ドイツ語ときたら、自慢ではないが、まるで分らない。
だから、ベルリンのテンペルホフ空港にパン・アメリカンの日本人社員M君が出迎えてくれたのは、大助かりであった。乗り換えのフランクフルト空港の、同じ会社が、連絡を取ってくれたのである。
「ドイツは初めてでいらっしゃいますか」
「ええ。西洋がはじめて」
「ベルリンにお知り合いは?」
「ええ。吉田秀和さんが……」
すると、M君はびっくりしたように声をあげた。
「あ。吉田さんは一昨日ストゥットガルトへおいでになりましたよ」
さあ、一大事である。
わずか四日間のベルリン滞在だが、できることなら、いい芝居が見たい。東ベルリンのベルリーナ・アンサンブルは見逃せないが、西ベルリンの芝居となると、さっぱり見当がつかない。吉田さんの助言にすがるほかはあるまいと、厚かましく独りぎめをしていた。その杖とも柱とも頼む吉田さんがお留守とは、情けない。
タクシーが来る。ドアを明けてくれながらM君が言う。
「ホテルはどちらですか?」
「アム・ズー」
「は? ああ、アム・ツォーですね」
これだからドイツ語は、閉口である。動物園ホテルという名前まで、なんだか人を馬鹿にしているようで、おもしろくない。
走り出す。熊のように大きな背中のジャンパー姿の運転手が、ふと、聞き返す。
"Am Zoo?"
妙に眠たいような声で、見ると、女である。ぎょっとする。
「ヤア、ヤア、ヤア」
いくら知っている言葉だからといって、三べんも言う必要はない。あわてているのである。
動物園ホテルは、目抜き通りのクルフュアステンダムに面した小ぢんまりとしたホテルであった。
眼鏡をかけた、血色のいい、小肥りのフロント係の老人が、鍵をくれる。ここは英語が通じるから、有難い。昨日まで四泊したミラノのホテルの大きな鍵は、鶏卵大のずっしりと重い鉛の球がぶら下っていて、びっくりしたが、ここの鍵も、よく似た形をしている。ただ、ここのは、ジュラルミン製の球で、軽いのが取柄である。
内扉のないエレベーターに乗って、部屋に入る。万事、頼りない気分である。
浴室の鏡をのぞくと、蒼ざめた、不安そうな顔がうつる。これが自分の顔か。四十五日間アメリカに腰を落ちつけた後、重いスーツケースを提げて、イタリア一週間の汽車の一人旅が、こたえているのだろう。
一と休みした後、吉田さんのお宅へ電話をする。果してベルが空しく鳴るばかりである。
そのうちに、ふと思いついた。誰か、演劇関係の留学生はいないか。
ニューヨークのリー・ストラスバーグの俳優学校と、ローマの国立演劇学校には、一人ずつ日本人の学生がいて、いずれも未知の方だったが、いろいろおもしろい話を聞くことができた。ベルリンにも、誰か、いるだろう。
日本総領事館に照会を頼むのが、近道だろう。電話では意が尽せないから訪問するに限る。訪問するには、まず電話すべきである。しかし、電話をすれば、まずドイツ語が聞えてくるだろう。しかし、すぐに英語か日本語が聞えてくるから、心配はない。しかし、そのちょっとの間が、いやだ。とても、いやだ。しかし、せいてはことをし損ずる。しかし、当って砕けろということもある。だめならだめで、町歩きに切り換えればいい。手間と時間が惜しい。よし、出かけよう。
論理が飛躍している。不連続である。疲れているせいもあるが、旅行は、多少行きあたりばったりのあった方がおもしろい。いや、旅に限らず、人生、理性だけが行動を決定すべきであるという考え方は、おもしろくない。
今度のタクシーの運転手は、律義な背広姿の老人で、私の差出した紙片に眼を通すと、にっこりうなずいてスタートする。
