ひじを曲げ枕草子を読んでいる
天下泰平といえば、江戸時代はまた春本《しゆんぽん》天国でもあった。もちろん再三再四、いわゆる好色本禁令が出ているのだが、それは表向きのことで、本屋に行けば、どこでも半ば公然と売っているし、気軽に買いに出かけられないお屋敷のご婦人方のためには、貸本屋という便利なご用聞きがまわっていたものである。
貸本屋これはおよしと下へ入れ
放しやれと四五冊かくす貸本屋
滝沢馬琴《たきざわばきん》の『南総里見八犬伝《なんそうさとみはつけんでん》』や春水の『梅暦』など、ともかく人前に出せる文学書のほかに、四、五冊は歌麿《うたまろ》や国貞《くにさだ》などの枕絵をしのばせておき、まちがえてそれを出したふりをして、「これはおよし」と気を持たせて商売をするところである。
さて主題句は、そんな世の中だから、なんの変哲《へんてつ》もないようであるが、これは『論語』の文句、「ひじを曲げてこれを枕とす、楽しみまたその中にあり。」をふまえているということになれば、貧乏ひまありの漢学書生が、吉原に行く銭もなく、しようことなしに貸本屋から借りてきた枕絵の草子にウツを散じている、これまた春日遅々《しゆんじつちち》たる情景である。
なぜ一方できびしい禁令を出していながら、こんなのんきなことにあいなったのかというと、取りしまる方の将軍・大名などの上流社会で、十二カ月の体位を描いた枕絵がもっぱら『完全なる結婚』の代用品として用いられていたからである。
いくらなんでもお姫さまに、口上でくわしいことはご説明もうしあげられないので、極彩色の臨場感あふるる見取り図をお目にかけて、ご教育もうしあげたわけである。
あたり見回し絵のところ娘あけ
上流の武家社会だけではない、町人社会でも大いに性教育のテキストとして実用性があったのだから、掛け声ばかりで、取りしまりに身がはいらなかったのもむりはない。
おまけに武家社会では、春画をかならず具足櫃《ぐそくびつ》に入れておいたものである。
甲冑《かつちゆう》のそばに不埓《ふらち》な書《しよ》をさらし
具足櫃の中に入れてある不埓な書も、ついでに虫干ししてあるという図であるが、これは魔除《まよ》けとして入れたのである。