食欲のない時は、まったく閉口する。
元来、食い意地は張っている方で、おいしいものなら、日本料理でも、西洋料理でも、来るものは拒まずの精神でのぞむから、フルコース恐るるに足らず、よほど品数の多い中華料理の卓でも、杏仁豆腐、果物、場合によってはアイスクリームのフィナーレまで、悠然と平らげるのが常である。
それだけに、体に違和を生じて、食欲を失った時には、我ながら、何とも情けない思いをする。
多少、体の具合はおかしくても、場合によっては飛んだり跳ねたりする激しい肉体労働を、休むわけにはゆかぬ因果な商売だから、食欲の減退は、てきめんにこたえるのである。
劇場やスタジオに入る前に仲間と一緒に腹ごしらえをする時も、食欲のない時には、憂鬱なこと、一と通りではない。見ろ、この鰻。見ろ、このヒレカツ、エスカロップ、八宝菜。誰もそんなことを言うわけではないが、こちらはひがんでいるから、そんな声が聞えるような気がするのである。
いくらかでも、力をつけようと、プリンなんかを、舐めるようにたべる。
しかし、長年そんなことを繰返している内に、よくしたもので、この頃は、食欲のない時にはない時なりに、これに対処する道のあることを、自得した。
一と口に言うと、あくまでも、うまいものを食ってやろうという気概を、堅持することである。絶対に、憂鬱になったり、ゲンナリしてはいけない。おれは今、食欲不振である。まったく食欲がない。こういう時にこそうまい食物は何であろうか、という風に考えるべきなのである。
この間も、風邪を引いて、三十八度台の熱が数日間続いたが、私は、待っていましたとばかり、お粥《かゆ》と梅干、白桃のカンヅメ、青いアスパラガスの塩茄で、仙台の笹蒲鉾《ささかまぼこ》、冷たいレモン紅茶、かれいの塩焼きの冷えたのなどを、飽食した。
かれいは、身をむしって貰うのである。身をむしるという簡単な手間が、食欲を増してくれることは、おどろくばかりである。日本でこそ、子供、老人、病人向きのやり方だが、フランスなんかでは舌平目の葡萄酒蒸しやバタ焼きの身をむしったのを、ちゃんとレストランで出す。「舌平目の良妻風《ポンヌ・フアム》」とか「舌平目の美しき女主人風《ベル・オテス》」とか、しかるべき名前がついている。しかし現代の日本の家庭では、病気の時でもないと、うっかり注文出来ない。だから風邪をひいた時に、これを飽食する。「かれいの悪妻風」である。
地方公演に出る。大抵が、一都市一公演である。毎日、汽車に乗るから、これは移動だけでも重労働である。さすがに食欲旺盛なわが仲間たちも、何となく、ぐったりしてくる。
一月のある午後、佐賀の宿屋へ着く。
全員食欲不振である。しかし夜の芝居があるから、何か腹に入れておかなくてはならない。女中さんが出前の注文を取りにくる。すし、中華、親子丼、カツ丼。全員無言である。
今、一番うまいものは、何か。今、食欲不振の東京の男が、この宿で、喜んで食べられるものは何か。一心に考える。これが大事である。果して、名案があった。
「お雑煮、出来ませんか」
「はあ、家で私らのたべるようなのは出来ますけれど、お口に合わんでしょうに」
「冗談じゃない。それ下さい、それに限る」
出前にこだわるから、うまいものが出てこないのである。佐賀の宿の小さな丸餅の雑煮は、珍しいだけでなく、まさに味覚の傑作であった。おかげで私の雑煮熱は九州公演中ずっと持続して、長崎でも、博多でも、小倉でも、鹿児島でも、それぞれの町の伝統的雑煮の妙味を満喫することが出来た。
食欲不振の時には、まさにその時にこそうまいものをたべるに限る。それが、健康な、本来の食欲を招来する唯一の道だろう、と私は考えている。
——一九六九年二月 栄養と料理——