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世界の指揮者78

时间: 2018-12-14    进入日语论坛
核心提示: 一九五三年、はじめて外国に行った時、私は、サン・フランシスコで、ここのオーケストラを相手に、フリッチャイが指揮をするの
(单词翻译:双击或拖选)
  一九五三年、はじめて外国に行った時、私は、サン・フランシスコで、ここのオーケストラを相手に、フリッチャイが指揮をするのに接した。これが、また、私の外地で最初に接した交響管弦楽の演奏会だった。
 当時、サン・フランシスコ交響楽団は、常任の指揮者がなくなり、外国から何人かの指揮者を迎えて定期をつづけ、その結果をみて、つぎの常任を選ぶのだといった話を耳にしたものである。
 その時のフリッチャイで、私はたしかベートーヴェンの『第八交響曲』その他をきいたと覚えている。明るい指揮であった。こんなふうにいうのも、妙かもしれないが。
 その後、ベルリンに行き、彼が当時はリアスと呼ばれていたベルリンの放送管弦楽団をふってロッシーニの『スターバト・マーテル』をやるのをきいた。この時も、私は、彼の指揮が、何からくらくとしていて少しの無理もなく、そのうえに、音楽全体が明るくのびのびしているのに感心したものだった。曲が曲だけにダイナミックな演奏であり、芝居気もたっぷりなのだが、そこに少しの嫌味もない。
 大家であるとか、名指揮者であるとかいう人の中にも、楽員に好かれるタイプ、つまり今度は彼の棒でやるのかとみんなが張りきるタイプと、楽員にあまり好まれないタイプ、つまりなるほどよい指揮はやるけれども、どうも彼の棒でやるのは気がすすまないという感じを与えてしまう指揮者と、この二通りがあるとすれば、フリッチャイは、何といっても、この前者、楽員たちに敬意を払われると同時に愛されるタイプの指揮者だったろうと、私は、今にして、思うのである。だから、彼の音楽には、当たりはずれはあっても、いつも、嫌な後味がなく、明朗でのびのびした空気がみなぎっていたのではなかったろうか?
 ハンガリー生まれの指揮者というと、故人となったセルとかライナーのような超大家から、目下ヨーロッパとアメリカでひっぱりだこの人気男ショルティにいたるまで、実に多士済々《せいせい》といったところであるが、そういう中で、フリッチャイは、もちろん今世紀前半の非ロマンティックな指揮者にはちがいないが、しかし、彼の求めていたものは、セルやライナーのあのペダンティックなまでの厳格さからは遠いものだったのではないか。それから、また、彼にもダイナミックな面は充分にあったが、しかし、ショルティのような、あの爆発的なものにまでいたるダイナミズムの追求や、何か非常に疳《かん》の高い名馬にみる、神経のぴりぴりと高ぶっているような、肌ざわりといったものはなかったように思う。
 もっとも、彼の場合は、すべてが、普通といっては語弊があるが、あたりまえの人間の規準に合った枠《わく》の中でのダイナミックであり、客観性の尊重であった。
 私は、いつかベルリンにいた時、テレビで、フリッチャイがヴィーン・シンフォニーだったかを相手に、スメタナの『モルダウ』を演奏している姿をとったフィルムをみた。それには、練習風景も入っていたが、その時の彼の姿には、好感をもたずには見ていられないようなものがあった。けっしておしつけがましいところがない。それでいて、実に、自分の意見ははっきりしているのだ。そうして、その自分の考えに楽員たちを誘導するのがうまい。というのも、彼の考えていることが、皆を充分に納得させるからである。あの曲の最初のほうで、水が出てはとまり、出てはとまりしながら、しだいに元気よく快く流れ出してゆく時の、すべり出しの快いテンポのとり方。それから、幾度も出てくる弦の軽いスタッカートの打ち方、円い音への要求、新鮮で自然な動きへの導入の仕方。特に話がうまいとか、愛想がよいとかいうのではなくて、指揮者のイメージにある音楽がごく自然に流れ、楽員たちの弦の動かし方や管楽器をもって構える姿勢の中にのりうつって、音になってゆくとでもいったふうなのが、眺めていて実に楽しかった。
 フリッチャイは、大指揮者ではなかったかもしれない。彼の音楽には深みとか凄《すご》みとかはなかったかもしれない。だが、柔らかさ、自然さ、そういったものから生まれてくる一種の風格は充分あった。しかも、そういうものは、何もスメタナとか何とかの民族音楽的なものばかりでなしに、ブラームスにも、モーツァルトにも、そうしてバルトークにも、たっぷり出ていたことは、彼の残したあのたくさんのレコードをきいても、わかるはずだ。私は何しろフリッチャイを、実演ではさっき書いた二回しかきいてないので、どうしてもこういう書き方になるのだが。
 周知のように、フリッチャイは、一九六一年だったかベルリン・ドイツ・オペラが創建された時、その初代の音楽総監督に就任し、『ドン・ジョヴァンニ』で同劇場の柿《こけら》落としをつとめた。そうして一九六三年、この歌劇団が日本にはじめてやって来た時も、その資格で東京に乗りこんでくるはずだった。ところが、この東京公演の話がきまりかけていたころ、彼はすでにガンに冒されており、ついにそのまま再起することなく終わってしまった。まだ五十歳をいくらも出ていなかったはずである。可哀想なことをしたものである。
 フリッチャイのレコードは、ひところ、やけにたくさん出ていたが、そのころの私は、あまりレコードをきく習慣がなかったので、ほとんどきいていない。しかし、私がきいたものの中では、彼がゲザ・アンダと組んでいれたバルトークの『ピアノ協奏曲第三番』など、今でも最高の一つとしてりっぱに通用する。その後出たレコードで、あれより何一つ前進した点のないものも少なくないくらいだ。で、たまたまレコード評などで、そういうレコードを称賛している文章にぶつかったりすると、この人はどういう聴き方をしているのかしら? とびっくりしてしまうことがないではない。
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