男同士でシーワールド。
「……どうしてこんなことになっちゃったんだ」
夏休み真っ最中、創《つく》ったばかりの草野球チームと、人生の大半を捧《ささ》げている西武《せいぶ》ライオンズのために毎日|忙《いそが》しくべースボールしてたおれは、友人の悲壮《ひそう》感|漂《ただよ》う電話で呼び出された。
「ふられた」
「嘘《うそ》ッ!? お前って彼女いたの?」
「違う。告白《こく》ってデートに持ち込もうと思って、前売りチケット買っといたのに、やっぱりふられたんだ」
「じゃあお前、このクソ暑いのに告白したんだ」
「いや、してないけど」
「なにー!?」
ふられた、と、ふられたも同然とでは意味が違うと、何度も説得してみたのだが、村田《むらた》は気弱に|微笑《ほほえ》むばかりで、前向きになろうとしなかった。もったいないのは買ってしまった前売り券だ。払《はら》い戻すのも面倒《めんどう》だし、誰《だれ》かにあげるにしても期日指定はやっかいだ。七月末の土曜日では、ほとんどの友人は予定が入ってる。もちろんおれも、ヒマではなかった。
「二十八日は西武ドームでナイターが……」
「ナイターが何だって?」
中二中三とクラスが一緒《いっしょ》だった眼鏡《めがね》くん、村田|健《けん》は、彼にしては|珍《めずら》しく声を荒《あら》げた。
「僕をどれだけ野球に付き合わせた? 試合|観《み》にいくだけじゃなくて、チームの練習にまで顔を出させてるじゃないか。|巨大《きょだい》なクーラーボックス持たされて! だったらせめてこういうときくらいは、傷心の友達に時間つかってくれてもいいんじゃないの膨入場料、僕持ちなんだからさあっ」
「判《わか》った、わかったってばもう。行くよ行くよ、行きますよ。行きますけどォー、そのパワーで彼女にぶつかれば、案外オッケーだったんじゃねーの?」
友人は、ふっと空を見上げた。|芝居《しばい》がかっている。
「渋谷だ原宿《はらじゅく》だなんてトレンディな名前の奴《やつ》には、僕の気持ちは解《わか》らないよ」
「……トレンディって……村田、お前ってホントは何歳? いや待て、聞き捨てならねーぞ? 原宿は違うでしょ、原宿は!」
そう、おれの名前は渋谷有利。祐里でも優梨でも悠璃でもなく。だからって原宿が不利だとは、断じて思っておりません。この名前のせいで、生まれて十五年間、どんなに苦労したことか。父親が銀行屋だったから、利率のことばかり考えて、息子にまでこんな名前をつけてしまったのかと、両親のネーミングセンスを疑ったりもした。結局、出産間近の母親をタクシーに相乗りさせてくれた親切な音年が名付親だと判ったのだが……だとしてももうちょっとこう、人名らしい漢字をあててくれたってよさそうなもんだ。まあ最近では、勝利と書いてショーリと読む兄よりはましかなと思うようになった。おれも大人になったもんだ。
というわけで、ふられたも同然と決めつけてる村田健と、野郎《やろう》二人でシーワールド。カップルあんど親子連れで混み合う水族館を、野球|小僧《こぞう》と眼鏡くんの不自然な組み合わせでウロウロしている。水槽《すいそう》の真ん中を通り抜《ぬ》けるアクアチューブは|綺麗《きれい》だったし、オウムガイもミノカサゴもハタタテダイも、ピラルクもノコギリエイも優雅《ゆうが》だった。鰯《いわし》や鰹《かつお》は美味《うま》そうだった。
「でも、隣《となり》を見ると彼女じゃなくて村田健」
「なんだよー、じゃ、手でもつなぐ?」
「冗談《じょうだん》じゃない。自分のモテなさを呪《のろ》ってるだけだよ。彼女のいない人生、明日で十六年目に突入《とつにゅう》だかんな」
「明日誕生日!? へえ、そーだったんだ、じゃあなんか欲しいもん言えよ。安い物ならプレゼントするから。さっき売店で見たストラップとかは? ゴマフアザラシのゴマゾウくんの」
「嫌《いや》がらせかよ。おれの携帯《けいたい》壊《こわ》れてんのに」
「そうだっけ。早く新しいの買えよ。メールできないと不便だし」
<img height=600 src="img/011.jpg">
だらだらと列に流されながら、おれは右手の甲《こう》を見て|溜息《ためいき》をついた。一日有効の入場者スタンブが、特殊《とくしゅ》インクで押《お》されている。スキャナー下をくぐるときだけ、青白いマークが浮《う》かび上がる。
「いいんだ別に。おれメル友とか必要ないし。正体も判らない誰かと会話しててさ、相手が社長とか大統領とか王様だったりしたらどーするよ。国際問題になっちゃうだろ」
「そんなバカな。実は王様でしたなんて、少女|漫画《まんが》じゃあるまいし」
ところが、意外と身近にあったりするのだ。知り合いが王様になっちゃう話が。
