ヴィーンは、カラヤンが喧嘩《けんか》別れしてしまってからは、誰かそれに対抗できるだけの英雄がほしくてたまらないので躍起となって探し当てたのが、バーンスタインである(こういう場合、カール・ベームが話に出てこないのは本当に変だが、どうしてだか、そうなのである。かつてベームがヴィーン国立オペラの音楽総監督だったのに、やたらと国外に出て客演をしてまわり、ヴィーンに腰を落ちつけていないからといって、ヴィーンのほうで、ベームを追い出したといういきさつのあるのは事実だけれども)。それだけに、先年のフィッシャー〓ディースカウの主人公で『ファルスタフ』をやって以来、バーンスタインのヴィーンでの人気というものは大変で、ヴィーン人にしてみればこれでカラヤンを見返してやろうというわけなのだろう。今度の『ばらの騎士』も、前評判が高く、バーンスタインが稽古に入ると、新聞——一般紙である——には、連日その稽古場の話が出るという具合だった。バーンスタインのほうも、心得たもので、最初の記者会見の席でまず「今度の出しものは、オーケストラの諸君も歌手のみなさんも、いやお客の方々も、みんな、私よりよく知ってる音楽なのだから、私はただ黙って、みなさんに教えてもらえばよいだけ。勉強に来たようなものです」といった調子でやる。そのうえに、初日ではあの第二幕のワルツの入る間奏になると、バーンスタインは、最初の合図を与えたあとはもう、オーケストラに好きなように演奏して下さいとばかり、両手をじっとたらしたまま立っていたなどという話が——たぶん本当なのだろうが——翌日の新聞に出たりする始末で、これでヴィーンの市民がよい気持にならなければおかしいというものだろう。
私が、前におもしろかったというのは、必ずしも、そういうことでもないのだが、しかし、結局はこれと関係がある。ヴィーンの人にしてみれば、『ばらの騎士』は誰が何といっても自分たちのところの音楽だという気持が強いのであり、そのため演奏ばかりでなく、国立歌劇場での演出や装置についても、演出家なり何なりが自分の考えだけできめてゆくという具合にいかなくなってしまっている。
そういうことがすべてにしみわたっているから、『ばらの騎士』はヴィーンできき、ヴィーンで見ると、ちがうのである。それは、このオペラがまだ「生きている」証拠である。これは、単にこのオペラがヴィーンを舞台にしているからというだけではないのである。たとえば、日本で歌舞伎が果たしてそこまで生きているといえるかどうか。市民にそれだけの関心が残っているかどうか。いくら、大阪で書かれたとか東京でかくかくの名優たちが活躍したとかいう歴史的由緒、因縁があっても、それだけではたりないのである。『ばらの騎士』がヴィーンでまだ生きているのはヴィーン人が生かしているからなのだ。
ところでバーンスタインは、『ばらの騎士』で何もしなかったわけではない、もちろん。第一、その評判の第二幕への間奏でだって、私のきいた晩は、彼は精力的に指揮をしていたし、全体にわたって、とても「バーンスタイン的」演奏になっていたことも事実である。
では何を、「バーンスタイン的」と呼ぶか?