ハリーはその場に立ったまま、体をふらつかせていた。部屋の悪臭と暗さが、再びハリーの周りに戻ってきた。たったいま何が起こったのか、ハリーにはわからなかった。
「僕に、何か渡すものがあるのですか」
ハリーは、前よりも大きい声で、三度目の質問をした。
「あそこ」
バチルダは、部屋の隅すみを指差して囁ささやいた。ハリーが杖を構えて見ると、カーテンの掛かかった窓の下に、雑ざつ然ぜんとした化け粧しょう台だいが見えた。
バチルダは、こんどは先に立って歩こうとはしなかった。ハリーは杖を構えながら、バチルダと乱れたままのベッドの間のわずかな空間を、横になって歩いた。バチルダから目を離はなしたくなかった。
「何ですか」
化粧台にたどり着いたとき、ハリーが聞いた。そこには、形からしても臭においからしても、汚きたない洗せん濯たく物ものの山のようなものが積み上げられていた。
「そこだ」
バチルダは、形のわからない塊かたまりを指差した。
ごたごたした塊の中に剣つるぎの柄つかやルビーが見えはしないかと探るため、ハリーが一瞬いっしゅん目を逸そらしたとたんに、バチルダが不気味な動き方をした。目の端はしで動きを捕とらえたハリーは、得体えたいの知れない恐怖に駆かられて振ふり向き、ゾッとして体が強張こわばった。老魔女の体が倒れ、首のあった場所から大だい蛇じゃがぬっと現れるのが見えたのだ。
ハリーが杖つえを上げるのと大蛇が襲おそいかかってくるのが、同時だった。前腕を狙ねらった強烈きょうれつな一ひと噛かみで、杖は回転しながら天井まで吹っ飛び、杖つえ灯あかりが部屋中をぐるぐる回って消えた。蛇へびの尾がハリーの腹を強打し、ハリーは「ウッ」とうなって息が止まった。そのまま化け粧しょう台だいに背中を打ちつけ、ハリーは汚れ物の山に仰向あおむけに倒れた――。
化粧台が尾の一いち撃げきを受けた。ハリーは横に転がって辛からくも身をかわしたが、いまのいま倒れていた場所が打たれ、粉こな々ごなになった化粧台のガラスが床に転がるハリーに降ふりかかった。階下からハーマイオニーの呼ぶ声が聞こえた。
「ハリー」
ハリーは息がつけず、呼びかけに応こたえる息さえなかった。すると、重いヌメヌメした塊がハリーを床に叩たたきつけた。その塊が自分の上を滑すべっていくのを、ハリーは感じた。強力で筋きん肉にく質しつの塊が――。
「退どけ」床に釘くぎづけにされ、ハリーはあえいだ。
「そぉぉうだ」囁ささやくような声が言った。「そぉぉうだ……こいつを捕まえろ……こいつを捕とらえろ……」
「アクシオ……杖よ、来い……」だめだった。しかも両手を突っ張り、胴体に巻きつく蛇を押しのけなければならなかった。大蛇はハリーを締しめつけて、息の根を止めようとしている。胸に押しつけられた分ぶん霊れい箱ばこは、必死に脈打つハリー自身の心臓のすぐそばで、ドクドクと命を脈動みゃくどうさせる丸い氷のようだった。頭の中は、冷たい白い光で一杯になり、すべての思いが消えていった。息が苦しい。遠くで足音がする。何もかもが遠のく……。
金属の心臓がハリーの胸の外でバンバン音を立てている。ハリーは飛んでいた。勝ち誇ほこって飛んでいた。箒ほうきもセストラルもなしで……。