先にふれた最近出たモーツァルトの交響曲六曲を集めたレコードのセットには、練習風景のレコードがついているが、それできいてみても、カラヤンが楽員に注意している最大のものは、最大限のレガート、つまり、弓を弦に密着させ、「一つの音が、その前の音から直接生まれてきて、両者の間に一分の隙間もないように」演奏することである。カラヤンは「(旋律が)どこからはじまったか、きいていてわからないくらいでなければいけない」とか「速くはじめて(弓を弦にあてて)、長くひっぱって、しかもテンポを崩さないでひかなければいけない」とかいうことを、いろいろな言い方で、たえず口をすっぱくして説いている。
私は、ここに、少なくとも最近の彼の音楽のつくり方、演奏の仕方の急所があると思う。それにともなって、彼の指揮では、ますますよく歌われるようになり、音も豊麗を極めるようになる。
と同時に、その反面では、テンポこそきちんとして保たれているし、それはきわめて快適なテンポにちがいないのだが、リズムの歯切れのよさとダイナミックな緊張度の高さという点にややものたりない点が生じる場合もみられるようになってきていると、私には、きこえる。かつては、かなり乾いた音楽もやったのに、このごろはハイドンとかバルトークとかでは、むしろ、からっとした躍動性の不足を感じさす場合さえでてきたと思うのである。一度、そういう点に注意して、きいてみてほしい。
しかし、よく歌って、しかも、少しも力まず、無理しないというところから、モーツァルトやシューベルトでは、ときどき、本当に神品といってもよいような演奏がきかれることがあるのだが、特に、近年、私がきいたものの中で、すごいと思ったのは、アルバン・ベルク、それからヴァーグナーである。
ヴァーグナーの音楽、つまり、いわゆる《無限旋律》という名でよばれる、あのどこまでもとぎれることなく進展し、しかも、その間に音色の上でもどんどん変わってやまない音楽は、短い動機のつみ重ねとしての旋律とちがって、今の彼の傾向にぴったりのものというべきだろう。近年の彼が、ハイドンやベートーヴェンより、先にいったようにシューベルトやR・シュトラウスに適し、バッハよりヘンデルで特にぴったりのスタイルを感じさすのは、このへんに——実は、理由はこればかりではないけれども——大いに関係している。