だが、ちがうことは、ちがうのである。
その例として、手近かなもので拾えば、ミュンシュがボストン・シンフォニーを指揮して入れた、ベルリオーズの『幻想交響曲』の出だし、〈夢心地〉と名づけられた導入のところに針をおろしてみていただきたい。やるせなさの極みを秘めたとでもいいたいような高い管による冒頭から、弦が入り、それから数十小節にして、低音が入る時にしても、ここでは、ズシンと腹にまで響くような入り方はしない。低音は低音で、無限のうらみをこめた音楽を奏してはいるのだが、しかし、その音は、あくまでも全体の響きの構築の中での一部をうけもっているにすぎない。
指揮者の仕事の一つは、いつかも書いたように、オーケストラの各声部の内部での釣合、正しいプロポーションを常に失わないようにすることにあるわけだが、そのプロポーションが、ミュンシュの場合、たとえば、これも前に書いたブルーノ・ヴァルターとちがうのである。ヴァルターのバスは本当に響きの殿堂のすべてを支えるがっちりした土台としてのバスであり、そのバスがあったので、彼の音楽は、また、あんなに豊麗で、しかもよく歌ったのである。
ところが、ミュンシュのは、ちがう。ヴァルターに劣らずよく歌うけれども、ここには、ああいった重量感はないし豊麗さもない。そのかわり、とびきり色艶のよい音の輝きがある。しかも、その艶やかな輝きの中で、「各声部が、まるで、それぞれが別々の生きもののように、自在に動いているのが見える」といっても、あまり誇張でないくらい透明な音の織地が展示されてくるのである。
私がこのことをはっきり意識したのは、実は、その後、ミンシュがボストン・シンフォニーをつれて、はじめて日本に客演にやってきた時である。あの時、彼らはベートーヴェンの『エロイカ・シンフォニー』をやったのだが、その演奏の透明度といったら、本当に「スコアを目の前に見ているような」演奏だった。こういう言葉は、たとえば、ジョージ・セルの指揮によるクリーヴランド・オーケストラにも使いたくなるけれども、私としては、いちばんそれを痛切に思ったのは、このミュンシュ〓ボストン・シンフォニーできいた『エロイカ』の演奏だった。ことに、終楽章のヴァリエーションときたら、それはもう鮮かとも何とも、どんな声部にもぐりこんでも、バスの主題的楽想の姿が、まるで水をきれいにとりかえたばかりの小さな池の中を泳ぐ真赤な金魚か何かみたいに、耳に入ってくるのだった。あんなことは、以来、私は経験したことがない。一九七〇年、セルが来て大阪でやった『エロイカ』にも、ひどく感動した私だが、その時でも、こんなことはなかった。
いや、こういうと誤解を招きそうだ。ミュンシュの時は、実は、その透明さを極めた『エロイカ』には、私はあんまり感心しなかったのである(レコードは知らない)。
ミュンシュでは、ベートーヴェンも、モーツァルトも、それからバッハもきいたが、その中では、むしろ、バッハが、今日私たちがききなれているのとはずいぶんちがうスタイルで、ちょっと大時代的な表情のものになっているけれども——これは幾分、バッハのクラヴィーア曲を原譜でなくて、ブゾーニその他のピアノの巨匠の編曲した版によるグランド・ピアノの演奏できくのに近い——、それでも、華麗でなかなかよかった。少なくとも、とても音楽的で、楽しくきけた。
しかし、私が、ミュンシュで好きなのは、ベルリオーズと、それからラヴェルである。
ベルリオーズでは、前あげた『幻想交響曲』は、おたがい、ずいぶんいろいろな人の実演やレコードをきいてきたわけだが、私は、これまでのでは結局、ミュンシュのものがいちばん好きである。華麗で、劇的で、憂鬱で、無限にやさしい気持と、残忍で冷酷なものといったさまざまの矛盾するものをいっぱいつめこんだこの音楽を扱って、ミュンシュの演奏は、何よりもそのパレットの上の色彩の豊かなことと、表現の即興性の豊かさと、この二つの点で、私には最初から、心に直接訴えかけてくる演奏なのである。
だが、そういうこととならんで、私には、十九世紀ロマン主義の大作曲家のなかで、ハーモニーの扱いという点ではいちばん遜色《そんしよく》のあるベルリオーズの音楽には、ミュンシュのように、音楽のたて糸よりもよこ糸の表情美を表わすことに長じた人の指揮ぶりこそ、よりぴったりした行き方ではないか、という気がするのである。
こういいきってしまっては、いくら何でも素朴すぎ、幼稚すぎる。それは、私も心得ている。しかし、ミュンシュの『幻想交響曲』をもう一度きいていただきたい。そうすれば、少なくとも、私が何をいっているかはわかっていただけよう。
同じような意味で、私は、ミュンシュ指揮のベルリオーズの『ロメオとジュリェット』のレコードがひどく気に入っている。これはまさに、「おもしろくて、やがて、悲しき」劇的な物語の、これ以上のことは考えにくいほどの名演ではないだろうか?
それから、同じ作曲者の『イタリアのハロルド』が、また、日本でこんなに有名なのも、私には、まったくもっともとしか考えられない。