木岡の予告どおり、その夜から二日目の夕方、よう子がゆみ子の部屋に立寄った。入口に立ったまま、よう子は四畳半一間だけの部屋をたしかめるように眺めまわし、
「まだ、ここにいるのね」
「ええ」
「お風呂が無くて、不便でしょう」
慰める口調に、満足の気配がまじった。貧しい部屋に、新しい自動車。その対照の効果を、よう子は予想したようだ。よう子は部屋に入らず、せき立てるようにして、ゆみ子を連れ出した。アパートの前に、小型だが最新型の車が駐めてあった。
「あら、この前の車と違うのね」
ゆみ子は、今はじめて知った素振りをした。
「そうなの」
よう子の得意気な顔には、なんの翳もない。以前、よう子のクリーム色の車に乗せられたときには、よう子と車との結びつきに特別な感想は浮かばなかった。「銀の鞍」に入ってから、三ヵ月という月日が経ったのだ、とあらためてゆみ子はおもった。
「あんた、感心だわ」
ハンドルを握り、眼を前に向けたまま、よう子が言った。
「よし子は馬鹿だわ。男に惚れるなんて」
「あたしは、もう男に惚れたりなんかしないわ」
「だから、感心だ、と言ったのよ。でも、そんなふうに力んでいるうちは、まだ安心できないわね。あんたの部屋は、待っている部屋よ。誰か好きな男が出てくるまで、身もちをよくして待っている……、そんな感じの部屋だわ」
「…………」
「つまらないことだわ、懲りないのね」
よう子は唇のまわりで笑うと、
「あんた、その気になれば、すぐにこんな車くらい手に入るわ」
その唇が異様に赤く、ゆみ子の眼に映った。新しい車を運転している自分を、頭の中で描いてみて、傷口に薬のしみる快さをこのときにも思い浮べた。
「設備のいいアパートの部屋にだって、すぐに住めるようになるわ。何のために、この商売に入ったのさ。待つつもりなら、なにか地道な仕事をして、けなげに生きてゆけばいいのよ。女ひとり生きてゆくのには、どんな方法だってあるわ」
ゆみ子は、悪意に満ちた気持になって、おもわず言った。
「そのとおりだわ。木岡さんにでも頼んでみようかしら」
その悪意は自分自身に向けられたものだったが、よう子は聞き咎めた。
「それ、どういうこと」
棘はなく、むしろ怪訝な口調である。
「安く遊ばれるといけないから、一役買ってやろう、と言われたの」
油谷の名を伏せて、ゆみ子が言うと、
「木岡が……、生意気なことを言って」
「だって、よう子さんも……」
「あんた、何を考えているの。木岡に何ができて」
「でも、よう子さんのものの考え方は、ぜんぶ自分が教えた、と言っていたわ」
告げ口するつもりではなかった。にわかに険悪になったよう子にたいして、弁解する心持だった。
「あの男、新しいひとが入ると、すぐに自分を大きくみせようとするのね。一役買うなんて、あんな男の役どころは、メッセンジャー・ボーイといったものよ」
その言葉に、嘘はなさそうにおもえてきた。しかし、よう子をこれほどまでに強気にさせているのは、何だろう。「銀の鞍」で、マダムに次ぐ実力者という自信か。ただそれだけなのだろうか。