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世界の指揮者65

时间: 2018-12-14    进入日语论坛
核心提示: フルトヴェングラーという音楽家で特徴的なのは、濃厚な官能性と、それから高い精神性と、その両方が一つにとけあった魅力でも
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  フルトヴェングラーという音楽家で特徴的なのは、濃厚な官能性と、それから高い精神性と、その両方が一つにとけあった魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだという点にあるのではないだろうか?
 このことは、彼の指揮したものなら、たいていどこにも見出《みいだ》される。それはブルックナー、ブラームスや、モーツァルト、バッハだけでなく、ベートーヴェンにも、ヘンデル、R・シュトラウスにも出ている。それから彼のシューマンがそうだし、彼のチャイコフスキーだってそうである。
 フルトヴェングラーが第二次大戦中のベルリンでフィルハーモニーを指揮したベートーヴェンの交響曲が近年日本でもレコードになって、簡単に買えるようになった。なかには、ヴィーン・フィルとのもあるが、ともかく、それらによっても、『第三』『第四』『第五』『第六』『第七』『第九』の各交響曲がきける。
 みんなすばらしいが、それらをきいていて、そこで圧倒されるような想いがするのは、演奏の不思議な生々しさである。これは実況をとったものだからというのとは、全然何の関係もないことである。そうではなくて、ごく単純に、そうして純一に、これらの曲が、そこでは、それぞれ一つの生きた劇として、生きた抒情《じよじよう》として、生きた運命として、生きた観念として、全面的に生きられて提出されているからである。
 いつぞやも、『第五交響曲』をきいて、まるで怪物がこちらに向かって歩いてくるような感じをうけた。こう書くと比喩《ひゆ》のようにうけとられる恐れがあるが、実際、ここでは《音楽》がこちらに向かって歩き出してくるのである。重くて、野蛮な足どりでもって。『第九』も、また、そうである。しかし、ここではその足どりは怪獣のそれではなく、もっとずっと憂鬱な、そうして神秘なものの歩みとしてはじまる。私は、第一楽章のことをいっていると同時に、終楽章のあの〈歓喜によす頌歌《しようか》〉の開始を指しているのである。この巨大な交響曲の両端楽章には、同じくらいの苦悩の暗さと、それをすかして遠くから私たちを指し招いているような仄《ほの》かな光とが射している。ベートーヴェンは、それを「歓喜・美しい神々の火花」と呼んだが、私には、そうなのかどうか、いまだによくわからない。しかし、私にはいやというほどよくわかるのは、ここに悩み苦しんでいる人間がいるという事実である。それからまたフルトヴェングラーできく第二楽章では、やはり、これが怒りの爆発なのか、荒々しく挑戦的ではあるが、しかし喜びの束《つか》の間《ま》の沸騰であるのかを区別することはすごくむずかしいが、しかし、ここに何かそういった異常な力の放射があることは、どんな聴き手にも疑う余地はないまでに示されている。
 こう書いたからといって、私は、フルトヴェングラーがベートーヴェンの交響曲を標題楽的にとらえているといっているのではない。そうではなくて、フルトヴェングラーが指揮すると、ベートーヴェンがこれらの音楽の中に封じこめていた観念と情念が生きかえってくるのがきこえるのである。それを言葉に直すのは、聴き手である私たちの仕事であって、ベートーヴェンの役ではない。私は、だからまったくちがったやり方で——つまりは、私がこれまでずっとやってきたように、もっと即物的に、フルトヴェングラーのテンポが総じていかにおそく、しかしまた速い時はびっくりするほど速く、しかもいずれにせよ、同じ楽章の中でさかんに速くなったり、おそくなったり変化する云々《うんぬん》と具体的な例を示しながら記述するのでなくて——こう書いているのは、これがフルトヴェングラーをきく唯一のやり方だと考えてしているからではない。しかし、ベートーヴェンを、ヴァーグナーを、フルトヴェングラーの指揮できいて、こんなふうでなくきくのは、私には容易なことではない。というのも、私は、重ねていうけれども、フルトヴェングラーを数回実際にきいたというのは、実は私にはそういう聴き方を彼から教わったということなのだ。
