「ハムレット」の稽古は、私たちにとって速力とのたたかいであった。あんなに速いテンポで芝居をしたこと、それに苦しんだことは、それまでになかったし、その後も一度もない。
以前に私たちは、福田さんの「キティ颱風」と「竜を撫でた男」とを上演している。これは、両方とも、はなはだテンポの速い芝居であった。たまたま、そうであったというのではなく、福田さんの考えでは、今までの日本の心理劇、写実劇なるものが、そもそも、テンポが遅すぎたのであった。戯曲と演技との双方にかかわることだが、かりに演技だけについていうと、リアルな演技といわれているものに、意外に、もっともらしい思い入れや無用な間《ま》が多く、それがかえって、ドラマを弱めている場合が少なくないのである。
これは、私たちにはよく納得のゆく事柄であった。私たちは福田さんに導かれて、せりふと、そのやりとりの速度とを、今までの芝居の倍ちかく速めるという、むずかしい、しかし大いにやり甲斐のある冒険を二度こころみ、それにある程度成功していた。つまり、現代劇に関する限りでだが、テンポの速い芝居にたいする下ごしらえが、いくらかは出来ていたのである。
そこへ、「ハムレット」が来た。
坪内逍遙訳で読みなれていた「ハムレット」のイメージは、はじめて上演台本を読んだ時、たちまち粉砕された。せりふは簡潔で力づよく、律動的で、歯ぎれがよかった。これは、かなりテンポの速い芝居になるだろうという予想を、私たちは稽古にはいる前から、興奮して話しあったものだ。
しかし、実際に稽古がはじまってみると、この予想は、はなはだ甘いものであったことが、否応なしに分ってきた。それは、もはやテンポの速い芝居、というようなものではなかった。
せりふのあまりのスピードのために、私たちのもっている芝居や演技というものについての概念が空中分解をおこしてしまうほどのすさまじい速力を、速力のあるせりふの語り方を、福田さんは私たちに要求されたのである。
速く、より速く、ひたすらに速く語ることが、私たちの最初の、そして最後の仕事になった。
せりふを速く語るためには、せりふをつらぬく意識と感情とが、それに伴って、あるいはそれと相前後して、速く働かなければならなかった。急激に、強く、揺れ、変化し、高まり、流れなければならなかった。祭典劇「ハムレット」の秘儀も、ハムレットの変幻自在の魂も、この意識と感情の速い流れの中にだけ息づいているようであった。しかし、ややもすると、せりふのテンポが落ち、劇の流れが停滞した。私たちは心理劇風、写実劇風の演技から、依然として脱しきれずにいたのである。
初日は名古屋であった。上演時間は三時間半、まず異例といっていいスピードである。楽屋へ帰った私は、福田さんに、芝居の出来を訊ねた。福田さんは微笑して答えられた。
「結構でした。しかしまだテンポが遅い。東京の初日までに、もう二十分縮めるつもりでやって下さい」
私は呆然とした。一体、そんなことが可能であろうか。
しかし、福田さんの計算は適確であった。東京の初日は六時にはじまり、きっかり九時十分に終ったのである。
——一九六〇年 オセロ——