ありきたりな高校生活を送っていたおれは、ほんの三ヵ月ばかり前、洋式便器から異世界へGO! なんて、夢としか思えないような体験をした。そちらの世界でのおれのジョブが王様。十六歳目前の若さと未熟さで、一国一城の主《あるじ》というわけだ。
しかも、そんじょそこらの王様ではない。駅前商店街の王《ワン》さんの餃子《ぎょうざ》は絶品だが、おれの職業も結構すごい。ごく普通《ふつう》の背格好でごくふつうの容姿、頭のレベルまで平均的な男子高校生だったはずなのに……。
おれさまは、魔王だったのです。
いきなり呼びつけられた異世界で、今日からあなたは魔王ですなんて告げられたら、誰でもこれは夢だと思う。おれもそう思った。しかも部下である魔族はほとんどが超《ちょう》美形。その上、同類だと信じていた人間達には、|不吉《ふきつ》だ|邪悪《じゃあく》だと石を投げられる。ここまで徹底《てってい》したドッキリやテーマパークもないだろうから、残る答えは夢オチでしょう。
ところが目を覚ましたおれの首には、あちらの世界で貰《もら》ったお守りが。
あれからずっと胸にかけっばなしの、五百円玉サイズの石を|握《にぎ》ってみた。銀の細工の縁取《ふちど》りに、空より濃《こ》くて強い青。ライオンズブルーの魔石は、現実の重さを訴《うった》えてくる。
おれは魔王の魂《たましい》を持って生まれ、あの国を守ると約束した。
約束したんだ。
「渋谷、ほら番号カード受け取って」
「は? あ、ああすんません」
気付くと笑顔の係員が、緑色の紙切れを差し出していた。人波に流されて歩くうちに水族館の出口から移動して、海のお友達ショーコーナーまで来ていたらしい。急に暑さが襲《おそ》ってきた。水色のベンチをまたぎながら、席を求めて階段を下りる。正面には真っ白なステージと、内部の見られる大きなプールが広がっている。真夏の日射しが|眩《まぶ》しくて、おれは右手で目を擦《こす》った。
「あー、膝《ひざ》の後ろを|汗《あせ》が流れてくー。気持ちわりィー」
「ユニフォームんときより数倍|涼《すず》しそうだけど」
無駄《むだ》な抵抗《ていこう》と知りつつも、紙切れでひらひらと喉元《のどもと》を扇《あお》いでみた。一瞬《いっしゅん》だけの冷風。
「夏なのに、水着のおねーさんもボール投げる奴もいない」
「両方いるじゃん、ほらステージ上に」
あれは調教師とアザラシだ。
王様ペンギンとおれとではどっちが立派だろうかとか、来週の練習試合のオーダーはどうしようとか、とりとめもないことを考えながら、首の後ろの力を抜いてぼんやりとショーの進行を眺《なが》めていた。アシカがサッカーボールをヘディングして、バスケットのゴールにシュートしている。あの球技は果たしてどちらなのか。続いてウエットスーツ姿の女性が、ピンクの箱を思い切り転がした。なにがでるかな、だ。
「はーい、二十七番のお客様ーぁ! どうぞステージ上にいらしてくださーい」
隣のシートでは幼稚《ようち》園《えん》児《じ》が、父親の膝にすがりついて泣き声をあげた。可哀想《かわいそう》に、何かよっぽど恐《おそ》ろしい|儀式《ぎしき》の生贄《いけにえ》にでも選ばれたのだろう。いや待てここは現代日本だ、そんなことがあってたまるかい。
「すごいぞ渋谷ッ、こんな満員の中で当選するなんて!」
「……なにが?」
「ナンバーカードニ十七番のお客様ーぁ、いらっしゃいましたらどうぞステージにー」
「早く行かないと居ないと思われちゃうよ、隣の子なんか外れて悔《くや》しがって泣いてるし」
握った紙を開いてみると、緑の中央に該当《がいとう》番号が。なんてこった! 選ばれたのは、おれだったのか! けどいったい何の生贄に!?
村田はおれの腕《うで》を引っ張って、わがことのように嬉々《きき》として階段を下りる。
「ちょっと待っ……転ぶ、転ぶからッ」
ウエットスーツで営業スマイルの調教師さんは、自分の青い帽子《ぼうし》をおれに被《かぶ》らせ、手慣れた様子でアクリル扉《とびら》を通した。小さい物を指先で揺《ゆ》らす。
「おめでとうございまーす。はい、こちらが景品のイルカちゃんキャップとイルカちゃんストラップ、それにドルフィンキーホルダーでーす。じゃ、ストラップとキーホルダーは、なくさないようにズボンのベルトに着けておきましょうかぁ?」
「うわ」
呼び名のとおり、全てがイルカだ。キャップは鍔《つば》の部分を鼻面《はなづら》に見立てて、額には濃紺《のうこん》の両目がつけてある。ストラップとキーリングにはスケルトンブルーの泳ぐ哺乳類《ほにゅうるい》が、口を半開きにした姿でぶら下がっている。どれも実に可愛《かわい》らしい。
本物より、ずっと。
「それでは、ご来場のお客様を代表して、当シーワールドのアイドル、イルカくんと握手《あくしゅ》をしていただきましょーう!」
おねーさんがにこやかにそう言った。
なにィ!?
