ラジオ、テレビの演出家、プロデューサーの方々は、私たちの年来の知友であり、語り草には事欠かないが、その気質や型について分類を試みよという課題を与えられると、私は困惑せざるを得ない。なぜなら、共に悪戦苦闘の一夜を過し、共に順風満帆の一日を送ったそれらの信頼すべき友、愛すべき友、あるいは恐るべき友たちを、標本のように分類することは、はなはだ礼を失したやり方だし、第一、あの多種多様の個性や気質や才能を、要約し概括することは、到底不可能と思われるからである。
そこで、止むを得ず、フィクションに頼ることにした。といっても、まったくの作り話ではない。これは、いわば一種の合成的肖像画である。
A 氏。
見るからに精悍である。眉濃く、眼元涼しく、凝ったネクタイ、意外なことに、甘党である。
読み合せ。ミスプリントの訂正、役柄、年齢の指定、欠席の役者の代読者の指定。カチリとストップ・ウォッチ——やがて途中で、カチリ。
「はい、ここまでで十分。ここから波音。ト書を五行繰りあげるわけです、いいね? じゃ次を。はい」カチリ。てきぱきと進む。
一回終ったところへ欠席の役者が、汗をふきながらあらわれる。
「どうもすみません」
「やあ、お疲れさま。一寸休みましょう」
煙草に火をつける。調整、効果と打ち合せ。
「おいおい、お茶はもうないのかい? 頼むよ。はい、それでは頭からもう一度、お願いします」
今度は途中でダメを出す。
「そこ、もっと強く相手にぶつけて見ませんか」
喜劇的な場面になると、役者と一緒に大笑い。やがて、最後のウォッチがカチリと鳴る。
「結構です。明日は、午前一時までとなっていますが、十二時前に終ります。じゃ、お疲れさま」
立上って部屋を出ながら、
「え、大洋が勝った? いいぞ! 打点王は桑田、絶対! 賭けてるんだ!」
むろん、翌日の録音は、十一時半に終る。作品は、民放祭で受賞する。ラジオ、テレビ界の荒波を突きぬけてゆく、水泳ならば自由型のチャンピオン。
B 君。
痩せている。酒豪。言語動作、すべて慎重丁寧。案外、はにかみ屋である。
「ラジオ・ドラマをお願いしたいのですが。ご都合がよろしければ、十月十日前後に」
なんと、三カ月先の話である。せっかちな、慌しきマスコミ人というような月並な形容は、B君には当てはまらない。
長い準備と稽古の後、録音がはじまる。あまり広くないスタジオの中に、マイクが四本立つ。凝るのである。
「では、本番まいります」
電子音楽。BGとなり、語り手「彼だけが知っている!」音楽とクロス・フェイドして、街のノイズ……NG!
「すみません。もう一度お願いします」
電子音楽。BGとなり、語り手「彼だけが知っている!」……NG!
「すみません、もう一度」
電子音楽……NG!
妥協しないのである。ガラス越しに見る副調整室の中の彼の頬は青ざめ、髪は乱れ、眼は血走り、しかし毅然《きぜん》としている。このドラマの成否は、正に、彼だけが知っているのである。
「一寸。そこの靴音、もう一度テストからお願いします。早足になりたいのをがまんしてゆっくり歩いている感じ。——はい、結構です。では本番!——ほらまた! ダメだなあ! どうして立止っちゃうの?」
朝の五時に録音が終る。B君は宇宙旅行から帰った眠狂四郎のような顔をしている。
「お疲れさま。え? ぼくはこれから編集をしなくてはならないので」
月間のベスト・ワン。藝術祭には必ず参加するB君は、水泳ならば潜水泳法の達人である。
Cさん。
小柄で肥っている。テレビと共に育った人。おもしろい柄のシャツを着ている。すぐ笑う。
「このせりふ、へんですね。カットしましょうか? でも、そうすると、つながらなくなるかな、次のせりふと。ハハハ、困ったな。じゃ、次のせりふもついでにカットしちゃいましょう。いいでしょう、すぐ後で同じようなこと言ってるから。ハハハ。でもくどくど同じこと言うのが、この役の性格なのかも知れませんね。だから残ったせりふを二倍くどくど言って下さい。無理かな? ハハハ。でも仕方がありません、時間が足りないんだから」
立稽古が終る。
「時間はどう? 五分長い? ハハハ、大丈夫、せりふがちゃんと入ればちょうどよくなる。じゃお疲れさま」
楽天的なのである。翌日。ドライ・リハーサル。
「はい、ここから1カメ。だめ? どうして? 間に合わない? 間に合わないはずは——あ、ごめん、3カメです、ハハハ」
ドライが終る。
「やっぱり長かった。カットします。十分長いんです。おどろいたな、ハハハ」
本番が無事終る。
「すみませんでした。でも、うまく行きました、おかげさまで。ハハハ」
このドラマが、批評、聴視者の反響、すべて最高。再放送となる。Cさんは局中もっとも担当本数の多いプロデューサーの一人、水泳ならば、まず、浮身の名人であろうか。
——一九六一年一〇月 放送朝日——