ニューヨークのタクシーの運転手に、笑われたことがあった。
「行かないわけがないじゃないか。乗んなさいよ、早く」
つまり、こちらは、東京のタクシーの乗車拒否で鍛えられているので、つい念の押し方がくどくなるのである。
「ワタシハりんかあん・せんたあへ行キタイノデスガ、連レテ行ッテモラエルデショウネ、アナタ?」というようなことを、探るような目つきをして、妙にゆっくりと言うから、向うは目をぱちくりさせる。
去年の春から夏へかけて、五カ月ほどの西洋旅行中、乗車拒否をくらったのは、パリで二度か三度だけである。
アメリカのタクシーの運転手が、向うから話しかけてくる時には、大抵、日本の話で、たとえば、黒いスキー帽に黒い皮のジャンパーを着込んだ肥った赤ら顔の運転手が、バックミラーの中でちょいとウインクしてみせたりしながら、陽気にしゃべり出す。
「私も日本にいたことがあるんだぜ。たった一週間だが、兵隊でね、朝鮮のときさ。何て言ったっけな、あの町? コカフウか? 知らないかい?」
「甲府カナ?」
「コウフ……違うね。ほら、島があるだろう、大きな。キヨトウか?」
「京都ハ町デスヨ」
「はてね。じゃあ、キヨショウか?」
「九州デショウ」
「それそれ、キューシューだ。その島にあるんだ、コカフウは」
「九州ノこかふう? 福岡ダロウ」
「あ、フクオーカだ! やっと思い出した。ほら、知ってるじゃないか、あんた!」
こんな目にたびたび遇ったのは、むろんアメリカだけである。ヨーロッパのタクシーの運転手とは、とてもこうは行かない。日本のありかさえ定かではないのだから、とてもキヨショウのコカフウまでは手が廻らないのである。
ローマのタクシーは、緑と黒のツー・トーン・カラーの小型車で、この噴水の多い、樹木の少ない、曲りくねった道のつづく古い大理石の町に、よく似合っており、料金も安いので、気が張らないのが何よりである。
ベルリンでは、どういう廻り合せか、タクシーを止めると、運転手はかならず、体格のいい老人であった。しかもその殆どが、白髪である。ダブルの背広に中折帽を冠り、真白な口髭をたくわえた運転手の車に乗った時には、自家用車に乗せてもらっているような、妙な気分がした。
行先を、注意ぶかく聴く。聴き終ると、はっきり頷《うなず》いて、慎重にスタートする。がっしりした両手が、ハンドルに柔らかく置かれている。やや大げさな言い方をすると、この走る機械の主人はまさしく彼であるという感じがする。彼らの風貌には、老工場長や老船長に共通するおだやかな威厳があった。
パリのタクシーは、ひどく楽しいのがあるかと思うと、がっかりすることもあって、はなはだ変化に富んでいた。
どういうのが楽しいかというと、たとえば、客席にしゃれた色の毛布が敷いてあったりする。レモン色のカーディガンを着た若い運転手に、声をかけて、振向くのを見ると、女だったりする。昔のフランス映画の俳優、レイモン・コルディによく似た、鳥打帽の運転手が話しかけて来たりする。
「ごらんよ、旦那。デモだよ。学生は威勢がいいね。若い者はいつだって威勢がいいや。それっていうのも、つまりは仕事を持たないからさ。仕事を覚えるってのは、大変なもんだ。早い話が、旦那、どんな小さな、短い横町の名前でもいいから、言ってごらん。パリの町だったら、自慢じゃないが、隅から隅まで知ってるよ」
しかし、何といっても、最高のタクシーは、ロンドンである。
オースチンの無骨な大型で、乗り心地は、やや硬く、かならずしも上乗とは言えない。それが、しばらくする内に、かえって頼もしい感じになってくる。
それというのも、運転手がいいからである。老いも若きもおしなべて、親切で礼儀正しく、地理に精通し、正確丁寧な運転をするからである。「自慢じゃないが」と前置きをするまでもなく、文字通り、ロンドンの町ならば、隅から隅まで知っていないと、免許が取れない仕掛けになっているようである。東京や大阪のように、日々これ新たなる都会では、通用しかねる仕掛けである。
ワシントンのタクシーの、若い黒人運転手のおしゃべりを思い出す。
「あんた、東京から来たの? すごいね、あそこのタクシー。蛇行運転、割り込み、スピード。アクロバットだね。ヴェトナムからの帰りがけだったけど、ヴェトナムより恐かった。あんた、いつから東京? 生れてからずっと? タクシーの事故は? 一度も? 運がいいんだねえ! でも、でも、日本人、器用なんだな。ハンドルさばきがうまいんだ。だけど」
と、ちょっと考えて、
「運転手は、責任があるよ。タクシーも、飛行機も、ね」
——一九六九年五月 小説新潮——