またしても厨房《ちゅうぼう》に嗅《か》いだことのない異臭《いしゅう》が充満《じゅうまん》して、フォンヴォルテール卿《きょう》は衛士に泣き付かれた。
諸悪の根源である男の名前と呪《のろ》いの言葉を吐《は》きながら、石の床《ゆか》を蹴《け》って厨《くりや》に踏《ふ》み込む。
「ギュンタ……ぐ……ごほ……げェっ……」
朱色《しゅいろ》の煙《けむり》がもうもうとあがっている。グウェンダルは顔を押《お》さえて腰《こし》を折った。目にきている、涙《なみだ》が止まらない。
「貴様、こっ、これは何事だ!?」
息を吸うと鼻と喉《のど》に刺《さ》すような痛みが。喋《しゃべ》るのと咳《せき》はほとんど一緒《いっしょ》だ。
「ギュンターっ、ここで、げほッ、何をしていゴふッ」
「グウェンダル、あなたですかーぁ?」
デスカもないもんだ。毒ガス発生の張本人は、ちゃっかりマスクと眼鏡《めがね》を着けて、たちのぼる煙の真ん中にいる。
「なっ、なんだこの、すごい気体は」
「小動物を煮《に》えたぎった油に落とすのを禁じられたから、とりあえず植物で代用したのです。ほーらこの赤唐辛子《あかとうがらし》の大ぶりの実、よく見ると子ネズミに似ていませんか?」
「赤、唐辛子を、油に入れたのか?」
「そうです」
「しかも大量に?」
「そうです!」
こうして眞魔国にラー油が誕生した。
グウェンダルはギュンターの腕《うで》を掴《つか》み、どうにか厨房から連れ出した。涙はまだ止まりそうにない。
「もう占《うらな》いはやめるんだ」
「何故《なぜ》ですか? 陛下《へいか》のご無事を祈《いの》る気持ちが、あなたにはないというのですか!?」
「そうは言っていない。何事もなく戻《もど》るようにとは思っている。国外で死なれると面倒《めんどう》だからな」
「死……よくもそんな恐《おそ》ろしいことを口にできるものですねッ! この鬼《おに》、悪魔《あくま》、冷血漢!」
「悪魔、といわれてもな」
二人とも魔族だし。
美しすぎて女性に敬遠され、抱《だ》かれたい男ナンバーワンは逃《のが》しているギュンターだが、眞魔国一の美形の座は五十年近く不動のままだ。その彼にここまで鬼気《きき》迫《せま》る表情をさせるとは、新王の力も侮《あなど》れない。もっともユーリが来たことで、国内ランキングにも変化があるだろうが。
「それともまさか……」
いまや見る影《かげ》もなくやつれた顔に、恐怖《きょうふ》の色をにじませる。
「陛下への身のほどをわきまえぬ邪《よこしま》な感情を、押《お》し隠すためにわざと無関心を装《よそお》っているのでは!?」
「身のほどをわきまえないのは貴様だろう」
「きーっ悔《くや》しいィーッ! やはりそうだったのですねーッ!?」
何がそうだったというのだ!?
なんだか、おすぎとピーコに絡《から》まれているようで目眩《めまい》がする。ファッションチェックお願いします。
「うすうす勘付《かんづ》いてはいたのです。陛下はあのようにご聡明《そうめい》で、お美しく、高貴な黒を御身《おんみ》に宿し、正義感がお強くて国民|想《おも》い、何事にも新鮮《しんせん》な驚《おどろ》きをもって接し、ちょっとお気が小さくてちょっとお気が強い、世が世であれば眞王のご寵愛《ちょうあい》をも……グウェンダル!」
こっそり抜《ぬ》け出そうとしていたフォンヴォルテール卿は、ギュンターの思いの外強い力で奥衿《おくえり》を掴まれる。
「考えてみれば、そうでした。あなたがた兄弟三人とも、過去の恋愛遍歴《れんあいへんれき》をひもとけば、気の強い相手ばかりと恋《こい》に落ちていましたね……」
「そんなものをひもとくな!」
ギュンターの目の光が尋常《じんじょう》ではない。背後《はいご》から効果音も聞こえそうだ。
「……ヴォルフラムのみならず……もしやあなたまで……」
「とてつもなく不愉快《ふゆかい》な誤解だ」
「誤解などであるものですかーッ! ああああーっ、もう誰もかれもが陛下にメロメロで、陛下に骨抜《ほねぬ》きなんでしょーッ!?」
「誰か手を貸せっ! 乱心だ、フォンクライスト卿が乱心したぞ!?」
もう人を呼ぶしかない。
西|病棟《びょうとう》に助けてくれの声あれば、走って行って脈をとり、東|治療棟《ちりょうとう》に死なないでの声あれば、全速力で駆《か》けつけて呼吸を確かめる。
おれたちは精彩《せいさい》を欠いたモルギフをかついで、ヴァン・ダー・ヴィーア総合病院を駆けずり回っていた。魔剣《まけん》に人間の命を吸わせるために、重病|患者《かんじゃ》が一人くらい亡《な》くなりはしないかと、不謹慎《ふきんしん》な期待をしての右往左往だ。
「どっ、どうしてこの病院は、生存率が異様に高いんだろ。いや、あのね、患者さんのご家族にとっては、いいことなんだよ? いいことなんだけど」
悪いことはできないもので、朝から誰一人としてご臨終しない。三ツ星クラスの病院だ。先程《さきほど》も意識のなくなった老人が、心音を確かめようとしたヴォルフラムの手を掴み、かっと両目を見開いて女性の名前を叫《さけ》んだ。娘《むすめ》と孫は大喜び、四年ぶりにお爺《じい》ちゃんが喋《しゃべ》ったと泣くわ泣くわ。
ダメージが大きかったのはヴォルフラムで、額に冷たい汗《あせ》を浮《う》かべ、手首を握って何事か呟《つぶや》いていた。魔《ま》よけの言葉だったらしい。魔族が魔よけって、妙《みょう》な気もするが。
おれたちが病院レースをするはめになったのは、モルギフにエネルギーを充填《じゅうてん》するためだった。温泉からあがってしばらくすると、奴《やつ》は輝《かがや》きも硬《かた》さもなくなり、弱々しく『はう……』と吐息《といき》をついたきり、うんともすんともいわなくなってしまった。
普通《ふつう》、剣はうんともすんともいわないものだが、こいつの場合は話が別だ。心なしか肌《はだ》までかさついて、ダイエット中の女性みたいな元気のなさだ。
きっと温泉の効能は、錆《さび》止《ど》めだったのだろう。
