まだ月の障《さわ》りにならぬ姫小松
[#この行2字下げ]十四、五になると、たいがいの家の娘がそうであるように、袖子《そでこ》もその年ごろになって見たら、人形のことなどはしだいに忘れたようになった。人形に着せる着物だ、襦袢《じゆばん》だと言って大騒ぎしたころの袖子は、いくつそのために小さな着物を造り、いくつ小さな頭巾《ずきん》なぞを造って、それを幼い日の楽しみとして来たかしれない。
これは、島崎藤村《しまざきとうそん》の短編『伸び支度』の、書出しの一節である。娘から女へと成長していく母親のない子どもを見まもる男親の気苦労を語ったものだ。そしてもちろん、この書出しの一節は初潮直前の娘らしい変化をいったものだが、主題句もそういう微妙な時期の少女を、風流にいってのけたものだ。
姫小松の姫は、姫百合の姫とおなじで、小さくてかわいらしい意味をあらわす接頭語である。つまり、まだ松が小さいので、月見のさわりにならない、というわけだ。
それでいて女になる直前の、あの中性的なお色気がただよっている。光源氏《ひかるげんじ》が発見して、近い将来に期待をいだいた当時の紫《むらさき》の上《うえ》のような、可能性をはらんだあどけないお色気である。それをサラリと自然にたくして言ってのけた。これこそ風流古川柳の名にあたいする佳句である。
十三でぱっかり晴れし空われに月のさわりの雲もかからず
これは、かの有名なお直参《じきさん》の狂歌師|四方赤良《よものあから》こと蜀山人《しよくさんじん》大田|南畝《なんぽ》先生の狂歌であるが、おなじく自然にたくしているとはいうものの、いささかそっ直だ。みなさんもご存じの「十三ぱっかり毛十六」である。
女の子も十三になると、まだ雑草ははえないが、ぱっかりと形がととのってくる。伸び支度の第一段階というわけだ。しかし、まだ月のさわりはない。サッパリとしたもんだ、というのである。
なぜ十三という年齢が出てきたのか、よくはわからないが、八世紀のはじめの大宝律令《たいほうりつりよう》に、結婚の適齢を男は十五歳、女は十三歳ときめているところをみると、日本では昔から、女はおおむね十三歳ぐらいで、肉体的条件がととのうと考えられていたようだ。もっとも戦後は栄養がよくなったせいで、小学六年といえば十二歳ぐらいで初潮を見る子が多くなったそうだ。この年ごろの女の子を持った親ごさんは、気をくばっていただきたい、とPTAで女の先生に注意されたことがある。
新馬《あらうま》を娘しんまくしかねてる
[#この行2字下げ] ある朝、お初《はつ》は台所の流しもとに働いていた。そこへ袖子が来て立った。袖子は敷布をかかえたまま物も言わないで、あおざめた顔をしていた。
「袖子さん、どうしたの」
[#この行2字下げ] 最初のうちこそお初もふしぎそうにしていたが、袖子から敷布を受けとって見て、すぐにその意味を読んだ。お初は体格も大きく、力もある女であったから、袖子の震《ふる》えるからだへうしろから手をかけて、半分抱きかかえるように茶の間の方へ連れて行った。お祖母《ばあ》さんもなく、お母さんもなく、だれも言って聞かせるもののないような家庭で、生まれて初めて袖子の経験するようなことが、思いがけない時にやってきた。
またぞろ引用で恐縮だが、『伸び支度』の袖子が、いよいよ見るものを見た場面である。前もって教えてくれる人のない娘のことだから、びっくりぎょうてん、したわけだ。
たとえ母親があって教えておいたとしても、ある日ある時とつぜん始まったのでは、娘たるもの度を失って、始末しかねるのが当然だ。そこのところをいったのが、主題句で、「新馬」の馬とは、月例のものの異名である。「しんまく」は始末の俗語だから、意味はあきらかだ。そこで、
乗初《のりそ》めに駒の手綱《たづな》を母伝授
という句が生まれ、
初馬に乗ると娘もうまくなり
ということになるわけだ。はっきりと、男とちがう自分、女の生理と自覚を持つことになるのだから、うまくならざるを得ない。お色気ありそで、なさそで、ううーん、という黄色いさくらんぼ時代、セックスティーンと相なるわけだ。このころになると、女としての道具立ても出そろうことになる。