その場にいた職員は三人がかりで、おれをプールサイドに引きずってゆく。
「ちょっと待った! ほんとにマジでちょっと待ったーっ! 実はおれイルカってあんまり好きじゃないんですよ、どっちかっていうと海の哺乳類なら鯨《くじら》とかシャチとかのほうがねッ」
「はーい、みんなのお友達、バンドウイルカのバンドウくんとエイジくんでーす」
板東《ばんどう》英二《えいじ》? とか突《つ》っ込む余裕《よゆう》も時間もなかった。艶《つや》めく灰色の背びれが二つ、水を切ってこちらに近づいてくる。
「うわーっ、あのホントにイルカくんが、得意じゃないっていうか苦手っていうか好きじゃないっていうかッ……おい村田、村田健さーん、友達なんだから助けろよ!」
「いいなあ渋谷、バンドウくん可愛いし」
そのバンドウくんかエイジくんのどちらかが、飛沫《しぶき》をあげて水面に立ち上がった。
「うっ……」
どうにか悲鳴を飲み込んだ。予想以上にでかい! もう泣きそう。青光りする手、というかヒレが突き出される。離《はな》れた位置にある両眼が、ぎらりとこちらを見据《みす》えている。軽く開いた口からは、ファスナーのように細かい歯が覗《のぞ》いていた。
「……こ、こわ……」
「お客様、お早くお願いします。大丈夫《だいじょうぶ》、絶対|噛《か》んだりはいたしませんから」
係員は有無《うむ》をいわせぬ力強さで、おれをプールサイドから逃《に》がさない。尾《お》と腰《こし》の筋肉で器用に立ち泳ぎを続けるバンドウくんが、底知れぬ瞳《ひとみ》で睨《にら》みつけてくる。おう人間、オレあこんなこととっとと済ませて早いとこ鰯《いわし》を喰《く》いてえんだよ、という顔だ。口ががばっと開き、怒《いか》りの一声が発せられた。
「ギシャアァアァ!」
「うひゃぁぁぁ」
おれは反射的に右手を差し出し、|滑《すべ》りそうな彼のヒレに指で触《ふ》れた。ぬるりというよりべたりとしていて、海水と同じ温度だった。ぎゅっと指を掴《つか》まれる。
もう|勘弁《かんべん》してください親分! と叫《さけ》びそうになるが、冷静に考えればイルカがおれの手を握れるはずはない。だって奴《やつ》には指がないし、おれのこと愛してもなさそうだし。ではどうして右手が引っ張られているのだろうか。引っ張られてブールに落ちそうになっ……。
「嘘《うそ》ぉーッ!?」
係員も観客も叫んでいる。しょっばい水中に沈《しず》む間際《まぎわ》に、村田が手を伸《の》ばすのが視界の端《はし》に入った。けれどすぐにアクアブルーが広がって、自分の居場所が判《わか》らなくなった。
そんなに深い水槽《すいそう》とも思えないのに、際限なくどんどん沈んでゆく。水を吸ったハーフパンツとTシャツが、両手両足に絡《から》みつく。来場者代表をこんな目に遭《あ》わせた張本人である、バンドウくんやエイジくんの影《かげ》さえない。
まさかそんな、こんなに深いはずが、たかだかシーワールドのショー用プールで、底なし|沼《ぬま》体験ができるわけがない。けどおれ、過去に二回ほど沈んでなかったっけ?
「また!?」
腰を中心に急激に吸い込まれながら、おれはしこたま水を飲んだ。いやそんな、物理的に無理だ、生物学的にも、建築学的にも無理だ。きっと堅《かた》いセメントに背中をしたたかに打ち付ける。このままどこまでも沈んでいくなんて、プリンセス・テンコーはおろか、デビッド・カッパーフィールドの胸毛《むなげ》が擦《す》り切れても不可能なのにー!
あとはもう、通い慣れたスターツアーズ。
あのさぁ、かーさん。
なあに、ゆーちゃん。
なんでみんなイルカと遊ぶとイヤサレルとかいうのかな。おれ全然そう思えないけど。
だってあの子たち可愛いじゃなーい。ゆーちゃんはイルカちゃんが嫌《きら》いなの?
嫌いだよ。あいつら何考えてるか解《わか》んないんだもん。フレンドリーに握手したり一緒《いっしょ》に泳いだりしてもさ、心ん中じゃおれたちのことバカにしてるかもしれないじゃん。こんなことで喜んだりするんだから、人間てやつもアタマ悪ィよなーとか、笑ってるかもしんないんだよ?