「ギュンターが日記に書いていたとおり、人間の命を吸収させないと、魔剣として使いものにならないんじゃないのか?」
「命ったってお前ねえ、そう簡単に言うけど……どうやって人間の命を吸わせりゃいいんだよ。コンビニで売ってるもんじゃないんだぜ?」
「てっとり早くて数を稼《かせ》げるのが村の焼き討ちだなぁ。ちょっと頭数が減るけど一家|惨殺《ざんさつ》も有効じゃねえ?」
「ヨザック、陛下がそんな恐《おそ》ろしいことなさるわけがないだろう。かろうじて闇討《やみう》ちか辻斬《つじぎ》りなら、ニッポンのサムライも昔やってましたよね」
「だーっもう、お前等ッ! 倫理感|喪失《そうしつ》もたいがいにしろよ!? 罪もない人の命を奪《うば》うなんて、おれにそんなことできるわけないっしょ!? おれじゃなくてもヒトとして駄目《だめ》だし!」
その結果、一行は病院におもむき、東西南北を駆けめぐることとなった。
だが、昼まで頑張《がんば》っても誰も旅立たず、逆に三人ばかり生き返らせてしまった。感謝されることしきりだし、ヴォルフラムなんか愛の天使なんて異名までもらったのだが、おれたちとしては複雑だ。
「……なんか、作戦として、駄目だったのかもしれない」
病院の食堂で昼食をとりながら、おれはぐったりとテーブルに頬《ほお》をつけた。
周囲に人は少ない。そりゃそうだ、本日は祭りの最終日、夕方にはグランドフィナーレがひかえている。島の住人は商売で忙《いそが》しいし、客は観光で忙しい。こんなときに病院で悩《なや》んでいるのは、患者と関係者と職員くらいだ。
モルギフは鞘《さや》がないので布でぐるぐる巻きにして、ハムナプトラの刀版という情けない姿だ。もちろん顔は見えないが、そんなこと今更《いまさら》どうでもよかった。
あれだけ大騒《おおさわ》ぎしたモルギフの顔が、不思議とまったく怖《こわ》くない。スプラッタ映画三巻組を一晩で見たら、夜が明ける頃《ころ》には笑えるようになっちゃってたという、俗《ぞく》にいうスクリーム1・2・3現象だろう。
「慰問団《いもんだん》を装《よそお》って尋ねたんだけど、この病院にはもう重態の患者はいないそうです。となると島の東の療養所《りょうようじょ》と、西の老人|施設《しせつ》のどちらかに向かうしかないな」
「やだなあ、いくらモルギフのためとはいえ、こんな、誰かが亡くなるのを待ってる生活」
「生活ったってまだ半日しか過ぎてねーじゃんよ、陛……おっと、お坊《ぼ》っちゃん」
コンラッドはおれの皿を確かめて、自分のデザートをこちらに押してきた。
「本来の食欲とは程遠《ほどとお》いな。どうしました? 朝はそれなりに食べていたのに。病人食で口に合わないんですか」
「そうじゃねーよ、そうじゃないけど……」
「他《ほか》に食べたいものがあるなら、言ってくれれば探しますよ。この島は観光で成り立ってるんだから、客が所望するほとんどのものは、用意できるようになってるんです」
「ぼくはネグロシノマヤキシーが食べたい」
そいつは食用だったのか。ヴォルフラムの注文は無視された。
「おれは……そうだな、舟盛《ふなも》りかな」
「フナモリ? それはどんな」
「舟の上にね、新鮮《しんせん》な魚の刺身《さしみ》とか貝とかが載ってんの。外国人は生魚いやがるけどね。日本人はやっぱ刺身なのね。鰤《ぶり》とかハマチとかイナダとかさぁ……ごめんこれ全部同じ魚だった」
本当は、そうじゃなかった。
誰かの死を待つような状態がいやで、ストレスを感じているのだと思う。祖父母も四人とも健在なおれにとって、死はまだまだ遠い存在だったので。
コンラッドはおれを覗《のぞ》き込み、額に触《ふ》れて、母親が熱を測るように額をくっつけた。
「よせって、ガキじゃねぇんだから!」
「熱はないけど、顔色がいいとはいえないな。多分、昨夜の疲《つか》れも残ってるんでしょう。よし、じゃ、午後は俺《おれ》とヨザがそれぞれ西と東の施設へ行ってみます。あなたはヴォルフと街に残って。民家の二階を借りたから、宿屋よりは人目に触《ふ》れずに過ごせるはずだ」
「ちょっと待てよ、メルギブはおれにしか持てないんだぞ!? おれが行かなきゃ始まんねーじゃん!?」
「無駄足《むだあし》になる可能性も高い。それに俺だけなら馬を借りて片道二時間てとこですが、坊っちゃんがご一緒だと倍かかります。様子を見て、ことが起こりそうだったらすぐ戻《もど》りますよ」
おれは渋々《しぶしぶ》うなずいて、いやに重いモルギフに手を掛《か》けた。
剣《けん》として構えるととても軽く、グリップも掌《てのひら》に吸い付くように握《にぎ》りやすいのに。通常の荷物として持ち運ぶと、見た目以上にずっしりくるのだ。しかもどんなに布を巻いても、おれ以外の誰にも触《さわ》れない。指先が接した途端《とたん》に電気が走り、雷《かみなり》にうたれたような衝撃《しょうげき》を受ける。
「よいしょっと」
「なんだユーリ、年寄りくさいな」
八十二歳に言われたくない。
街は人込みであふれていて、みんな晴れ晴れしい顔つきだった。祭りを心から楽しんでいて、今日ばかりは悩み事も忘れているのだろう。女達は裾《すそ》の長いワンピースをまとい、大きな花柄《はながら》は風に広がった。本物のように美しかった。
島は色に満ちていた。目が痛くなるくらい華《はな》やかだった。
借り切った民家の二階から、おれは彼等を眺《なが》めていた。モルギフは唸《うな》りも呻《うめ》きもせず、おれの脇《わき》に黙って横たわっていた。
「なあヴォルフ」
「なんだ?」
「ルッテンベルクの獅子《しし》ってなに?」
ヴォルフラムは宙を見て少し考え、日記に視線を戻してからやっと言った。
「そういえば昔、コンラートがそう呼ばれているのを聞いた。もう少し髪《かみ》が長かったからな。ルッテンベルクはあいつの生まれた土地の名だ」
「じゃあ、ジュリアって誰」
「ぼくではなく母上に訊《き》くといい。ジュリアと親しかったはずだから」
