このごろ、あたらしく出来た駅やホテルや銀行の、廊下やロビーや食堂や待合室などで、椅子のあたらしい配置法というか、配色法というか、今までとはちょっと変ったやり方をしているのが、目につくようになった。その一つに、こんなのがある。
同じ椅子が二十並んでいる、とする。みな同じ色をしているのが、普通である。ところが、このあたらしいやりかたでは、ところどころに、違う色の椅子が挾まれる。黒ではじまり、やがて朱が二つ。また黒三つ。ぽつんと白。また黒。と思うと、朱白朱白朱とハデになり、ふたたび黒。
非連続、不規則というのが原理のようである。形はみな同じだから、その方からくる整然とした感じが、非連続、不規則から生ずる雑然とした感じとうまく混ざり合う。
腰をおろす時、つづいた黒の中へおろそうか、ぽつんと鮮やかな白にしようかと、一瞬、眼がとまどったりするのも、おもしろい気分で、私はこの椅子の並べかたは、わるくないと思っている。むろん、椅子の設計や配色、配置にちゃんとデザイナーの神経が通っているものとして、の話である。
大勢があつまって、ゆっくりと、屈託のない話に花を咲かせる時などは、こういう連続の整然の気分と非連続の雑然の気分とが、うまい具合に混じり合うのが、理想的だが、いくら気の合った仲間同士でも、人数が多くなるにつれて、なかなかそうは行かなくなるのが、普通である。
新年のあつまりなどで、「おめでとうございます」からしばらくの間は、なんとなく同じ色の椅子を皆で並べているが、その内に、持ち出す色が一人ずつ違ってくる。うまく相槌を打って話をひき出す役や、思いがけない連想で話題を転じる役や、微に入り細を穿《うが》つ記憶力で話の肉付けをする役や、控え目な口数や微笑で話にブレーキをかける役や、笑いが止らなくなって話に活気を与える役や、あれこれの役が入り乱れて、次から次へと色とりどりの話の椅子を並べはじめる。その噛み合せが、ひょっとして狂うと、またもとの一つの色の話に返ってきて、
「こんどのきみの役、あれ、気違いなんだろう?」
「そうなんだ」
「だけど、お客にはっきり分るかしら、それが」
「いや、そんなにはっきり分らないものなんだよ、精神異常ってやつは。この間のアメリカの高校生みたいなものでね」
「でも、それが分らないと、困るんだなあ。お客は混乱しますよ」
「はっきり人目には分らない気違いだってことを、はっきり見せればいいわけだ、演技で」
「そこね、むずかしいのは」
「地でいけばいいってんでしょう、地でいけば」
「まあそうひがむな」
「この間、会ったよ、そういうのに」
「へえ、いつ?」
「暮の公演の千秋楽さ。楽屋口で待ってるんだ。きちんと背広をきた背の高いハンサムな青年でね『ちょっとお話したいことがありますのでお待ちしていました』って」
「ああ、あの人! ぼくも会った。『Kさん、まだでしょうか』って言うから『すぐ来ますよ』、って言ったら『そうですか、どうも』って。ちゃんとした人だったがなあ」
「それがね、名刺をくれてね、並んで歩きながら、魔法瓶の作りかたを話すのさ」
「ふうん」
「ものすごく、くわしいんだな、それが。外側と内側と、二つのポットの中間を、真空にする方法なんかを、とても丁寧に話すんだ。はじめのうちは、黙って聞いてたんだが、ハッと気がついた。こりゃいかん、と思ってね『失礼します』って言ったら『でも、もう少しですから。これをA市の議会にかけるご相談をしたいと思って』って言う」
「どうしました?」
「つい、つり込まれて『投書するんですか』ってきいた」
「ヨワイなあ!」
「そうしたらね、ジロリと横目でにらんでね」
「また! すぐやって見せる!」
「『ぼく、議長です』って」
「ふうん。それから?」
「逃げたさ。あわててタクシー止めたら、いっしょに乗ろうとするんだ。大汗かいたよ」
「ふうん……。おい、何だか変な気分になってきたぞォ」
「暖かすぎるのよ。窓明けましょうか。魔法瓶の中にいるみたい」
ガヤガヤ、ワイワイ、ガヤガヤ。
——一九六七年一月 婦人公論——