田端の家の、暗い四畳半に、黒く焼けた銀泥の小さな額がかかっていた。少し黄ばんだ紙に書いてある筆太の文字が、子供の眼には絵のように見えた。僕は好んでその字を、大きな花と鳥と少年の姿とに、なぞらえていた。
それが、父の一高時代の恩師菅白雲先生の書で「方外」と読むのだと教えられたのは、ずっと後のことである。
人の道にそむくこと。隠遁者。外国。「方外」という言葉にはそんな意味があるらしい。この小さな額の文字は、父の生涯を思う時、象徴的な翳《かげ》りをおびて見える。
はじめは軽い明るい気持で、後年には切ないはりつめた心で、父はいくたび方外を望んだことであろうか。父の生きていた時代の方内の堪え難い暗さを思わないわけには行かない。
——一九五〇年五月 三高文藝——