わかった! ゆーちゃんはぁ、何を考えてるか解らない相手が苦手なのね? でもねえママそういう相手とこそ交流するべきだって思うのよ。一緒に行動して星空を眺めて語り合えば、きっと解り合えるって信じてるの。ね? ゆーちゃんもそう思わない? 人はそうやって友情を育《はぐく》んでいくものなのよ……うっとり。
友情って、イルカと?
その件に関しては明らかに失敗したと、特に後悔《こうかい》もなく考えながら、おれは空色と白のコントラストを痛む目をこらえて見上げていた。塩水がしみる。ということは、ここはプールではなく海で、仰向《あおむ》けに揺れているおれの身体《からだ》は海月《くらげ》のように海面をたゆたっているらしい。
太陽は高く、明るく、|強烈《きょうれつ》だった。顔や首の皮膚《ひふ》が悲鳴をあげるくらいに。真夏の日射しってこういうものだったと、幼い日の夏休みを思い出す。家族と海水浴に行くのが楽しみだった年頃の、西瓜《すいか》と花火と貝殻《かいがら》の海だ。
さっきまでとは明らかに違《ちが》う場所で目を覚ますのも、三度目ともなれば慣れたものだった。
だってまたまた、喚《よ》ばれちゃったんでしょう? おれ。
水流に巻き込まれて異世界に来てしまうのは初めてではない。あんなに大勢のギャラリーの目前では、まさか引っ張られやしないだろうと、油断していたのは悪かったが、行き先がどんな場所かは判っているし、幸い旅先で友人もできた。剣《けん》と魔法《まほう》の世界に迷い込んだ主人公が、英雄《えいゆう》として活躍《かつやく》する話はごまんとある。おれの場合はちょっと異色だが、それだってキャラ設定のジョブが「勇者」から、裏コマンドで「魔王」になっただけのことだ。
だけのこと、って笑いとばせるようになるまでに、地球時間で約三ヵ月かかっている。
右足の浮《う》かんでいる方向から、灰色の三角形が近づいてくる。見覚えのあるその形は、明らかに海のお友達の背ビレだった。
「ば、バンドウくん?」
無関係な生物を巻き込んでしまったのかと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。てかる頭を撫《な》でてやろうと、|恐怖《きょうふ》心《しん》を克服《こくふく》して手を伸ばす。指先が彼の額に軽く触れた。ショーで握手した胸ビレよりも、ずっとザラついている。
「なんだよバンドウくん、どうりで泳ぐの速いわけだわ。だってこれイアン・ソープが使ってる、いわゆる鮫肌《きめはだ》水着と同じじゃん」
ん? 鮫肌?
一瞬《いっしゅん》、相手と目が合った。鮫《さめ》の目だった。
「バンドウくん、じゃなくて……ジローくんっ!?」
なんということだ! おれに寄り添《そ》って泳いでいたのは、ホオジロザメのジローくんだったのか!? 海の生物の気持ちが読めないなどとふて腐《くさ》れていたおれだけど、こいつの考えていることははっきりと解る。ジョーズのテーマをBGMに、いただきまーすの五秒前だ。
緊急《きんきゅう》時の対処法を思い出そうとするが、脳《のう》味噌《みそ》は|素早《すばや》く動いてくれない。奇声《きせい》を発しつつ、クロールとも犬掻《いぬか》きともつかない無様な泳ぎで逃げる。言ってみれば、自由形。危機に直面したときはどうすればいいんだっけ!? 死んだふりは熊《くま》で、知らんぷりは選挙カーだ。誰《だれ》も鮫との付き合い方は教えてくれなかった。威嚇《いかく》か、それとも無条件|降伏《こうふく》か!?
「陛下ーっ!! ご無事で……ああッ」
遠くから聞き覚えのある声が届き、意味なく豪華《ごうか》な小舟《こぶね》が進んでくる。手|漕《こ》ぎのオールは大回転で、こちらに向かって猛《もう》スピードだ。シブヤユーリを一人前の魔王にしようと|一生《いっしょう》懸命《けんめい》な二人組だ。一人は顔色を変えて叫んでいる。
「おのれ、魚の分際で陛下になんということをーっ!」
鮫を相手に名を名乗れとか言い出しそうな形相で、フォンクライスト|卿《きょう》ギュンターはオールを振《ふ》り回した。超絶《ちょうぜつ》美形が台無しなほど|激高《げっこう》している。背まで流れる灰色の髪《かみ》を振り乱《みだ》し、知性を湛《たた》えたスミレ色の瞳を|充血《じゅうけつ》させ、いつもなら腰にくる魅惑《みわく》的なバリトンも、ヒステリックな裏声になっている。このかなり過保護な教育係は、|全《すべ》ての女性を瞬殺《しゅんさつ》! という|美貌《びぼう》を持ちながらも、おれに関することとなるとたちまち|大崩《おおくず》れしてしまうのだ。もっと自分を大切にしろよ、時々そう肩《かた》を叩《たた》きたくなる。
ぎりぎりまで身を乗り出して両手を伸ばすウェラー卿は、そんなに鬼気《きき》迫《せま》る表情ではない。むしろ子供の失敗ビデオでも見ているような、苦笑《くしょう》まじりののどかな顔だ。
そりゃあないよコンラッド、この世界で唯一《ゆいいつ》のキャッチボール相手が、海のモズクになろうとしてるんだぞ。待てよ、モズクじゃなくて藻屑《もくず》だったか?