「親しかったって、どういうことだ?」
「つまり……眞魔国には三人の桁外《けたはず》れの魔力《まりょく》を持つ女性がいたんだ。一人は黄金のツェリ、ぼくらの母上だ。もう一人は赤のアニシナ、彼女は兄上……グウェンダルと事情のある、燃えるような赤毛の小柄《こがら》なご婦人だが」
「グウェンダルと事情があるって……事情ってどんな危険な事情……」
「ぼくに訊くな! 最後の一人が白のジュリア。ジュリアは亡《な》くなった。二十年近く前にな。眞魔国の三大魔女だったんだが、彼女は生まれつき目が見えなくて……」
おれの胸で魔石が熱を増した。これの元の持ち主が、きっと。
「気の毒に……コンラッド……恋人《こいびと》を亡くしてるんだ……」
ヴォルフラムが、すっ頓狂《とんきょう》な声をあげた。いつもならコンラッドの話をすると怒《おこ》るのだが、おれがあまりに馬鹿《ばか》げたことを言い出したので、爆発《ばくはつ》のタイミングを外したようだ。
「ジュリアが!? ジュリアがコンラートの恋人だって!? そんな話は聞いたこともない!」
「なんだよ、コンラッドの元彼女じゃねーの!? あれー? おれどこで間違《まちが》えちゃったかな。じゃああとひとつだけ、ヴォルフ。グランツの若大将ってのは?」
表情が固くなる。ささくれだった机の上で、白い指がきゅっと握《にぎ》られた。開いたままの日記のページが、流れる風で僅《わず》かに動いた。
「グランツは眞魔国の北の端《はし》。アーダルベルトの生まれ故郷だ」
フォングランツ・アーダルベルト。
背筋を冷たい汗《あせ》が落ちる。
おれがこの世界で最初に接触《せっしょく》した魔族。おれの脳味噌《のうみそ》をいじった男、おれを殺そうとした男。
「あいつは婚約者《こんやくしゃ》が死んですぐに国を捨てた。魔族に復讐《ふくしゅう》するために。アーダルベルトと婚約していたのが……」
どういうことだ? コンラッド。
「白のジュリア……フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアだ」
どういうことだ!?
昨夜、盗《ぬす》み聞いた会話の様子からは、ジュリアという女性を単なる友人とは考えづらい。となると結婚の決まった彼女と、不倫《ふりん》寸前の三角関係を続けていたことに!? いやーっ、不潔よコンラッドったらーッ! 母親の性格をしっかり受け継《つ》いでいる。
「ユーリ」
ヴォルフラムが冷たい声でおれを呼んだ。
「あ、はい」
「お前、どうしてそんな顔をしているんだ」
「おれどんな顔してます?」
昼の連ドラ視てる母親と同じ顔だろう。
「何故《なぜ》お前が、アーダルベルトとジュリアのことでそんな期待した顔するんだ? なにか段々腹が立ってきたぞ。よーし、またこの日記を読み上げてやる!」
「うわ、それを朗読するのだけはヤメテ」
「戴冠式《たいかんしき》に臨まれる陛下《へいか》のご様子は気丈《きじょう》にふるまわれながらもどこか不安げで」
「やーめーろーっ!」
それもうほとんど小説じゃんか!? 日記帳を取り上げようと手を伸ばすが、彼は身を反《そ》らしベッドに逃《のが》れた。
「……触《ふ》れれば倒《たお》れてしまわれそうな儚《はかな》さは、まだ少年と青年の境を越《こ》えぬ者だけが持……」
「いっそそいつを燃やしてくれー!」
どうにかして奪《うば》おうと飛び掛《か》かり、ヴォルフラムの上に乗っかった時だった。
「ちょっと聞いてくださいよ坊っちゃん方《がた》……っと」
「……」
「ひょっとして、お楽しみ中だったかな?」
ヨザックは、開けたドアをそのまま閉めかけた。
「ちがう違《ちが》うちっがーう! お楽しんでないお楽しんでない、誤解誤解、五回五階ごかイテ」
舌を噛《か》んだ。
「昼間なんだから、いちゃつくなら鍵《かぎ》かけてくれねーと。おにーさん目の毒で困っちゃうわ」
ニューハーフ訛《なま》りで茶化しつつ、ヨザックは部屋に入ってきた。右手の黄色い紙をひらつかせ、卓上《たくじょう》に掌《てのひら》で叩《たた》きつける。
「あんた老人|施設《しせつ》へ行ったんじゃなかったの?」
「行こうとしましたとも。けどオレちょっとだけ頭使って、まず役所で施設入所者を調べたのよ。だって着いてみて空だったら骨折り損でしょー? そしたら予想どおり祭りの期間中は、年寄り全員帰省中だって。事前に判《わか》ってホントよかった……で、何の気なく貰《もら》ったこのチラシなんですけど」
黄色に赤い文字で、大きく一行、小さく三行、もっと細かく二、三行。中央には肩《かた》を組んで太陽を指差す少年達が、ヘタうまタッチで描《か》かれている。
「だからおれには読めないんだってば」
「急募! 命の最後に立ち会う仕事。死を目前にした同年代の少年を励《はげ》ましてみませんか? 十代の容姿|端麗《たんれい》な少年求む。剣《けん》持参|歓迎《かんげい》、賃金破格、面接|随時《ずいじ》……細かい文字の部分は、ぼくにも読めない」
ヴォルフラムは、いまいましそうに紙を弾《はじ》いた。
「人間どもの筆記体は崩《くず》し方が変だ。美しさとか流麗《りゅうれい》さをまったく考慮《こうりょ》していない。我々の文字とは芸術性が違《ちが》いすぎる」
「けど、どういう仕事だよ、命の最後に立ち会うって。そんなの医者か看護婦《かんごふ》しか……あ、葬儀屋《そうぎや》さんも立ち会うかな」
それは亡《な》くなった後だろう。もしかしたら宗教家も含《ふく》まれるかもしれない。懺悔《ざんげ》を聞いたり祈《いの》ったりで。だとしたらなにゆえ、剣持参歓迎? 僧侶《そうりょ》が剣を持てば僧兵《そうへい》だ、信長《のぶなが》に弾圧《だんあつ》されてしまう。
「わっかんないなあ、この島の文化は」
「要するに、その魔剣《まけん》と一緒《いっしょ》に命の最後に居合わせりゃいーんだろ?」
ヨザックが、ぱんと両手を打ち鳴らした。
「ものは試《ため》しだ。面接、行ってみましょーや」
