私はこの本番のほうのレコードをかけてみた。実によい演奏である。はじめの導入のアンダンテはずいぶん遅めだが、そこから入って最初のアレグロ・マ・ノン・トロッポは何ということもないようでいて、本当によく流れる音楽になっている。ベームの例の一重と二重との付点音符のリズムに対する厳重な区別からはじまって、およそ、音のふくらみが感じられたと思うところは、すべて、楽譜にもちゃんとそういう記号(<>)がついているし、ちょっと変わっているなと思ったのは展開部に入って直後の変イ長調で、ヴィオラがト音から変イ音に移る簡単な動機を何度か奏するところぐらいで(二五八〜五九小節、それから二六〇から六一、二六二から六三、二六四から六五小節にかけて)、これはこんなに強調するものかしら?(譜例1)
第二楽章のアンダンテ・コン・モートは案外に速めであるが、著しく特徴のあるのはそのつぎの第三楽章である。これはアレグロ・ヴィヴァーチェのスケルツォなのに、ベームのとるテンポは目立ってゆっくりと牧歌的であってこんなにレントラーの感じの濃厚な演奏も少ないのではなかろうか。これをきいていると、本当にドイツとは別のオーストリア音楽をきいている感じがひしひしとしてくる。だが、結局、ベームの演奏の真骨頂を示すものは、終楽章ではないか。この、どちらかといえば反復が多くて、やや単調なしくみの音楽を相手どって、ベームはちょっと彼からは想像できない大きさの音楽をつくりだす。終わってみた時のすごい迫力がその証《あか》しであって、こういうことは、そういつもきけるものではない。そうして、さっきもふれたが、木管や金管で交替させつつ一つの楽想を展開させているうちに、いつとは知らず、そこにヴァイオリンが台頭してきて、リードを奪うというか、指導役の肩代わりをするというか、そういう時の管弦楽に新鮮な艶が加わるその快さには、本当に目のさめるような鮮かさがあるし、力強さも欠けていないのである。
こういう演奏をきいていると、カール・ベームこそは本当に巨匠と呼ばれるにふさわしい人物だ、という気がしてくる。