かよう遊ばせとセキレイびくつかせ
しかし、なんといっても、天地かいびゃく以来、最初の行ないであるから、どうしてよいやら、かいもく見当がつかない。『完全なる結婚』をはじめとするコンセツテイネイな手引き書があらわれたのは、人の世も末世となった最近のことである。
双方立つ気じゅうぶん、となった所で、とほうにくれておいでになると、その時セキレイが飛んで来て尻《し》っ尾《ぽ》をピョコピョコと動かして見せたので、なるほど、ああいうふうにしていたせばよいのかとお悟りになって成功なさった、と書紀に書いてある。動物は本能だけで生きているから、教わらなくってもできるのだが、人間はなまじ分別があるから、もたつくのである。
セキレイは一度教えてあきれはて
なんてったって、原始のたくましさだから、一度味をおぼえたが最後、のべつに遊ばされたであろう。教えたセキレイもあきれはてたことであろう、とこんなことは書紀には書いてない。これから先は庶民のかんぐりである。
教えられたもうと橋がみっしみし
お二人の晴れのデートの場所は、天《あま》の浮橋《うきはし》の上と『日本書紀』に書いてあるので、教えたセキレイがあきれるくらいだから、さぞかし橋がみしみしときしんだことだろう、とご想像もうし上げたわけだ。
なにしろ、ほかに人目はないのだから、青天白日の橋の上での営みは、壮烈をきわめたろう。アダムとイブが西洋の青|かん《ヽヽ》第一号とすれば、これは東洋の青かん第一号である。神宮外苑《じんぐうがいえん》、浜離宮《はまりきゆう》、皇居前広場、谷中墓地《やなかぼち》などで、今をさかりの青かん族が、イザナギ、イザナミの末裔《まつえい》であろうとは、今日という今日まで気がつかなかった。
ところでこの健康な「青かん」というコトバのもとは、テキヤ言葉の「かんたん場」、略して「かんたん」である。テキヤ言葉といえども、これはなかなかウンチクのある言葉で、語源は謡曲にもなっている、おなじみの中国の故事『邯鄲《かんたん》の夢』である。
唐《とう》の盧生《ろせい》という書生が、中国|河北省《かほくしよう》の邯鄲《かんたん》という町の宿で、仙人の枕をかりてひとねむりしたところが、ちょっとの間に一生の栄華を夢見て、人生のはかなさを悟ったという話だ。
この邯鄲をとって、一夜の宿を「かんたん場」、また野宿する場所を「おかん場」というのだが、同じ一夜の宿でも、この方は青天井《あおてんじょう》のショートタイムだから、「青かん」としゃれたわけだ。四畳半か六畳ですすけた天井の節穴をかぞえるより、小猿七之助《こざるしちのすけ》が奥女中|滝川《たきがわ》を青かんでしめる時のセリフじゃないが、
——下駄を枕にしっぽりと、空の星でも数えていねえ。(河竹黙阿弥作『網模様灯籠菊桐』)
という状態の方が、よっぽど爽快《そうかい》で、イザナギ、イザナミのいにしえもしのばれようというもんだ。