「えー? おれ容姿に自信がないしィー」
魔族二人で異口同音。
「容姿は絶対|大丈夫《だいじょうぶ》!」
あんたたちの美的感覚は、言っちゃ悪いがマニア気味だ。
「ちっとばかし貧相《ひんそう》な剣だけどもねえ」
カーネル・サンダースそっくりの面接官は、モルギフをねめまわして呟《つぶや》いた。
「いやー、昨日になって急に十代の子供が送られてきて、こっちとしても困ってたんだけども。やっぱ若者には若者相手でねっと、客も満足しないっからねえ」
客? ああ、依頼人《いらいにん》ということか。
面接会場には、おれを含めて六人が来ていたが、いずれも劣《おと》らぬ格好《かっこ》いい美少年ぞろいだった。魔族特有の美貌《びぼう》とはタイプが異なるが、地球でいったらブラピとジュード・ロウとユアン・マクレガーとイーサン・ホークとレオさまを若くした感じだ。後半二人はパ・リーグ球団のマスコットキャラクターの名前ではない。
そんな中に、三丁目の野球|小僧《こぞう》が放り込まれたのだ。百メートル走とか遠投とか反復|横跳《よこと》びならまだしも、外見勝負でいけるはずがない。ない……のに。
「容姿だったら、ちみが一番カワイイんだけどもねぇ」
「はあ!? あっすいません、そのー、自分に自信がないもんで」
おい待てよヴァン・ダー・ヴィーア島お祭り実行委員会委員長代理。美的感覚がずれてるのは、魔族だけではなく世界的な問題なのか!?
「ちみ、職業は何だったんっけ?」
「自由業です」
「自由業は、どんな?」
やばい、全く考えてなかった。
「ぼ、冒険野郎ですっ」とくると
「名前は?」
「……マクガイバーです……」
冒険野郎はマクガイバーで、特攻《とっこう》野郎はAチームだ。それしか頭に浮かばなかった。
「んっじゃあ、ちみにやってもらおっかね」
「おれが!?」
「うんそう、名誉職《めいよしょく》っだから全力で頑張《がんば》ってねっす」
なみいる容姿端麗を蹴散《けち》らして、野球小僧が当選ということだ。
これでモルギフに人間の命とやらを吸わせてやれる。とはいえ、そのためには同年代の少年の臨終の瞬間《しゅんかん》に立ち会わなければならない。後ろめたいし、気が重い。おそらく少年は重病|患者《かんじゃ》だ。残り少ない彼の時間を、悔《く》いなく有意義に送れるように、誠心誠意、話相手になろう。
おれは密《ひそ》かに決意を固め、控《ひか》え室《しつ》のヴォルフラムとヨザックに報告に行こうとした。
「どこいぐの、付き添《そ》いの方はもう会場に行ってもらってっすから、ちみも早く馬車の中で服を着替《きか》えて」
「そんなに急ぐの」
「お客さん待だしたら失礼でっしょ」
あれよあれよという間に馬車に押《お》し込まれて、白い上着を手渡《てわた》された。委員長代理は嬉《うれ》しそうに座席に落ち着き、おれとの間隔《かんかく》を詰《つ》めてきた。
「昨日になって急に対象者が十人も増えたんだけどもね、今年の祭りはこら大盛況《だいせいきょう》だ。例年は多くても五人だがら、十二人も見られればお客さんも大満足だっし」
「はあ」
なんのことやらさっぱりだが、おれの腿《もも》を撫《な》でくりまわすのは気色悪いからやめろ。どうやらセクハラされているらしい。素知らぬ顔でモルギフの柄《つか》をくっつけてやった。
おっさんは悲鳴をあげて飛びすさった。
「すいません、おれって静電気体質でぇー」
送り届けられた会場は港の近くで、煉瓦《れんが》を積み上げた壁《かべ》に囲まれていた。ちょっと見どこかのスタジアムみたいで、蔦《つた》の絡《から》まり方なんか、高校球児|憧《あこが》れの聖地に似ていた。
甲子園《こうしえん》に縁《えん》のないこのおれに、こんな場所で何をしろというのだろう。トークバトル?
瀕死《ひんし》の少年とォ?
係員に連れられて長い廊下《ろうか》を進む。途中《とちゅう》、何《なん》ヵ所《しょ》かで外の音が聞こえた。地下鉄のホームにいるようだった。
案内された部屋《へや》には先客がいた。
広い室内は汚《よご》れた浅黄色で、何本かのベンチが並べられている。十人近くの男達が、それぞれ離《はな》れて座《すわ》っていた。壁《かべ》に寄り掛《か》かって天井《てんじょう》を仰《あお》ぐ者も、宙を見つめてまじないを呟く者もいる。中には何が嬉しいのか、残忍《ざんにん》そうな笑《え》みを浮かべた奴《やつ》もいる。全員、渡された白い服を着て、各々《おのおの》の武器を抱《かか》えたり立て掛けたりしている。
隅《すみ》の方に一人だけ女性がいた。
他の連中の殺気に気圧《けお》されて、自然とおれの足はそちらに向いた。二十代後半の痩《や》せた女で、くすんだブロンドは肩《かた》までしかない。薄《うす》い唇《くちびる》を引き結び、両腕で自分の身体《からだ》を抱《だ》くようにして、じっと壁ぎわに立っている。
名誉職に選ばれて光栄だ、そういう態度の者はあまりいなかった。
不意に喉《のど》の渇《かわ》きを意識して、おれは部屋中を見回した。お茶の用意はありそうにない。小銭を探してズボンのポケットを掻《か》き回すが、数枚の紙幣があるだけだ。
「おねーさ……えーと奥《おく》さん? 細かいのあったら両替《りょうがえ》して……」
女は弾《はじ》かれたように顔を上げ、おれの顔と紙幣を見比べた。黄色がかった薄茶の細い目は、疲労《ひろう》と恐《おそ》れで充血《じゅうけつ》している。
「そんな大金持ってるのに、どうしてあんたみたいな子が、こんなこと……」
言ってしまってから口を押《お》さえるが、他の奴等《やつら》は誰《だれ》も聞いていない。
「あたしの末の弟と同じくらいだろ、弟は今年で十四なの。ねえ、金に困ってないのなら、こんな仕事引き受けちゃいけないよ。名誉職だとか言われて騙《だま》されたんだろ? そりゃ客として観《み》てる分には勇ましくてかっこいいかもしんないけど、やるとなったら話は別だ。こんなのは正義でも神の使者でもない、ただの汚《きたな》い人殺しだよ!」
人殺し!?
