アイスクリームと古本屋の関係。
いまは、書物が出版されすぎていて、本屋の棚に並べ切れない。したがって、ベストセラーか大出版社発行のものしか、棚には並べられにくい。
戦争中と戦後しばらくはその逆で、本屋は棚を埋めることに苦労していた。したがって、古本屋は繁盛して、だいたい定価の七割くらいで買ってくれた。
戦争末期を、私は静岡と東京で過した。旧制の静岡高校にいたからで、東京に比べてまだ静岡には物資があった。酒も一軒で日本酒を二本まで飲ませてくれたので、あちこちの店を渡り歩けば、一升は飲めた。ビールとウイスキーは、姿を隠していた。
学校の近くに、古本屋が何軒かある通りがあって、ミルクホール風の小さい店もあった。ここで、アイスクリームとアンミツを食べさせてくれる。
旧制高校生というのはいまの大学生の年齢に当っていて、アンミツとはなさけないのだが、その種の食べ物は当時は貴重品であった。アイスクリームは、幾杯でも食べさせてくれて、
「何某《なにがし》は二十何杯たべた」
というような情報がつたわってきて、それが英雄的行為のようなニュアンスがあったのだから、ますますなさけない。
ただ、アイスクリームを幾杯も食べるには金が必要だが、その肝心なものがない。
親しくしていた友人が、高く売れそうな本を一冊もっていた。しかし、だいぶ以前の出版なので、安い定価がついている。
「この本を、この定価から判断して値段をつけられては困るな。安く売るくらいなら、持っていたい」
と、その友人は言う。
私のほうは、その本を売らせてアイスクリームを食べたいので、
「それじゃ、定価のついているオクツケのところを破って売りに行こう」
と、そそのかす。
いまでは、定価に関係なく、珍らしい本にはときには法外の値段がつく。そのときの本が何であったか、はっきりした記憶がないが、古本屋に評価されにくい書物であったことは確かである。「三太郎の日記」とか「善の研究」とか「愛と認識との出発」などという本なら、文句なく高く買ってくれたが。
「しかし、それはフェアじゃないな」
と、友人が悩む。
「そんなことはない。この本を不当に低く評価されて、定価からの判断で値段をつけられた場合、それは古本屋の無知である。そのオソレを排除するということは、正当な行為である」
ここで反省されては困るので、理屈をつけて売らせようと努力しているうち、友人もついに決心した。
古本屋は、その一冊の書物を丁寧にしらべて、やがて怪訝《けげん》な表情で、
「この本には、どうしてオクツケがないのですか」
そのときの説明を思い出せないのだが、友人の困った顔だけは鮮明に眼に浮ぶ。その本が意外に高く売れて、ミルクホール風の店にかけつけ、アイスクリームを食べる。友人は気が咎《とが》めているような、さらには罪を犯したような顔をしていて、それが私にも伝染してきた。
お互いに、しだいに俯向《うつむ》き加減になってスプーンを動かすのだが、しかしそのアイスクリームは旨い。その友人は、長崎の原爆で死んだ。