ハリーは歩きはじめた。目標は黒い扉ではなく、たしか左手にあったはずの入口だ。その開かい口部こうぶから法ほう廷ていに下りる階段がある。忍び足で階段を下りながら、ハリーは、どういう可能性があるかと、あれこれ考えを巡らした。「おとり爆弾ばくだん」はあと一個残っている。しかし、法廷の扉をノックしてランコーンとして入室し、マファルダとちょっと話したいと願い出るほうがよいのではないか もちろん、ランコーンがそんな頼みを通せるほど重要人物かどうかを、ハリーは知らない。しかも、もしそれができたとしても、ハーマイオニーが法廷ほうていに戻らなければ、三人が魔ま法ほう省しょうを脱出する前に、捜そう索さくが始まってしまうかもしれない……。
考えるのに夢中で、ハリーは不自然な冷気にじわじわと包まれていることに、すぐには気づかなかった。階段を下りて、冷たい霧きりの中に入っていくような感じだ。一段下りるごとに冷気が増し、それは喉のどからまっすぐに入り込んで、肺を引き裂さくようだった。それからあの忍び寄る絶ぜつ望ぼう感かん、無気力感が体中を侵おかし、広がっていった……。
吸きゅう魂こん鬼きだ、とハリーは思った。
階段を下りきって右に曲がると、恐ろしい光景が目に入った。法廷の外の暗い廊下ろうかは、黒いフードを被かぶった背の高い姿で一杯だ。吸魂鬼の顔は完全に隠れ、ガラガラという息だけが聞こえる。尋じん問もんに連れてこられたマグル生まれたちは、石のように身を強こわばらせ、堅かたい木のベンチに体を寄せ合って震ふるえている。ほとんどの者が顔を両手で覆おおっているが、たぶん、吸魂鬼の意い地汚じきたない口から、本能的に自みずからを守っているのだ。家族に付き添われている者も、一人で座っている者もいる。吸魂鬼は、その前を滑すべるように往いったり来きたりしている。その場の冷たい絶望感、無気力感が、呪のろいのようにハリーにのしかかってきた……。
戦え、ハリーは自分に言い聞かせた。しかしここで守しゅ護ご霊れいを出せば、たちまち自分の存在を知られてしまう。そこでハリーは、できるだけ静かに進んだ。一歩進むごとに、頭が痺しびれていくようだ。ハリーは、自分を必要としているハーマイオニーとロンのことを思い浮かべて、力を振ふりしぼった。
そびえ立つような黒い姿の中を歩くのは、恐ろしかった。フードに隠された目のない顔が、ハリーの動きを追った。ハリーの存在を感じ取ったに違いない。おそらく、まだ望みを捨てず、反発力を残した者の存在を感じ取っているのだ……。
そのとき突然、凍こおりつくような沈ちん黙もくに衝撃しょうげきが走り、左側に並ぶ地下室の扉とびらの一つが開いて、中から叫び声が響ひびいてきた。
「違う、違う、私は半はん純じゅん血けつだ。半純血なんだ。聞いてくれ 父は魔法使いだった。本当だ。調べてくれ。アーキー・アルダートンだ。有名な箒ほうき設せっ計けい士しだった。調べてくれ。お願いだ――手を離はなせ、手を離せ――」
「これが最後の警けい告こくよ」
魔法で拡大されたアンブリッジの猫なで声が、男の絶望の叫びをかき消して響いた。
「抵てい抗こうすると、吸魂鬼にキスさせますよ」
男の叫びは静かになったが、乾かわいたすすり泣きが廊下に響いてきた。
「連れていきなさい」アンブリッジが言った。