女は一方的にまくしたてると、おれの肩を掴《つか》んで揺《ゆ》さぶった。
「悪いことはいわない、今すぐここを出て家にお帰り。家がないなら親方んとこにお帰り! あたしだって息子《むすこ》が病気でなけりゃ、こんな恐ろしいことに手を染めやしない。どうしても金が入り用だってんじゃないんなら、若いうちからこんなことを覚えちゃいけない」
「待ってください、ちょっと待って。こんなことって何? だってチラシを読んでもらったら、命の最後に立ち会う仕事、死を目前にした少年を励《はげ》ませって……待てよ、人殺しってどういうことだよ。客として観る分にはかっこいいって」
「あんた自分で字が読めなかったんだね!? そういう子はいくらでもいる、そういう子がみんな騙されるんだよ。これは相手を励ます仕事なんかじゃないよ、これはね、処刑《しょけい》なんだよ。祭りの最後に客を喜ばせる、残酷《ざんこく》な見せ物の殺し合いなんだよっ」
祭りの最終日には、港近くの闘技場《とうぎじょう》でグランドフィナーレがあって、それを見逃《みのが》すと後悔《こうかい》すると宿の女将《おかみ》は力説していた。
それが、ここなのか? それを、おれが!?
「どういうこと!? 処刑って、殺し合いってどういうことだ!?」
「毎年一人は、必ずこういう奴がいやがるんだよなあ」
動転しているおれの質問を聞きつけて、男がからかうように近寄ってきた。残酷な笑みを浮《う》かべた髭面《ひげづら》の中年で、巨大《きょだい》な斧《おの》を脇《わき》に置いている。モルギフを握《にぎ》る手に力が入った。薄《うす》ら笑いがいっそう楽しげになる。
「そんなにビクつくなよ。ここで騒《さわ》ぎを起こしゃあしねぇさ。言ってみりゃ俺《おれ》たちゃ仲間同士だろ? 俺だってぶっ殺す相手くらい心得てらぁ。だがお前さんは全然わかっちゃいねーようだよな。毎年必ずこういうガキがいるんだ、俺ぁ四回目だから詳《くわ》しいけどよ」
「詳しいって……じゃあ教えてくれよ。あんたが三度もしたことをさ」
自棄《やけ》気味の強がりで言うと、男は胸を反《そ》らせて立ち上がった。この場では味方はモルギフだけで、おれは右手の相棒をおそろしく意識していた。頼《たよ》りにしてるといってもいい。
低い唸《うな》りが指に伝わる。
「教えてやるよ。これからお前は闘技場に行って、反対側から引き出されてきた罪人と闘《たたか》うのさ。剣《けん》でも槍《やり》でもナイフでも、好きなエモノで相手を切り刻むんだ。なぁに容赦《ようしゃ》するこたぁねえ。向こうは死刑にされる罪人だ。いたぶればそれだけ観客は喜ぶ。客を喜ばせりゃこっちのもんだ、来年もこの仕事にありつけるぜ。罪人に同情するやつぁいやしねえ。誰にも責められずに人が殺せる。なんせこいつは、名誉職だからよう」
女がおれに囁《ささや》いた。
「あんなふうになる前にここから消えなよ。あいつ人殺しが癖《くせ》になっちまってるんだ。もう殺さなきゃ渇いちまって生きてけないのさ」
冗談《じょうだん》じゃない、そんなことを癖にしてたまるか。趣味《しゅみ》でも特技でもチャームポイントでもまずい。入ってきたドアに駆け寄って、ノブを掴んで引いてみる。
「くそ、鍵かけやがった」
「貧相《ひんそう》な武器だな、ろくに研《と》いでもないじゃねーか」
男が、立て掛けておいたモルギフに手を伸ばす。
「危なっ……」
不様な悲鳴で尻《しり》から倒《たお》れる。少しでも冷たいところを探して、左手を床《ゆか》に擦りつけた。
「なんだ!? なんだこいつっ!? こいつ普通の剣じゃねぇぞ!? おいガキ、おめーこいつをいったいどこで……」
入り口とは反対の壁が、鉄の軋《きし》みを響《ひび》かせて開いた。続く廊下《ろうか》の向こうから、歓声《かんせい》と光が流れ込む。
「二人、準備しろ」
完全武装した兵士が三人、おれと女性を手招いた。
おれがトップバッターで奥さんが二番手だ。
兵士達を振《ふ》り切って、全速力で走ろうとも考えたが、闘技場の中央に出てしまうだけだ。事態は何も変わらない。
薄暗《うすぐら》い通路を追い立てられながら、彼女はおれに教えてくれた。
「いいかい、こうなったらもう逃《に》げられないけど、それでも絶対に自棄になっちゃ駄目《だめ》だよ。あんたみたいな子が人殺しなんてしちゃいけない。とにかく時間を稼《かせ》ぐんだ。相手はあたしたちに勝てば死刑を免《まぬが》れるって聞かされてるから、必死になってかかってくるけど、逃げたり避《よ》けたりでやり過ごしな」
「おれたちに勝てば死刑を免れるって、じゃ、こっちが負けることもあんの!?」
「そういうことは滅多《めった》にない。あたしは子供の頃《ころ》からこの祭りを観て育ったけど、罪人が生き残ることは滅多にないんだ」
ごくまれに、名誉職側《めいよしょくがわ》が負けることもアリ。
「時間を稼ぎな、時間をね。観客が焦《じ》れてくればなんとかなる。あんたの手で息の根を止めなくて済むからね」
「けど……」
不意に屋根がなくなって、歓声が、わんと耳に飛び込んでくる。円形の場内には大量の松明《たいまつ》がかかげられ、昼間以上の明るさだ。まるでナイターの開始時刻だが。
だが、ここは、スタジアムじゃない。ベンチもベースも芝《しば》もない、ざらつく石畳《いしだたみ》と潮風だけだ。ここで行われるのは試合ではなく、人と人との殺し合いだ。
「コロシアム……一字|違《ちが》いか」
観客全員が立ち上がる。管楽器の高らかな旋律《せんりつ》が流れ、人々は胸に手を当てて歌いだす。ポールに二枚の旗が並んだ。シマロン国旗とヴァン・ダー・ヴィーア島旗だろう。
皆《みな》が高揚《こうよう》してゆく中、おれだけが茫然《ぼうぜん》と突《つ》っ立っていた。
生まれて初めて直面する事態に、身体が硬直《こうちょく》して動けなかった。
この世界に喚《よ》ばれるようになってから、現代日本の高校生では一生体験しないような様々な危機にさらされてきた。襲撃《しゅうげき》も受けたし決闘《けっとう》もした、暗殺と誘拐《ゆうかい》もされかけた。けれど、いつでもおれは一人じゃなかったし、必ず誰《だれ》かが助けてくれた。
そうだ、コンラッド!
