい加減(かげん)にしろ。この電話代、見てみろ」
その月の請求書の金額は十五万円を超えていた。父が怒(おこ)るのも当然だった。
モデルをはじめてからも、サーファーくんとの付き合いは続いていた。その彼が、ワーキング・ホリデイでオーストラリアに行くことになった。二年間ぐらい、向こうで働きながら、プロを目指してサーフィンの練習に励(はげ)むという。
彼が出発するときに、一緒にロサンゼルスに行く計画を立てた。なぜロスだったかというと、そこにわが家の駆(か)け込(こ)み寺(でら)だった産婦人科医院の娘さんが留学していたから。
彼女は十二歳年上だったけど、私を実の妹のようにかわいがってくれた。彼女との思い出で忘れられないのは、私の十五歳の誕生日に、「マハラジャ」でバースデイ・パーティを開いてくれたこと。お酒が出る席でまさか十五歳とは言えないから、二十歳(は た ち)と嘘(うそ)をついて。彼女からボディコンの服とルイ・ヴィトンのバッグを借り、それに身を包んでいったら、バレなかった。彼女にはいろいろな遊びを教えてもらった。
彼と二人でロスの彼女を訪(たず)ね、そこで数日過ごしてから、彼はオーストラリアへ、私は日本へ、泣き別れ。彼が二年間も帰ってこないかと思うと、この世(よ)の終わりと思えるくらい悲しかった。
半年後くらいに、私のほうからオーストラリアまで会いにいった。現地で十日間ほど一緒に生活してきたけど、その十日間がとても楽しかっただけに、別れがよけいにつらくて、向こうの飛行場から飛行機の中、そして、成田(なりた)に着けば着いたでまた悲しくなって、恥(はじ)も外聞(がいぶん)もなく、声をたてて泣きどおしだった。
飛行機の中では、見るに見かねてか、うるさくてたまらなかったのか、隣(となり)のオーストラリア人のおばちゃんがハンカチを貸してくれた。その親切で、悲しみによけい火がつき、すぐに涙でハンカチが絞(しぼ)れるほどに。
東京に戻(もど)ってからしばらくは、毎日のように国際電話。おかげで、電話代は目玉が飛び出るくらい。手紙もひっきりなしに書いた。
でも、恋愛には、一緒にいないと成立しない部分がある。距離が離れると、日々に関係が薄(うす)くなり、しだいに疎遠(そえん)になる。
私がモデルの仕事をやるようになって、少しずつ売れてくるにつれて、彼は、「アンナが変わってしまう」「遠くに行ってしまう」と口癖(くちぐせ)のように言っていた。まして離ればなれでは、心まで離れていってしまう。
向こうには経済的余裕(よゆう)がないから、電話がかかってくることはほとんどない。そのうちに、こちらからかけても、留守(るす)でだれも出ないことが多くなる。手紙を書いても、返事はこない。
私は、「やることは変わっても、気持ちは変わらない」と言っていたし、その自信はあったけれど、相手からの反応が弱くなってくると、気持ちにも変化が起こってくる。
結局、離ればなれになって一年くらいたったところで、二人の付き合いは、どちらからともなく終わってしまった。二十一歳の冬、向こうは夏のまっさかりのころだった。
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