 ところで、同じ『第九』のベートーヴェンが、また、第三楽章では、ずいぶん変わってきこえる。私には、この曲の中で、この楽章が、さっきいった高度に精神的でしかも強い官能性をもった音楽の魅力という点で、フルトヴェングラーの一般的な精緻《せいち》の枠《わく》にいちばんうまくはまっているように思われる。と同時に、他面、ここほど一枚ヴェールでへだてられた向こう側の出来事のような間接性というか、夢幻性というか、そういう定かでないものとしてきこえてくる音楽は、ほかにないのである。こうしてきいていると、どうしても、「ベートーヴェンは、ここで、夢をみているのだ。そうして、終わりのあの金管の響きは、現実の世界からの呼びかけ、召集である」といいたくなるのである。「何という月並み、紋切り型」といわれるかもしれないが、私としては、こういう聴き方をするのは、始終ではないのだ。もう一筆書きそえれば、私には、彼のこの楽章の演奏は、バイロイトで実演をきいた時も、いちばんピンとこなかったのである。
 精神的な演奏といえばフルトヴェングラーがベートーヴェンを扱って、その方向への傾きを最も截然《せつぜん》とみせているのは、メニューインを独奏者に迎えて『ヴァイオリン協奏曲』を指揮した時である。この演奏は、単に目立っておそいテンポでひかれているというだけでなく、全曲を通じて、いやがうえにも澄みきった音色をきかせるメニューインに合わせて、フィルハーモニア管弦楽団を指揮するフルトヴェングラーも、まるで重苦しい足音は絶対に立てまいと決意したかのように——『第五』の場合とは正反対に——、まるで雲の上でもゆくように、そっと歩いている。こういう演奏は、フルトヴェングラーには極度にまれなのではなかろうか。特にここのメニューインには、何かの宗教の教祖とでもいったものが放射されている。
 これと好対照なのが、エトヴィン・フィッシャーと共演した『第五ピアノ協奏曲』である(フィルハーモニア管弦楽団)。もう大分前のことであるが、必要があって、『第五ピアノ協奏曲』のレコードを選ぼうとしてあれこれときき漁《あさ》ったが、どれにもどこか不満が残り、閉口したことがあった。その時、私は、このレコードは知らなかった。しかし、今度フルトヴェングラーを改めて考えてみるについて、いろいろレコードをきいているうちに、これにぶつかった。これは、まさに、私が、これまでさんざんきいてきたベートーヴェンの『第五ピアノ協奏曲』の中でも、最良の一つである。私に、もう一つ羞恥《しゆうち》心が欠けていたら、私は、「これこそまさに、あらゆる『第五ピアノ協奏曲』のレコードの中の《皇帝》である!」とでも書いただろう。そうは書くことを私がしないのは、演奏にものたりないものがあるからではなくて、そんな言い方が嫌いだからにすぎない。
 エトヴィン・フィッシャー! 人びとは、彼こそはピアノの大家中の真の《音楽家》であったという。きっとそうにちがいない。私は、彼をあまりにも晩年にききすぎた。そうして、晩年ということも、ピアニストと指揮者では、意味がちがいすぎる。指揮者は何の彼のといっても、自分で音を出さない。これに対して、ピアニスト、ヴァイオリニスト、歌手、その他の演奏家たちのうえには、肉体の条件がはるかに大きくのしかかっている。どんな大家だって、あまり年をとってしまうと、《音》から脂っ気がぬけてしまう。それでも、この人が稀代《きたい》の音楽家だった所以《ゆえん》の多少は、私も、パリで、ザルツブルクで、経験したのである。
 だが、このレコードでのフィッシャーの見事なこと! 忌憚《きたん》なくいって、フィッシャーは、ここでも、けっして、ハイ・フィデリティ向けの万全のメカニックをそなえた名手ではない。この協奏曲の初めの、あの変ホ長調の主和音を重ねたカデンツァが、すでにもう、一つ一つの音が、南海の魚たちのように手にとるように透かして見えてくるというのとはずいぶんちがう。しかし、リズムといい、アクセントといい、そうしてダイナミックといい、フレーズ全体できくと、一点の非のうちどころがない出来ばえなのである。というのは、ここでも、メカニックな正確さでいうのではない。音の中に生きて躍動しているものの力の生き生きした働きからいうのである。といって、また、ごまかして、いわゆる感じでひいているというのでは、絶対にないのである。
 これが、音楽というものなのだ。そういう大家で、この人はあった。ちょうど、フルトヴェングラーの指揮がまた、メカニックな正確さという点からみたら、欠点の多いものであるにもかかわらず、大家の音楽をつくりだす道であったのと、同じように。それに、この二人に共通な点は、その音楽がのびのびと自由なこと、近年の流行語を使えば、即興性の躍動にとんでいることである。