「落ち着けギュンター。そんなに櫂《かい》を振り回すと、陛下の頭に当たるから」
超スプラッタ西瓜《すいか》割り。縁《えさ》起でもない。
やっとのことで腕《うで》につかまり、ボートの上へと避難《ひなん》できた。ずぶ濡《ぬ》れで息が上がっているし、恐怖で心臓ばくばくだ。おれはだらしなくコンラッドに抱《だ》きついた。
「どっ、どうにか、助かった……危《あや》うく喰《く》われるとこだったよっ」
「そんなに怯《おぴ》えなくても、あいつは人を襲《おそ》ったりしませんよ」
「へ? だって鮫だよ、ジョーズだよ? おれの右足をかじろうとしてたんだぞ!?」
「いやいや、鮫は基本的にベジタリアンだから。きっと陛下と一緒に遊びたかったんでしょう」
この世界の生き物事情には泣かされっばなしだ。鼻水をつけては悪いので、保護者の胸から身体を離《はな》す。
「……陛下とか呼ぶなって言ってるだろ、あんたがつけた名前なんだからさ」
「そうでした。つい癖《くせ》で」
おれが「おれ」になる前の|魂《たましい》を、はるばる地球という異世界にまで運び、ボストンの街角で臨月のお袋《ふくろ》を相乗りさせ、ついでにちゃっかり名前まで吹《ふ》き込んできたという、アメリカ帰りの好青年が彼だ。ウェラー卿コンラートはシブヤユーリの名付親で、この世界での保護者で親友、そしておそらく、最後の砦《とりで》だ。
二十歳《はたち》そこそこにしか見えないので保護者なんていってもぴんとこないのだが、実年齢《じつねんれい》は約五倍、日本なら健康優良高齢者で表彰《ひょうしょう》されているだろう。この世界では魔族の血はとても長命で、おまけに美しさも折り紙付き。人間とのハーフであるコンラッドは、これでまだまだ地味なほうだが、それ以外の貴族達ときたらすこぶるつきの美形ぞろい。ギュンターとまではいかなくとも、絵に描《か》いたような美貌の連中がごろごろしている。
顔もガタイも脳味噌も十人並みのおれとしては、いつになったらアヒルから白鳥になれるのだろうと、アンデルセンを読み返しては悩《なや》むばかりだ。魔族は顔じゃなくて性格よ、っていう「美女と野獣《やじゅう》」派の女の子を募集中《ぼしゅうちゅう》。
「……あちー……」
どうやらこちらの世界でも、夏を迎《むか》えているらしい。濡れた服が冷たいどころか、じっとりとまとわりついて余計に暑い。てこずりながらもTシャツを脱《ぬ》ぎ捨てる。ベルトのバックルに手をかけると、驚《おどろ》いたことにフィギュア付きのキーホルダーがぶら下がったままだった。イルカちゃんグッズはかなりしぶとい。
胸に揺《ゆ》れるレオブルーの魔石を見て、送り主であるコンラッドが目を細めた。
「少し筋肉つきました?」
「少しどころじゃないよ。ほらチカラコブ! ほーら上腕《じょうわん》二頭筋!」
それもこれも日々の鍛錬《たんれん》の賜物《たまもの》だ。コンラッドは惚《ほ》れ惚《ぼ》れするような|爽《さわ》やかな笑《え》みで、おれの野球筋を押しながら言った。
「では新しい剣を贈《おく》らないといけないな。今度は成人男子用の立派なやつを」
「そんなもんいらないよ」
「じゃあ何を……」
「ぎゃああああああ」
鮫をオールで叩いていたギュンターが、なんとも表現しがたい悲鳴をあげた。ジローくんが仲間を呼んだらしい。新しくイチローくんやサブローくんも来ていた。
「あーあ、あいっら人懐《ひとなつ》っこいから」
その現状把握《はあく》は本当に正しいのだろうか。
こちらの世界は三度目だが、またしても見覚えのない場所に落ちてしまったようだ。白い|砂浜《すなはま》とトルキッシュブルーの海は、ギリシャ地中海方面のパンフレットに使われそうだ。乾《かわ》いた空気は吸い込む喉《のど》まで熱くして、ずぶ濡れだったことをたちまち忘れさせてくれた。浜辺から歩いてすぐのご用邸《ようてい》は、これまでに案内された二つの城とは明らかに建築様式が異なっている。
この季節に学ランを着させられたらどうしようと心配していたのだが、衣装《いしょう》係の女の子が持ってきてくれた夏服は、オフホワイトの上下だった。麻に似た肌触《はだざわ》りのカーゴパンツはウェストが少々緩《ゆる》かったため、おれが怒《おこ》るとでも思ったのか、女の子は申し訳なさそうにうつむいてしまった。
「いーよ別に。ベルト使うから」
「陛下、お痩《や》せになりましたか? まさかお身体《からだ》の具合でも……」
「じゃなくて、筋トレの成果だよ。アブなんとかってやつ買ったんだ」