見回しても彼の姿はない。片道二時間の遠出の途中《とちゅう》だ。
これまでにも増して、どピンチだ。言ってみれば、レオナルド・ど・ピンチというくらいの危機的|状況《じょうきょう》。
兵士が鉄の格子戸《こうしど》を閉め、おれたちが戻《もど》れないように鍵をかけた。
「お前はツイてるぜ。昨日追加した罪人連中は海賊《かいぞく》だが、大物はほとんど本国送りだ。残ったのは下《した》っ端《ぱ》の小物ばかり。剣《けん》の腕《うで》だってたかが知れてる」
「海賊って、一昨々日《さきおととい》かその前に、豪華《ごうか》客船を襲《おそ》ったあれか!?」
「そうだ。驚《おどろ》いたことにその船には、客になりすました魔族《まぞく》が乗ってたらしいが」
なりすました、って。れっきとした客ですよ、支払《しはら》いしたんだから。
「ところがそいつら、船が港に入る頃《ころ》にゃ、風船人形に姿を変えちまったらしい。この祭りに加えるつもりだったが、生きてるか死んでるかも判《わか》らねーようじゃ……」
その対戦が実現すれば、おれ対おれ(水難救助訓練用人形、救命くん)のドリームマッチだったのに。しかも、おれ圧勝。おれ秒殺。
トランペットらしき楽器がファンファーレを鳴らす。客が|G1《ジーワン》の期待にどよめいた。
向かい合ったゲートから罪人が曳《ひ》かれ、双方、出走間近となる。
遠目ではっきりとは見えないが、十二、三歳の少年だ。
「まだ子供だぞ!?」
「ガキでも立派な悪党だ。護衛船や客船の見張りに一服盛って、賊をやすやすと引き込みやがった」
「子供は殺せねーよ!? ってより大人も老人も殺せないけどさッ」
本当は羊も豚《ぶた》も殺せない。わんこに石を投げることもできない。
「あたしの言ったことを忘れないで。時間を稼ぐんだ、客を焦らして」
「そっ、そうだった。そうすりゃ殺さずに済むんだったな。よーし、おれ頑張《がんば》って塁《るい》に出るから、奥《おく》さんバントで送ってな!」
混乱している。
おれは兵士に腕《うで》を掴《つか》まれ、闘技場《とうぎじょう》の中央に運ばれた。
独りだ。ひとりきりで、どうにか切り抜《ぬ》けなければならない。どうする!?
どうする、渋谷ユーリ。
指先に低い振動《しんどう》が伝わった。相棒が呻《うめ》いておれを呼ぶ。
「……モルギフ」
そうだった。
こいつは最強の魔剣《まけん》、モルギフ。
魔王の忠実なるしもべ。
おれが正真|正銘《しょうめい》、本物の魔王だというのなら、お前はおれを独りにしないはずだよな。
「なんだよ相方《あいかた》、武者震《むしゃぶる》いか?」
相方って言うな(自己ツッコミ)。
敵は大ぶりの両手剣を握《にぎ》っている。手入れの行き届いた輝《かがや》きだ。
遠く波の上を渡《わた》ってきた、潮風がコロシアムを吹《ふ》き抜《ぬ》ける。おれは黄ばんだ布をほどき、風の思うままになびかせる。
魔剣が姿を現した。
「きっと皆お前のことを、すげー剣だって噂《うわさ》してるぜ」
「なんだあの情けない顔の彫刻《ちょうこく》は」
「あんななまくらで人が斬《き》れるのか」
「キモーイ」
キモイはねえだろ!? キモイは! 予想外の大不評だ。
中央に辿《たど》り着く前に、相手が奇声《きせい》を発して走りだす。銀の刃《やいば》を上段から、おれに向かって振《ふ》りおろした。
「……おォっと!」
『うー』
すんでのところで受けとめて、両腕に衝撃《しょうげき》が走るのを堪《こら》える。金属がぶつかり合う瞬間《しゅんかん》に、モルギフは空腹そうに短く呻いた。
「まだ審判《しんぱん》がコールしてねぇだろっ!? 危険球で退場くらわすかんなッ」
すぐ近くに、興奮した相手の息遣《いきづか》いがあった。跳《と》びすさり間を取って、ようやく互《たが》いの顔を見た。やはりまだ子供だ、おれより三つは年下だろう。顔全面に散らばった見事なそばかす、ピーナッツバターのCMに使われそうな……。
「リック!?」
まさか。
少年もこちらに気付いたのか、ぎょっとして剣先が下を向く。
「なんできみがこんなとこに……何かの間違《まちが》いだろ? きみはちゃんとした船員だもんな、見習いとはいえ罪人|扱《あつか》いされる筋合いはないよ」
「あんたこそどうして、こんなこと……」
「おれのことはいいんだよ! 冗談《じょうだん》じゃない、こんなの誤解だ、おれから役人に言ってやるよ。ちょっとー、この子は海賊なんかじゃないよ! おれが身元を保証するから……」
客が叫《さけ》んだ。モルギフに強く引っ張られて、おれは前のめりにバランスを崩《くず》す。
「……っ」
肩が細く浅く焼けた気がする。
「リック……お前……」
少年が背後《はいご》から斬りかかったのだ。血走った眼《め》と歪《ゆが》んだ口元、頬《ほお》にさした朱で、もはやそばかすは見えない。
「相変わらずお人好《ひとよ》しだね、お客さん」
白い服を着せられた理由が判った。赤が美しく映《は》えるからだ。
「おれを倒《たお》そうとしてるのか?」
「あんたを殺せば無罪になるってきまりだからね」
「騙《だま》されてるんだろ? なあリック、きみ騙されてんだよ。殴《なぐ》られたり脅《おど》されたり恐《こわ》い思いして、海賊ですって言わされたんだろ? あのねえ、そんな自供は無効だよ。ちゃんと弁護士に助けてもらおうよ。なんだったらおれも力になるって」
