本来彼は、一九五八年と一九七〇年の再度にわたってレニングラード・フィルハーモニーと同行来日するという話で、手ぐすねひいて待ちかまえていたが、二度とも病気だとかですっぽかされた。せめて一度でも実演の姿に接してから書きたかったのだが、そうもいかないので、レコードをたよりに書くこととする《*》。
ムラヴィンスキーは、まだ一度も、ナマをきいたことがない。いつぞや見たソ連の映画にD・ショスタコーヴィチを主題にとったものがあり、そこでムラヴィンスキーがショスタコーヴィチの交響曲を指揮している姿に接したことがあるだけである。そこでは、やせた、実に気むずかしそうな老人が、ごくごく少ない身体の動きと、非常に警戒的で鋭い眼差《まなざ》しとでもって、すばらしい指揮をしていたのだったが、それは実に厳しい印象を与えずにおかなかった。