ディスカウントショップで千円で。目標は仮面ライダーの割れっ腹《ぱら》だ。濡れたズボンからべルトを引き抜《ぬ》こうと躍起《やっき》になっていると、教育係が気を利《き》かせて部屋の隅《すみ》に走った。
「お待ちください、ただいま風を」
剣と魔法の世界だから、もちろん家電製品は存在しない。とはいえエアコンなんか使わなくても、象牙《ぞうげ》色の石造りの建物は奥に行くほどひんやりしていた。靴《くつ》も靴下も脱ぎ捨てていたので、足の裏からも冷気が伝わる。暑くないからと言うより先に、ギュンターは「おいっす」ポーズで右手を挙げた。係の人がしずしず登場。|巨大《きょだい》なアヒルの首を|握《にぎ》った。当然、鳥は苦しがり、すごい勢いで羽ばたきを繰《く》り返す。なるほど確かに風はくるが、家畜臭《かちくくさ》いし心苦しい。
「やめてくれ動物愛護協会に睨《にら》まれそうなことは! もう充分に|涼《すず》しいからさっ」
「ああなんと慈悲《じひ》深いお言葉でしょう! このような動物にまでお心を砕《くだ》かれるとは! それでこそ、この、偉大《いだい》なる|魔王《まおう》とその民《たみ》たる魔族に栄《は》えあれああ世界の全ては我等魔族から始まったのだということを忘れてはならない創主達をも打ち倒《たお》した力と叡智《えいち》と勇気をもって魔族の繁栄《はんえい》は永遠なるものなり……」
指の角度まで絶妙《ぜつみょう》だし、おまけにしっかりカメラ目線だ。国歌と思いきや国名で、大胆《だいたん》に略すと|眞魔《しんま》国。
「……王国の第二十七代魔王陛下であらせられます。さて陛下、私は今、故意に誤りを口にいたしましたが、どの部分だったかお判《わか》りですか?」
「す、すいません、気付きませんでした」
超絶美形はちょっとがっかりした。
「やはり陛下、この国にもっと長くご滞在《たいざい》いただいて、民のことをはじめ国土や外交関係の基礎《きそ》などを学んでくださらなくては。いえいっそもうあちらになど戻《もど》ることなく、いついかなるときも私をお側《そば》に……」
変な方向に|脱線《だっせん》しかけている。送風アヒルを解放してやっていたコンラッドが、うまいこと|軌道《きどう》を修正した。
「言っただろうギュンター」
動じなくて爽やかで、同僚《どうりょう》の扱《あつか》いを心得ている。彼からは学ぶことも多そうだ。教師の転がし方とかね。
「陛下は地球や日本にとっても大切な存在なんだから、俺達だけで独占《どくせん》するわけにはいかないって」
そんなに貴重な存在なら、三年間ベンチウォーマーのはずがない。
遠くから苦情の声が近づいてくる。突進《とっしん》状態の靴音と合わせると、誰《だれ》かが怒鳴《どな》り込みに来たようだ。
「ギュンターっ! ユーリを迎えに行くのが兄上だけというのはどういうことだ!? 婚約者《こんやくしゃ》であるこのぼくに何の報《しら》せもないとは、バカにするにもほどが……」
駆《か》け込んできたのは天使のごとき美少年、フォンビーレフェルト卿《きょう》ヴォルフラムだった。彼は上半身|裸《はだか》のおれを見て|虚《きょ》を突《つ》かれ、可愛《かわい》い顔を歪《ゆが》ませた。
「……ユーリお前、腕と顔だけ色が違《ちが》うぞ? 悪い病か、呪《のろ》いにでも……」
「呪いって何だよ、失礼だなっ」
首から上と腕だけこんがりで、胴《どう》も脚《あし》も真っ白なのだ。ユニフォーム焼けは野球人の勲章《くんしょう》だが、プールや海ではちょっと異質。
ヴォルフラムは親指と人差し指でおれの頬《ほお》をつまみ、思い切り横に引っばった。
「ひててててっ、がっきゅううんこ」
パブロフわんこ。小学生並みの条件反射だ。目だけをコンラッドに向けて訊《たず》ねる。
「本物だな?」
「本物だよ」
「ということは、兄上が迎えに行ったというのは、誰だ?」
「偽物《にせもの》かな」
彼にとっての兄上とは、目の前にいるウェラー卿コンラートではなく、長兄であるフォンヴォルテール卿グウェンダルのことだ。つまりコンラッドとヴォルフラム、そしてこの場にいないグウェンダルは、同じ母親から生まれた三兄弟で、つい先日まで魔族の王子様だった。前魔王が突然《とつぜん》の引退を発表し、|急遽《きゅうきょ》おれが即位《そくい》したために、今では元プリ殿下《でんか》である。
