さて『太平記』に見える志賀《しが》寺の上人は、世にきこえた高徳の老僧であった。時代は平安期も中期に近い第五十九代|宇多《うだ》天皇の御代のことである。ある日出会った御所車の美女を一目見るなり、恋のとりこになってしまった。美女はたれあろう、菅原道真《すがわらみちざね》をザンゲンした左大臣藤原|時平《ときひら》の娘で、宇多天皇の寵をうけていた京極《きようごく》の御息所《みやすどころ》であった。われを忘れて御所車のあとからフラフラフーラとついて来た老僧をあわれんだ御息所が、みすの中から白い手をさし出してあたえると、上人はその手をしっかりと握りしめて、
はつ春のはつ子《ね》の今日の玉はゝき手にとるからにゆらぐ玉の緒
あなたのお手をとっただけで、わたしの命(玉の緒)はゆらぎます、とよむと、
極楽の玉のうてなのはちす葉にわれをいざなえゆらぐ玉の緒
どうかわたしを極楽へみちびいてください、と御息所は返歌して、老僧をなぐさめたという、はなはだエレガントなはなしだが、そういう上品なことでは川柳にならない。
老僧でゆらぐばかりと手を握り
手をにぎっただけですんだのは、何しろ年寄りのことで、ゆらぐのは玉ばかり、かんじんのものはグッタリしてるんだから無理もない、というわけだ。
手を握るばかり志賀ない老の僧
おなじみ源氏店《げんじだな》における与三郎《よさぶろう》のセリフ「しがねえ恋の情けが仇」の「しがない」は、つまらない、とるにたりないという意味だ。それを志賀寺の上人《しようにん》に引っかけたのがこの句の|みそ《ヽヽ》だが、いずれはわれも人もこうなるのだと思えば、そぞろ風が身にしみる。