トンネルの中では、我に返ったハリーが目を開けた。叫さけぶまいと強く噛かんだ拳こぶしから血が出ていた。木箱と壁かべの小さな隙間すきまから、いまハリーが見ているのは、床で痙攣けいれんしている黒いブーツの片足だった。
「ハリー」
背後でハーマイオニーが、息を殺して呼びかけた。しかしハリーはすでに、視界しかいを遮さえぎる木箱に杖を向けていた。木箱はわずかに宙に浮き、静かに横にずれた。ハリーは、できるだけそっと部屋に入り込んだ。
なぜそんなことをするのか、ハリーにはわからなかった。なぜ死にゆく男に近づくのかわからなかった。スネイプの血の気のない顔と、首の出血を止めようとしている指を見ながら、自分がどういう気持なのか、ハリーにはわからなかった。ハリーは「透明とうめいマント」を脱ぎ、憎んでいた男を見下ろした。瞳孔どうこうが広がっていくスネイプの暗い目がハリーを捕とらえ、話しかけようとした。ハリーが屈かがむと、スネイプはハリーのローブの胸元をつかんで引き寄せた。
死に際の、息苦しいゼイゼイという音が、スネイプの喉のどから漏もれた。
「これを……取れ……これを……取れ」
血以外の何かが、スネイプから漏れ出ていた。青みがかった銀色の、気体でも液体でもないものが、スネイプの口から、両耳と両目からあふれ出ていた。ハリーはそれが何だか知っていた。しかし、どうしていいのかわからなかった――。
ハーマイオニーがどこからともなくフラスコを取り出し、ハリーの震える手に押しつけた。ハリーは杖つえで、その銀色の物質をフラスコに汲み上げた。フラスコの口元まで一杯になったとき、スネイプにはもはや一滴いってきの血も残っていないかのように見えた。ハリーのローブをつかんでいたスネイプの手が緩ゆるんだ。
「僕を……見て……くれ……」スネイプが囁ささやいた。
緑の目が黒い目をとらえた。しかし、一瞬いっしゅんの後のち、黒い両眼の奥底で、何かが消え、無表情な目が、一点を見つめたまま虚うつろになった。ハリーをつかんでいた手がドサリと床に落ち、スネイプはそれきり動かなくなった。