ところが、いくら走っても、総領事館に到着しない。商店街を過ぎ、住宅街を通り、高速道路に入り、静かな郊外の住宅地を走るうちに、あたりはだんだん、別荘地のような眺めになってきた。林の中に家がちらほらしている。白樺なども生えている。高原のようである。
こんなところに総領事館があるはずはない、と思った次の瞬間、私は、とんでもない想像をして、ゾッとした。もしや、私は、誘拐されかけているのではないか。何者かが私のパスポートをねらっているのではないか。
突然の恐怖、とはこのことで、私は「遠すぎる」と英語で叫び、反射的にドアの把手に手をかけた。いざとなったら、昔のイギリス映画「二つの世界の男」のジェイムス・メイスンのように、車から飛び降りて逃げるほかはない。
しかし、老運転手は一向に動じない。にっこり振り向いて、大丈夫、もうすぐだ、というようなことをドイツ語でいう。メーターを指して、あと一マルクもないから安心しろ、と付け加える。私が料金を気にしているものと思っているらしい。いや、料金も大いに気になるのである。
間もなく、無事、総領事館に到着する。ほら、ちゃんと着いたでしょう。老運転手はまたにっこりする。ごく自然に、チップをやる。
あたりには落葉松《からまつ》や、楡《にれ》や、白樺が生い茂り、どこかで山鳩が啼いている。四月のはじめだというのに、空気は澄んで冷たく、軽井沢のようである。総領事館の建物もどこやら、古い山荘めいた風情がある。呼鈴を押す。
やがて、内に人の気配がする。扉が明く。
若い、かわいらしいドイツ人の女性が立っている。少女、と言った方がいいかも知れない。黙ってこちらを見る。
私は用意していた名刺を差出し、前もって電話をしなかった非礼をわびた後、どなたか日本人の職員の方は、と英語でたずねた。
「皆さん、今、お仕事中です。どういう御用件ですか?」
軽く顎をひいて、じっとこちらを見たまま、英語で返事をする。
「日本人の演劇関係の留学生の方を紹介していただきたいのです」
「ああ、そうですか」
ちらと私の名刺に目を落す。そこには私の職業も書いてある。
「困りましたね。皆さん、会議中なので」
また、青い眼が、じっとこちらを見る。なんだか、点検されているようである。美人である。
「残念です。ぼくは日本の留学生の方と、西ベルリンの芝居について緊急会議を開きたいと思って伺ったのですが」
美少女ははじめて、小さく笑った。歯並みがきれいである。
「分りました。中へ入ってお待ち下さい」
通された部屋は玄関に続く広い応接室で、二階への階段口の向うに、タイプライターをおいたデスクが見える。その机の上を手早く片づけながら、
「お取次ぎしますけれど、しばらくお待たせするかも知れません。何分、突然なので」
青い眼が、なごんでいる。そして、すらりとした脚が、階段へ消える。
実は、この時にはまだ、私は何も気づいてはいなかった。それに気がついたのは、彼女が階段を降りて来る直前であった。
——待てよ、誰かに似ているぞ、あの人は……誰だろう? ニューヨークのジャパン・ソサエティの……いや違う。ローマの劇場で見た……いや違う……。誰だっけ?
その時、階段口に、その人が姿を現わした。相変らず微笑している。褐色の髪、卵形の顔、さわやかな青い眼、形のよい鼻、唇……
「お待たせしました。あと、二、三分で会議が終り……」
その言葉が終らないうちに、突然、電光に打たれたように、私は思い出した。
——そうだ! 高峰秀子だ、この人は!