リックは少しだけ顎《あご》を上げ、それから渇《かわ》いた声で長く笑った。狂気《きょうき》に支配される寸前の、自分では止められない嘲笑《ちょうしょう》だ。
「騙されてんのはそっちだろ!? 見習い船員として潜《もぐ》り込んで、見張りを眠《ねむ》らせるのがオレの仕事さ。それから仲間が乗り移りやすいように、梯子《はしご》を降ろすのもオレの役目だ。ああ、特別室の客が部屋《へや》に居るはずだって、甲板《かんぱん》で報告したのもこのオレだよ。決行直前にあんたと出交《でく》わした時は、正直いって肝《きも》を冷やしたね。なのにあんたときたらどこまでも間抜《まぬ》けで、見回りを励《はげ》まして行っちまいやがった!」
後頭部を殴られたようなショックと自己|嫌悪《けんお》。穴があったら入りたい。信じてはいけない彼を信じ、信用していい船員を軽蔑《けいべつ》していたなんて。
「なんで、そんな……だって船乗りになるんだろ!? 大きな船を操《あやつ》るんだろ!?」
「そうだよ、お客さん。大きな船の船長になるはずだった。あんたたちがあの時、邪魔《じゃま》をしなかったらね」
「船長って……海賊船のか?」
「それ以外にどんな道があるってんだよ。物心ついたときから賊の中にいた、オレみたいなガキに、どんな道がよぉ!?」
悪魔に憑《つ》かれたような茶色の瞳《ひとみ》は、瞳孔《どうこう》を収縮させておれを狙《ねら》う。
ガキと平凡《へいぼん》な高校生だ、剣の腕もなにもあったもんじゃない。ただどちらがより多く修羅場《しゅらば》をくぐっているかといえば、生まれついての海賊のリックだろう。おれはこの世界での経験も浅い。本気の殺し合いに慣れていない。
『はうー!』
モルギフが、かろうじて鍔《つば》で切っ先を跳《は》ねのけて唸《うな》った。
「そりゃあお前は経験豊富、百戦|錬磨《れんま》かもしれないけどさ! おれはバットしか握《にぎ》ったことねーの! ついでに言うとほとんど代打要員で、スタメン経験まったくなし!」
「あんた余裕《よゆう》だね! 誰と喋《しゃべ》ってんの!?」
「剣と!」
なんだかスーパー腹話術師みたいな気持ちになってきた。
『ばぶー』
「いくらちゃん、じゃ、ねーんだからッ」
まだ人間の命とやらを吸収していないから、能力を発揮できないのは解《わか》る。だからといってこのまま防戦一方では、相手に主導権を握られたままだ。どうにかしてモルギフにも戦ってもらわないと。
必殺|技《わざ》の名前を叫んでみるってのはどうかな?
「メルギブ、じゃなかったモルギフ、パンチョ!」
パンチョは伊東《いとう》。
「ちがーう、モルギフ、パーンチ!」
パンチは佐藤《さとう》。落ち着け、パンチとかキックとかは剣の必殺技ではないだろう。やはりここは袈裟《けさ》がけとか、唐竹割《からたけわ》りとか、真剣白羽《しんけんしらは》どりとか。
どれも日本刀の得意技だ……。
できることをしよう。
「え?」
頭の中にいきなり文字が閃《ひらめ》いた。声ではなく、文字だ。
高音域の打楽器みたいに、鋼《はがね》はさかんにぶつかり合う。上にある右手の指が痺《しび》れる。人差し指が鍔《つば》の裏にかかった。
できる限りのことを。
「あんたを殺せば自由になれるんだ! オレは殺せるよ!? そっちは怖《こわ》いみたいだけどねっ! だってあんた、魔族《まぞく》だって話じゃないか! 魔族を倒《たお》せば箔《はく》が付く! こんなオレでも生きてく道が、悪党以外に開けるかもしれない!」
「できることを、するだけだ」
落ちてくる銀の弧《こ》を下から弾《はじ》き、切っ先を反《そ》らしてよろめかせる。再び振りかぶるのを斜《なな》めに避けて、おれはモルギフを思いきり引いた。テイクバック。
リックの刃先が地面に叩《たた》きつけられ、青い火花が四散する。グリップエンドを臍《へそ》それすれに掠《かす》め、前かがみの腰《こし》を目掛《めが》けて振りぬいた。
軸足《じくあし》の親指から体重が移動し、左腕一本で持っていく。勢い余って膝《ひざ》を突《つ》いた。中村《なかむら》ノリのフルスイングだが、どう見ても変化球に合わせただけだから、よくて精々《せいぜい》ファウルチップ。
「……ぐっ」
リックは、ぐらりと傾《かたむ》いて、腹を押《お》さえてうずくまった。口からは血の混ざった泡《あわ》が滴《た》れている。
おれはモルギフをぶら下げたまま、やっとのことで息を吐《つ》く。
「ごめん。手加減できるほど、剣豪《けんごう》じゃないんだ」
「……こっ……」
「内蔵やっちゃったかもしれないけど、上半身と下半身真っ二つよりはましだろ? こいつ見かけどおりのなまくらでね。気合い入れて研《と》がないと斬れないんだ」
リックは、おれの足首を掴《つか》んだ。うずくまったままひどい眼で見上げてくる。ひどい眼だ、おれを憎《にく》んでる。きっとこんな仕打ちをしたおれを、憎悪《ぞうお》している。
「……ころ……せ……」
「殺さないよ。さっき聞いた。時間|稼《かせ》ぎすれば、殺さずに済むって。観客を焦《じ》らせば、なんとかなるって」
『うー』
モルギフが警告を発している。お前は魔剣だから、早く彼の命を吸いたいのかもしれないけど、そう簡単な問題じゃないんだよ。
