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決められた以外のせりふ02

时间: 2019-01-06    进入日语论坛
核心提示:私の顔 子供のころは、まんまるい顔だった。中学三年ごろから、すこしずつ長くなりはじめたようである。 小学生の時、大怪我を
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私の顔
 
 
 子供のころは、まんまるい顔だった。中学三年ごろから、すこしずつ長くなりはじめたようである。
 小学生の時、大怪我をした。鬼ごっこをしていて、高い平行棒から、コンクリートの上へ落ちたのである。足をすくわれ、頭から落ちた。運動帽をかぶっていなかったら、傷は致命的だったかもしれぬ。繃帯がとれても、額の真中の肉は、なかなか盛り上ってこなかった。今でも、眉をあげると、額のしわが、その傷のところだけ、不規則なゆがみ方をする。
 中学四年の時、ある朝、幾何の先生が大きなコンパスで黒板へ円を描いたら、その円が二つに見えた。近視性乱視の眼鏡をかけることになった。大学時代の私の写真は、だから、みんな眼鏡をかけている。
 軍隊にいた時、南方から帰ってきた操縦士が、小さな猿をつれてきた。一緒に遊んでいるうちに、猿は、私の眼鏡をとって、地面にたたきつけた。それを機会に、私は眼鏡をやめた。眼鏡なしでもそれほど不自由なわけではなかったし、爆撃は、猿のように器用に——というのはつまり、眼球に傷をつけずに——眼鏡をこわしてくれるとは限らなかったからである。それ以来、なんとなく今日に及んでいる。
 軍隊では、よく肥った。面長な顔がたちまちまんまるになった。体重は十六貫をこえ、当時の写真をみると、今日の面影はどこにもない。
 そこまで肥らなくてもいいが、もう少し、顔に、肉がついた方がいいようである。
 清水崑氏によれば、私の顔は、「鼻は並より高くて短く、顎《あご》は並より突出て長い。非常に特異な顔だから、何に扮しても地の味が人一倍露われる。その点、得でもあれば損でもある」そうである。長かったり短かったりするのが目立つのも、つまりは、顔全体の肉が薄いせいであろう。
 しかしなまじ肉が厚くなって、「何に扮しても地の味が人一倍」あらわれないようになっては、やはり「その点、得でもあれば損でもある」顔が出来あがってしまうかも知れぬ。——勝手にしろ、というようなものである。
 一体私は、自分の素顔にあまり興味をもたない。ずいぶん不精な役者だと思っている。ハムレットやドン・ジュアンやリチャード三世やアルセストの顔の方が、私にはずっと興味があるようである。
                                       ——一九五五年九月 サンケイ・カメラ——
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