「身上判断詩」に、すっかり私は興味をもってしまった。こころみに、身近な友人の名をおりこんでつくってみると、たちまち出来上る。一、二分でできてしまい、われとわが才能におそろしくなってきた。その人物の特徴を頭に描きながらつくるから、でき上った文句が似合うのは当然である。本人が怒らなさそうなのを、二、三紹介してみよう。
愛嬌ないとはいわないが
がむしゃら
わがまま
ヒヒじじい
ろくな戦果はありません
ゆめも
きぼうも捨てなさい。
この一番上の文字を並べると、「あがわひろゆき」となる。
次は、「芦田伸介」。予備知識は必要ないだろうが、画面から受ける印象とはかなり違う人柄であることを知っておいてもらいたい。いまはもう構わないだろうが、以前「氷点」のスタアだったころは、営業妨害になるといけないので、対談のゲストとして出席してもらうことを私は遠慮した。つまり生地《きじ》はそんな按配なのだ。
ああ
しびれると
だんちのマダム
しんじてやりたい
すがただが
けっしてどうしてそうでない。
その次は、「福地泡介」。この男はもう三十六、七になったが、人を年寄り扱いにして、いつまでも若ぶっている。モテルモテルといってはいるが。
ふえる
くろうに
ちからもうせて
ほんのちいさな
うわさにも
すがりついてる
けはいいじまし。
フクチは傷つきやすい人物だから、最後の一行は「けなげさよ」に変更してもよい。
生島治郎については、発表しようかどうか迷った。ハードボイルド小説を書いているから、そのイメージを傷つけてはいけない。しかし、ハードボイルドの裏にはやさしさが潜んでいる、というのがイクシマの持論だから、かまわないだろう。
|い《ヽ》ろこいざたにかんしては
|く《ヽ》さいものにはフタ
|しま《ヽヽ》す
|じ《ヽ》っとがまんをしているが
|ろ《ヽ》くでもないよな
|う《ヽ》わさもあるよ。
そのほか幾人かつくって、その中には名作があるが、発表できないのが残念でならない。