「殺さないよっ、きみはきちんと裁かれるべきだ。もちろん、幼い頃から海賊の世界しか知らなかったこととか、正しい教育を受けてないから、善悪の判断ができないこととか、そういう事情を考慮《こうりょ》してね。それからやり直したって遅《おそ》くはない。きっと船乗りにもなれる」
二人の動きがなくなったので、会場からは非難の声があがる。観衆は総立ちでギルティーコールだ。男も女も、耳を覆《おお》いたくなるような言葉を吐《は》いて、勝負の決着をつけたがる。
「お前等、どうなってんだよ。こんなのどこが、楽しいんだよ……」
汗《あせ》と砂で汚《よご》れた指が、おれの膝を這《は》い上る。
必死で立とうとする肩に手を置いて、口角の血を拭《ぬぐ》ってやろうとした。
「フルスイングされたんだ、無理すんなって」
視界のはじを、一閃《いっせん》の風が横切った。
びくんと大きく痙攣《けいれん》して、少年の身体《からだ》が倒れ込んできた。おれは片腕で支え切れず、湿《しめ》った石畳《いしだたみ》に尻《しり》をつく。
「リック?」
両足の間にある彼の背には、じわりと深紅《しんく》が広がっている。重い鈍色《にびいろ》の鉄の矢が、白い服に突き立っていた。
「……リック……なんで?」
観客が凄《すさ》まじい嬌声《きょうせい》を上げる。肩を組み、踊《おど》りだす者までいる。うねる拍手《はくしゅ》と喜びの歌で、息をするのも苦しくなる。
「なんでだよ!? なんでスタンディングオベーションだよ!? もう闘《たたか》えなかったじゃねぇか! ここまでする必要ないじゃんか! 誰《だれ》だ!? 誰がこの矢を射った!? 降りて来いよ、おれの前に出てこいよッ!!」
時間を稼いで観客を焦らせば、おれの代わりに射手が息の根を止めてくれる。そういう仕組みだったのか。罪人が生き残ることは滅多《めった》にない。
そういうことだったのか。
「畜生《ちくしょう》ーッ! 降りて来い、姿みせろよッ! きたねぇだろこんなの、卑怯《ひきょう》じゃねーかよっ! 誰だ、誰がこんなこと考えた!? そいつを出せ! そいつを、おれが……おれが、こっ、殺して、やる……ッ、こ、ろし……」
駄目《だめ》だ!
真っ白になりかける頭の中で、おれの日本人のDNAが魔王の魂《たましい》をくいとめる。
そんなことするために、この世界にいるわけじゃない。
そんなことさせるために、おれを選んだわけじゃないんだろ?
『ううううう……うう……うう……』
「モルギフ?」
魔剣が断続的に唸《うな》った。大仏様と同じ位置の、額の黒曜石《こくようせき》が強く光る。
客席の最前列で、何か騒《さわ》ぎが起こっていた。そこから薄青《うすあお》いぼやけた球が、正確な放物線で落ちてくる。ピンポン玉程度の大きさで、まるで引き寄せられるように、モルギフの口にダイレクトで入った。
「ちょっと、モルギフ、今のなに!? 変なもん拾って食っちゃいけません、ぺっしなさい、ぺって!」
動転している飼い主は、犬の拾い食いなみの反応。
「大変だ、爺《じい》さんの心臓が止まってっぞ!?」
「言わんこっちゃない、もう百十二歳なのに、最前列で処刑《しょけい》なんか観てっからだ」
「二番目の若いおねーちゃんを観たがってたのに、最初ので死んじまうなんて気の毒すぎる」
「だけど、ごらんよ。この満足そうな顔」
「ほんとだ。女に生き女に斃《たお》れの人生だったけど、最後の最後で可愛《かわい》い少年にも目覚めっちゃったんかもねぇ」
どういう感想を持ったものか……。
魔剣が手の中で震え始めた。おれはリックをそっと下ろし、慌《あわ》ててグリップを両手で持ちなおした。額の石の光は強まって、天を目差して駆《か》け昇《のぼ》る。
「待てよ。まさか、まさかお前、あのお年寄りの命を吸って、こんな所で発動しちゃおうってんじゃ……」
だが悲しいかなおれには知識がない。魔剣《まけん》が発動とやらをすると、どういったことになるのか、VTRはおろか図解でも教えられていないのだ。えーと確か、牛が宙を飛び、牛が宙を飛び……無理だ、そのインパクトが強烈《きょうれつ》すぎて、他《ほか》の部分が思い出せない。
その間もモルギフは震《ふる》え続け、さすがに観客も浮《う》かれてばかりはいられなくなった。二人目の処刑どころではない。あの剣は何だとざわめきが走る。
と、モルギフが吐いた。
「うわぁ、お前っ、口から何を!?」
どう見ても黄色いゲロ状の物を、おれを咬《か》んだ口から流れさせている。液体、とは言い難い。うっかり身体にかかっても、濡《ぬ》れた感じはしないからだ。
黄色い吐瀉物《としゃぶつ》はやがて太い帯になり、ものすごいパワーでおれを引っ張り始める。放せばモルギフは遠心力実験のバケツみたいに、どことも知れず飛んでいってしまうだろう。せっかく手に入れた最終兵器を、ここで失うわけにはいかなかった。
『おえーおえー』
「ぎゃーお前、もしかして、十五年近く空っぽだった腹に」
いきなり食ったから胃痙攣《いけいれん》!?
飼い主が飼い主なら、剣も剣だ。似たもの同士でうまくやれそう。
客の一人が気付いて叫《さけ》んだ。
あれは魔剣だ。
「あれは魔剣だ、ここは焼き払われる、俺達《おれたち》みんな、殺されるぞ!」