「……から、もうしばらくお待ち下さい」
「メルシー・ボクウ・マドモアゼル」
どうして急にフランス語を使ったのか、分らない。意外な発見に、心がおどったせいかも知れない。カッコイイところを見せたかったのかも知れない。英語には「マドモアゼル」に相当する呼びかけの言葉がない。なんとか親愛の情を表わしたいという気持が、フランス語になって飛出したのかも知れない。
ベルリンの高峰秀子は微笑して——何も言わなかった。
知人とよく似た外国人を見るのは、実はこれが初めてではない。今度の旅行でも、すでに三人お目にかかっている。
日本を発って五日目に、サンフランシスコで、略称A・C・Tという劇団の、シェイクスピア作「十二夜」を見た。オリヴィアを演じているデボラ・サッセルという女優が、私たちの劇団「雲」の、戸山啓子と瓜二つであった。しかし、戸山さんは、もともとキューピー人形に似たエキゾティックな容貌の持主であるから、この時は、あまり驚かなかった。これが第一。
二度目は、ニューヨークのブルック・アトキンソン劇場で、アルバート・フィーニーを見た時で、この英国生れの卓抜な俳優は、伊丹十三氏に似ていた。フィーニーが伊丹氏に似ているとは、かねてから秘かに思っていたことなので、この時も、再確認したというに止まった。
びっくり仰天したのは三度目で、これはちょっとやそっとの似方ではなかった。
ニューヨークに、略称A・P・Aという、非常にすぐれた劇団がある。そこで、イヨネスコ作の「王様御退場」を見た。主役の王様を演じるリチャード・イーストンという俳優が、千田是也氏そっくりである。「桜の園」では、このイーストンが、千田さんの持役のトロフィーモフを演じるから、なおさら気味が悪かった。顔、体つきばかりでなく、身振り手振り、芝居の端々に至るまで、よくもこう似たものだと感心し、千田さん、どうしてこんなところで、英語なんかで芝居をしているのですか、と声をかけたくなったほどであった。
しかし、四人目の似方は、どうも、少し違うようであった。アメリカの三人は、似ていることにすぐ気づいたのだが、ベルリンの総領事館のお嬢さんが、高峰さんに似ていると気づいたのは、大分時間が経ってからであった。いわば、じわじわと気づいたのである。
その分だけ、前の三人は客観的に似ていて、後の一人は、主観的に似ていた、ということになるかも知れない。
主観的に似ている、ということは、感傷のなせる業かも知れない。ベルリン空港到着以来の私の肉体的心理的疲労が、タクシーの中で突然、映画的空想となって現われたように、ベルリンの高峰さんとなって現われたのではないか。つまりこれは、一種の郷愁なのではないか。私はべつに、高峰さんとも、松山善三さんとも、とりわけ親交があるわけではないが、これはいわば、フランスのモンマルトルの踊り場に笛吹く男海老蔵《えびぞう》に似る(久保田万太郎)というようなものではあるまいか。
結局、演劇関係の留学生はベルリンには一人もいないことが分り、私は総領事館を辞去した。ベルリンの高峰さんは、最後まで、ベルリンの高峰さんであることを止めなかった。彼女は玄関まで私を送ってくれた。そして、フランス語で言った。
「ボン・ヴォワイヤージュ・ムッシウ」
郷愁か、それも良し、感傷か、それもまた良し、という気分になった私は、帰途、チャーリー・チャップリンがスポーツ・シャツ姿でオープン・カーを運転しているのを見た。ホテルのフロント係は、細川隆元氏であった。彼らはミラノのホテルの鍵と動物園ホテルの鍵が似ている以上に、よく似ていた。ノスタルジアの連鎖反応である。
よく食べて、よく寝たが、反応は翌日まで持ち越した。ベルリーナ・アンサンブルは、ショーン・オケイシーの「真紅の塵」を上演していたが、その、ブルジョアの家族の女中の役を演じているアグネス・クラウスという達者な女優が、顔形といい、大きな物憂げな眼ざしといい、官能的な唇といい、低い声音といい、まったく、西村晃氏にそっくりであった。じわじわと気がついたところは、総領事館のお嬢さんと同じである。
昔、徳川夢声氏が、日本人の顔は何種類かの原型に分類することができるのではないか、という意見をのべられたことがある。それを読んで、私は、わが意を得たり、という気がした覚えがある。
その筆法でゆくと、ドイツ人やアメリカ人や、中国人などの顔も、何種類かに分類できるはずである。アングロサクソンとラテンとでは、ずいぶん違うかも知れないが、現実のイギリス人と、たとえばフランス人とは、その分類図の端の方で、重なり合うのである。日本人は、その重なり方が、西洋人に対して、少ないには違いないが、とにかく、重なっている部分があることは、間違いなさそうである。
そうして見ると、俳優の個性などというものも、ずいぶん頼りないものかも知れない。「私は私なりに」などと、すぐに言いたがるが、その私と瓜二つの俳優が地球の向う側で、私の役を演じているかも知れないのだ。
私の観察も、あながち、感傷とばかりはいい切れないかも知れぬ。
——一九六八年一〇月 藝術新潮——