背格好こそおれといい勝負だが、顔立ちに関しては天と地ほどの差がある。ヴォルフラムはウィーン少年合唱団を連想させる少女|漫画《まんが》的美少年で、母親|譲《ゆず》りのまばゆい|金髪《きんぱつ》とエメラルドグリーンの|輝《かがや》く瞳《ひとみ》を持っている。全ての画家が描かせてくれと頭を下げるだろうし、もしも夢にでも現れようものなら、天使に会ったと涙《なみだ》ぐむだろう。だが、ひとたび口を開こうものなら、エンジェルどころか、わがままプー。自己申告では八十二歳で、日本ならかなりの頑固《がんこ》じじいだ。ちょっとした文化の相違《そうい》と誤解から、おれと婚約関係にあるらしい。
一方、三兄弟の母親で前魔王現上王陛下であるフォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエ……本人曰《いわ》く「ツェリって呼んで」様が、素性《すじょう》もしれない人間の男と種族を超《こ》えた恋《こい》に落ち、生まれた息子がウェラー卿コンラートだ。人間の遺伝子が入ったせいか、他の魔族に比べると彼はずいぶん顔立ちが地味だ。|眉《まゆ》の横に古傷の残る爽やかな笑顔は、美形というより男前で、一昔前のアメリカに放り出せば、GI《ジー・アイ》ジョーのモデルにされそうだ。軍服の似合う男ナンバーワンというわけ。
彼がいつどんな顔で笑うのか、おれは見なくてもちゃんと判る。獅子《しし》の心を隠《かく》していることも、うっすらとだが気付いてる。
とにかく、似てない兄弟というのは本当に存在するものだ。外見のみならず性格も思想も。
「手をお離《はな》しなさいヴォルフラム! 陛下のお|綺麗《きれい》な顔に痕《あと》でも残ったら承知しませんよッ」
伸《の》ばされきったおれの頬から、ギュンターが三男の指を引き離す。けっこう深く付き合ったつもりだが、彼等の美的感覚だけは理解しがたい。自分や周囲の魔族よりも、おれのほうを美顔だと思ってる。そもそも黒目|黒髪《くろかみ》が、魔族の中でも|滅多《めった》に生まれない希少価値らしい。高貴だとか気高いとか言われても、日本人には標準装備だ。
痛む頬をさすりながら、
「なんらのよ、いったい。偽物とか本物とかって。確かにおれは王様として、かなり胡散《うさん》臭《くさ》いとは思うけどさぁ」
教育係|兼《けん》補佐官《ほさかん》は、言いにくそうに|咳払《せきばら》いをする。
「実は……陛下の御名をかたる不届き者が現れたのです」
「え? 渋谷有利原宿不利だって?」
「いえ、そこまで詳《くわ》しくではございません。我が国の南に位置するコナンシア、スヴェレラで捕《と》らえられた咎人《とがにん》が、魔王陛下だなどというふざけた噂《うわさ》が流れて参りまして。我々としましては、そんなはずはないと取り合わずにおりましたが、|処刑《しょけい》の日取りが決まったことで些《いささ》か不安に……あの、万が一その咎人が、本当に陛下でいらしたらと……」
口ごもるギュンターに代わって、コンラッドが解《わか》りやすく説明してくれた。
「つまり、もしも俺達の知らないうちに、陛下がこちらの世界、それも眞魔国以外の土地に着かれていて、部下もなくお一人で困り果てた結果、やむなく罪を犯《おか》し捕らえられたのだとしたらどうしましょう、これは真相を突《つ》き止めねばならない。ということで改めて我々でお呼びしたところ……」
「おれはバンドウくんと握手《あくしゅ》しながらスターツアーズ真っ逆さま、と」
ヴォルフが不|機嫌《きげん》そうに呟《つぶや》いた。
「バンドウくんって誰だ、男か?」
「雄《おす》か雌《めす》かは知らねーよ。バンドウくんはイルカでゴンドウくんはクジラ。ジローくんはホオジロザメで反省|猿《ざる》。でもさ、こうやっておれ本人がここにいるってことは、そっちの、えーとどこ? カブレラ? とかにいる奴《やつ》は、おれじゃないってことだよな」
「おっしゃるとおりでございます! 陛下のご聡明《そうめい》さには、いつもながら感服いたします」
幼稚《ようち》園児《えんじ》のなぞなぞよりも簡単だ。おれがおれである限り、おれはここにしかいないはず。哲学《てつがく》的な方面になってきたぞ。
つまり、よその国におれの偽物が現れて、おいしい思いをしてたってわけだ。実にけしからん話だが、黄門《こうもん》様も上様もマイケル・ジャクソンも神様も、古今東西の大物には必ずそっくりさんが付き物だ。バッタもんが出るようになったってことは、知名度が上がった|証拠《しょうこ》だろう。
「けど、こうやっておれを呼べば済むことなのに、なんで探しになんか行ったわけ? しかもよりによって……」
