語《かた》るなと詠《よ》んでも馬子《まご》がみなしゃべり
業平と小町を取りあげたついでに、同じく六歌仙の一人、僧正|遍昭《へんじよう》という坊さんの歌よみを取りあげよう。俗名は良峯宗貞《よしみねむねさだ》といって桓武《かんむ》天皇の孫、仁明《にんみよう》天皇につかえていたが天皇|崩御《ほうぎよ》とともに叡山にのぼって出家し、遍昭という。この坊さんがまたイキな坊さんで、
名にめでて折れるばかりぞ女郎花《おみなえし》われ落ちにきと人に語るな(『古今集』)
と、自然|諷詠《ふうえい》にたくした、色っぽい歌をよんでござる。
口どめをきれいにされる女郎花
というわけで、女郎花を田舎娘《いなかむすめ》に見たて、坊さんが娘に手を出したんじゃ、女犯《によぼん》の罪にとわれることになるから、お得意の歌できれいに口どめをした、というのである。
ただしかし、僧正ともあろう人が、口とりの馬子なしで馬に乗るはずもないから、いくら口どめしても馬子どもがみなしゃべりちらしたろう、というのが冒頭の主題句である。
われ落ちにきと語るなと後家は落ち
落ちたいけれども世間のこわい後家さんだって、思いは同じだ。
坊さんだって恋もするし、迷いもするという話をもう一つしよう。人のお手本たる身であれば、相当の覚悟をしてかからなければならぬわけだが、それがおまけに、これが最後という老いらくの恋だと、いよいよせつないことになる。
老《おい》が恋わすれんとすれば時雨《しぐれ》かな
と、物にとんじゃくせぬ俗人の蕪村でさえもよんでいる。