 ただフィッシャーの音楽も、フルトヴェングラーのような濃厚な官能的な雰囲気《ふんいき》のまといついた精神性といったものではなかった。いや、総じて、フィッシャーにも、フルトヴェングラーのような二律背反的な共存にみられる、逆説的な偉大さはなかった。それは、メニューインの音楽に比べれば、ずっと人間臭いものであり、無理強いされたようなものはまったくなく、その点では、フルトヴェングラーのほうが、より神経質なところの多い音楽家といわなければならない。それにまた、フルトヴェングラーの双肩には、フィッシャーにない重い荷物があったことも忘れてはいけないだろう。
 フルトヴェングラーとフィッシャーの組合わせのレコードでは、実況録音のほうでも、ブラームスの『ピアノ協奏曲第二番』のそれがある。これも貴重な遺産である。
 フルトヴェングラーをはじめてパリできいた時、そのプログラムにブラームスの『交響曲第三番』が含まれていた。これがまた、私にはおもしろかった。
 その一つは、ブラームスのオーケストラ曲の響きというものを、ここではじめて納得した点にある。それは室内楽と管弦楽の混ざりあったようなもので、同じ時代に生きながらも、ブラームスはヴァーグナーとちがって、金管の使い方などが古風で、それだけに、木管が非常に重視されていた。それは誰しも知っている。だが、その木管の音色が、ブラームスではずいぶん地味な、艶《つや》消しをしたようなものであることには、必ずしも誰もが気がついているわけではない。それというのも、そういうことは、スコアに書きこめないものであって、もっぱらブラームスの生前から彼の音楽を演奏してきた中欧の管弦楽団、ヴィーンとかプラーハとか、あるいはライプツィヒとかいった各地のオーケストラの伝統となって残っているもの、それをきいて、逆に判断するほかないのである。もう一ついいくわえれば、これは何もブラームスをひく時に、必ずそういう音色でなければならないというのでもない。もっと派手な色でひいてはいけないということはない。現にアメリカの交響楽団やパリのそれは、そうやっている。
 だが、アメリカの交響楽団で何度もきいてきたその耳で、ヨーロッパに来て、ベルリン・フィルハーモニーの演奏で、ブラームスをきいた時、私は、本当に「そうか、これがブラームスの音色なのか」と思ったのは事実である。実にしっとりした、くすんだ、よい音だった。
 ブラームスの『第三』というのは奇妙な音楽で、各楽章がピアノで終わる。ことに第二楽章のアンダンテ、さらには全曲の結びである第四楽章アレグロは、ピアノのソット・ヴォーチェ、ヘ短調ではじまり、コーダに入って、ヘ長調になりはするが、それでも普通こういう音楽につきものの、特にモーツァルト、ベートーヴェン以来の伝統にしたがって短調ではじまって長調で結ばれる時には、明るく力強く終わるといった形になるのとは逆に、長調になっても、ウン・ポコ・ソステヌートであり、テンポはおそくなり、フォルテがないわけではないが、しかし、ダイナミックの流れはもっぱらディミヌエンドを指向し、センプレ・ピアニッシモから、さらにディミヌエンドを重ねた末に、最後は、ポツンと糸が切れたように、弦のピッツィカートで終結するのである。
 フルトヴェングラーの手にかかると、そういう音楽のもって行き方が絶妙の表現となるのだった。ブラームスの四曲の交響曲の中でも、『第三交響曲』は、最もまれにしか演奏されないものだし、私も、ほかの三曲にくらべて、実演できいた回数は、これがいちばん少ないだろう。しかし、それだけにまた、大指揮者名指揮者といわれるほどの人の手になる演奏できいた時は、当然忘れにくく、ほかの演奏と混同しにくくなる。それでも、私は、この時のフルトヴェングラーの演奏ほど、感心したことはない。ディミヌエンドとかピアノとか、それに休止がすごく、生きてくるのである。
 いったいに、フルトヴェングラーのブラームスはすばらしかった。レコードでは、いずれ四曲ともみなあるのだろうが、その中では、私は『第四交響曲』をきいたことがある。これも、戦時下の実況録音だが、実によい。それにブラームスになると、フルトヴェングラーのあの頻々《ひんぴん》とテンポを変化さす態度も作品の様式自体と少しも矛盾せず、むしろ、それこそが作品の生命を忠実に生かす道に通じる。ブラームス自身が指揮した時も、こうであったにちがいないのだ。しかしまた、テンポが問題のすべてでもない。ブラームスには、表面のあの謹直そうな容貌のかげに秘められた、濃厚な官能的なものへの憧《あこが》れがある。これが、真面目人間の指揮とフルトヴェングラーの指揮とでは、すごくちがって出てくるのである。
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