迎《むか》えに行ったという兄上の人となりを思い出し、おれは無意識に言葉を切った。
「……グウェンダルが」
「そうなのです。おのれの分を弁《わきま》えぬ愚《おろ》かな人間など、処刑されたところで我々には何の関係もございません。ですが、陛下の……」
「そっくりさん?」
「はい、そのそっくりさんが、魔王にしか使いこなせない特別な物を所持していたという情報が入ったのです。魔族の至宝ともいうべき貴重な物で、二百年ばかり前に持ち出されて、以後|行方《ゆくえ》が判らなくなっていたのですが、その情報が事実なら、ぜひとも我々魔族の手に取り戻さねばなりません。二十年前に探索《たんさく》の者を放ったのですが、彼がグウェンダルの|係累《けいるい》なので」
「誰だった?」
コンラッドが訊ねる。答えを知っていながらも、確認《かくにん》せずにいられない顔だ。
「グリーセラ卿です。グリーセラ卿ゲーゲンヒューバー」
「ああ、ヒューブか」
意味深げに耳をいじったりしている。いい人を地でいく彼といえども、苦手な相手はいるらしい。おれはいつもどおり口の軽い三男に、人物関係の探《さぐ》りを入れた。
「どういう奴?」
「兄上の父方の|従兄弟《いとこ》だ。ヴォルテールの叔母《おば》君《ぎみ》の一人が、グリーセラ家に嫁《とつ》いだからな」
「なーんだ」
教科書どおりの回答をされて、ちょっと拍子抜《ひょうしぬ》けした。ウルトラマンvsバルタン星人とか西武vsダイエーとか、もっとドラマチックな関係を期待していたのに。
「じゃあ今度の宝物は、おれじゃなくても持ち歩けるんだ。手がしびれたり噛《か》みつかれたり、ゲロをリバースしたりしないやっ」
|魔剣《まけん》モルギフの情けなーい顔が昨日のことのように蘇《よみがえ》る。あれに比べれば蛇《へび》の抜け殻《がら》だって可愛い宝物と思えるだろう。
「そうですね……持ち歩くこ乏は可能でしょうね。お吹《ふ》きになれるのはこの世で陛下お一人ですが」
「吹く!?」
「ええ。スヴェレラで|目撃《もくげき》されたのは、魔族の至宝『|魔笛《まてき》』でございますから」
「魔笛か!」
おれの日焼けの境目を|珍《めずら》しげに撫《な》でていたヴォルフラムが、いきなり弾《はず》んだ声で参加してきた。さすがにウィーン少年合唱団OB、モーツァルトのことにはちょっとうるさい。
「父上からお聞きした話だが、それはもう素晴らしい音色だということだ。天は轟《とどろ》き地は震《ふる》え、波はうねって嵐《あらし》を呼ぶそうだ」
「う、牛は?」
「牛はモサモサ鳴くばかりだが」
とはいえ嵐を呼ぶというからには、かなりの轟音《ごうおん》に違《ちが》いない。剛田《ごうだ》タケシ・ソロリサイタルイン裏の空き地(略してジャイコン)と、どちらが破壊《はかい》的だろう。澄《す》んだ調べの横笛、それもフルートやピッコロを想像していたおれは、イメージを一八〇度|転換《てんかん》させた。法螺《ほら》貝《がい》の可能性も高まってきたからだ。
「一度は聞きたいと思っていたんだ。楽しみだな。ユーリの笛の腕前《うでまえ》も」
「おれ!? おれが吹くの!? やっ、そっそれは無理だってェ、法螺貝だったら修験者《しゅげんじゃ》とか山伏《やまぶし》だし、ピッコロっつったらドラゴンボールだろ」
彼なら嵐を呼べそうだ。
腕《うで》組《ぐ》みをして壁《かべ》に寄りかかる、見慣れた姿勢で聞いていたコンラッドが、何かを気付かせようとして口を開いた。
「処刑される罪人の持ち物を、慈悲《じひ》深く棺桶《かんおけ》に入れてくれるかどうか」
「どーいうこと? 看守が|没収《ぼっしゅう》しちゃうってこと? それにその、棺桶って……殺されちゃうのか!? おれのそっくりさん! 殺されるほどの|凶悪《きょうあく》犯罪やらかしちゃったのか!?」
「いいえ、確か、無銭飲食だとか」
「無銭飲食ぅー?」
そんなあ。生まれて初めて会う自分のドッペルゲンガーが、食い逃《に》げごときで処刑されるなんて。これは|黙《だま》っていられない。そんな軽犯罪で死刑なんて人道的に大問題だ。それにうまいことこの国に連れてこられれば……。
「パーマンニ号みたいに身代わりとして利用できるし!」
「でも陛下、二号はサルですよ」
「あ、そっか……って、なんで知ってんの?」
いや今は藤子・F・不二雄の話じゃなくて。
「……助けないと」
「はあ?」
「おれの偽物《にせもの》を助けないと!」
名付けて、渋谷有利そっくりさん救出大作戦。
ミッション。インポシブル。