ヒョウタンは、ウリ科の植物なのに、食べられない。ヒョウタン料理というのは寡聞にして知らない。一見食べられそうな様子をしているくせに、煮ても焼いても喰えない。そのかわり、棚からぶらりと垂れ下っているところや、酒の容器に使われるところには、愛嬌がある。
二十数年前に、新聞に毎日連載されて評判になった随筆に、高田保の「ブラリひょうたん」がある。いま読み返してみても、古くなっておらず、たいへん面白い。
夕刊フジの一〇〇回の連載を引受けたとき、これは大変なことになった、と私はおもった。新聞小説の連載は何度か経験があるが、毎日々々の随筆となると途方にくれる気分になる。
前任者諸氏も口をそろえてそう言い、筒井康隆などとなると、
「あれは、もう気が狂いそうになるくらいツライ仕事ですよ」
と、おどかす。彼が連載したときのタイトルは「狂気の沙汰も金次第」であって、諺を二つくっつけ合わせただけの趣向のものだと思っていた。しかし、自分が連載をはじめてみると、「ああ、あのタイトルには深い意味があったのだな。随筆一〇〇回連載とは狂気の沙汰であり、それをやるもやらぬも原稿料次第という意味か」と、悟った。
あらかじめ、すこしは参考資料を集めておいたのだが、その中に「ブラリひょうたん」もあった。このなかで、「身上判断詩」という項目があって、それを紹介したい。
身は一介の法学士
気は一本のお坊ちゃん
とかく浮世はジョーダンと
りこうぶってはみるけれど
ロハより安い出演料。
この各行の一番上の文字をつづり合わせると、ミキトリロー、すなわち当時大評判だった「日曜娯楽版」の作者の名になる。
高田保にいわせると、自分はけっして内実を知っていてこの詩をつくったのではない、「三木鶏郎」という名をじっと眺めていると、天啓のごとくおのずからそういう文句が浮んでくる。論より証拠と、三木鶏郎に会ったとき出演料について質問してみた、という。
「実費ダケハ出テイマスカ」
「出テイルノハ私ノホウノ足デス」
との答えで、高田保は自分の霊感の正しさに、うっとりしたそうである。
私も真似してみようと考えたが、霊感については自信がないので、さる嬋妍《せんけん》として窈窕《ようちよう》たる霊感美女に依頼した。他人を傷つけてはいけないとおもい、私自身の名について頼んでみた。
世《ヽ》の中を
|し《ヽ》のぶおもいの
雪《ヽ》見酒
純《ヽ》なこころを
|の《ヽ》ぞかせる
|す《ヽ》がたこいしい
|け《ヽ》さのきぬぎぬ。
イキな答えが出たので安心して、山藤章二の分も頼んでみた。
ところが、これがいけません。でも、私の責任ではないのだ。
|やま《ヽヽ》いのとこに
どっと|ふし《ヽヽ》
|しょう《ヽヽヽ》こう熱に痔《ヽ》も出たよ。