反対側のゲートも計算に入れると、軽く二百は超《こ》すだろう。
収容されているのは女ばかりで、婚姻《こんいん》関係の法を犯した者が中心だという。
「それにしては警備が厳重すぎないか?」
身を屈《かが》めて斜面《しゃめん》を|滑《すべ》り降り、黙りがちの三男の元に戻る。眉間《みけん》に細い皺を寄せ、腕《うで》組《ぐ》みをして背後の木に寄りかかろうとしていた。恐らくこの施設《しせつ》にも大量の法石があって、魔力の強い者を苛《さいな》んでいるのだろう。頭が痛いと言っていたが、数に入れてもいいものかどうか。
「無理なら早めに言ってくれないと。庇《かば》ってやってる余裕《よゆう》はない」
「見くびるな。|充分《じゅうぶん》戦える」
「そりゃよかった」
グウェンダルの脱獄《だつごく》にも、最低限六人は割《さ》く必要があった。結果として僅か十五の戦力で、二百を相手に渡《わた》り合わなければならない。これだけ数で劣《おと》っていると、後はもう|極端《きょくたん》な揺動、攪乱《かくらん》しかない。
「……ヴォルフ」
「なんだ、しっこいな!」
「寄り掛《か》かってるの、サボテンだ」
悲鳴をあげてから両手で口を押さえる。服の上から二、三十本、頑丈《がんじょう》な針が刺《さ》さっていた。
「そういうことは早く言えっ」
「知ってるだろうと思って」
夜を待つ|緊迫《きんぱく》した|状況《じょうきょう》にもかかわらず、コンラッドは思わず苦笑《くしょう》した。腕組みをしている姿とか、|怒《おこ》ったときの眉間の皺が、どこか兄に似て見えたからだ。
「まだ気にしてるのか?」
「何を」
「とぼけなさんな、陛下とグウェンのことだよ」
「今はそんなこと思ってな……」
言葉の後ろを遮《さえぎ》って続ける。
「そんなに心配しなくても、あの二人の相性《あいしょう》の悪さは知ってるだろ。もう少し陛下を信じてさしあげないと、いつか本気で嫌《きら》われるぞ」
「だから心配などしていない!」
「ならいいけど。それにもしそんな雰囲気《ふんいき》になっちゃったとしても、相手が陛下じゃ何も起こりようがないだろう」
あの鈍感《どんかん》さは称賛《しょうさん》に値《あたい》する。
声まで不|機嫌《きげん》な短調で、美少年ぶりが台無しだ。
「……なんでそんなに理解してるんだ」
「なにを、ああ、陛下の性格を? 生まれる前からのファンだから」
便利な単語で片付けたように聞こえるが、嘘《うそ》が隠《かく》されているわけではない。|一途《いちず》な異父弟を|騙《だま》すつもりも、自分の感情に名前を付ける理由もなかった。
「しかも、なんであの女を助けてやるんだ? あんな人間、どうなろうと知ったことじゃないのに」
「ニコラは情報をくれた」
彼女がいなかったら二人の行方《ゆくえ》は判らなかったかもしれない。或《ある》いは彼等が自力で足跡《そくせき》を辿《たど》れたとしても、おそらく倍は時間がかかっていただろう。それだけの働きはしてくれたし、何より彼女は|眞魔《しんま》国に行きたがっている。
兵の一人の馬が長閑《のどか》に鼻を鳴らした。尻尾《しっぽ》で虫を追っている。
「でもあの娘《むすめ》は、ゲーゲンヒューバーの恋人《こいびと》だぞ!? あいつさえいなければ今頃《いまごろ》お前は、ウィンコットの城主になっていた!」
「それは、そんなに重要なことじゃない」
「では、ジュリアの生命《いのち》が失われたことは? それも重要ではないというのか!?」
「ヴォルフラム」
そういえば、この母親似の弟が生まれたとき、真っ先に自分が抱《だ》かせてもらったのだ。国を離れていた兄と、よそよそしく病室にさえ近付こうとしなかったフォンビーレフェルト|卿《きょう》に代わり、毎日相手をさせられた。次兄が半分は人間なのだと知らされて、憧《あこが》れと尊敬の対象が、非の打ち所のない長兄へとうつるまでは。
コンラッドは豪快《ごうかい》に鞘《さや》を振《ふ》って、細かい|砂粒《すなつぶ》を落とそうとした。
「昔のことだよ。何もかも。それにもしヒューブが事を起こさなかったとしても、俺と彼女は……それにしても意外なのは、どうしてニコラと恋に落ちたかだ」
よりによってあの人間|嫌《ぎら》いのゲーゲンヒューバーが。
「まあ、お前だって同じようなものだけど」
「はぐらかすな! ヒューブの罪を許すのか? だから奴《やつ》の妻を国に入れ……」
「そうじゃない」
会って言われたわけではないが、ユーリならきっとそうしたがるだろう。魔族を愛した女性達を、喜んで国へと受け入れる。
ウェラー卿は軽めの剣《けん》を鮹に戻《もど》し、塀《へい》のずっと向こうを眺《なが》めて目を細めた。
「望みどおりにしたいんだ」
傾《かたむ》きかけた太陽が、赤味を増して影《かげ》を伸《の》ばす。宵闇《よいやみ》の加担なしに勝てるなら、今すぐにでも攻《せ》め込みたかった。
「位置関係をもう一度検討しよう、三人ずつで心許《こころもと》ないのは仕方がないとして……なんだ?」
門を固めていた警備兵が、不意の報《しら》せにざわめいた。充分な大きさの岩陰《いわかげ》だから、こちらの気配が察知されたとは思えない。
高い塀の内部から、|爆発《ばくはつ》音と悲鳴が流れてくる。外壁《がいへき》にはり付いていた兵達が、次々と内部に戻り始めた。
「何かあったらしい。暴動か、反乱か……陛下の身に危険が及《およ》ばなければいいが」
「……違《ちが》う」
右手で顔の半分を覆《おお》ったヴォルフラムが、地面に膝《ひざ》をついて俯《うつむ》いた。
「……こんな法力に満ちた場所で……強い魔力が操《あやつ》れるはずが……」
「判るのか?」
「魔力が発動してる。強大で、しかも|凶悪《きょうあく》な……もしかすると醜悪《しゅうあく》な感じの……待てよこれは、以前にどこかで」
彼等は三日三晩うなされそうな、恐《おそ》ろしい光景を思い出した。ありとあらゆる生き物の骨が動き回る様は、さながら地獄《じごく》絵図だった。
「まさか、陛下……」
「まさかじゃない。絶対だ」
様子を見に行きたくて気も漫《そぞ》ろな兵隊から計画どおり制服を奪《うば》い取る。肩透《かたす》かしをくらうほど易々《やすやす》と、彼等は敵地に|潜入《せんにゅう》できた。
小高い岩山を回り込んだ反対側で、悲鳴と怒号《どごう》は起きていた。
「……やっぱり」
軍服の袖《そで》が余っている三男は、あきれたように呟《つぶや》いた。
大小取り混ぜた土の盛り上がりが、土地の一角に集まっていた。花も墓標も設《しつら》えられていないが、あれは恐らく墓だろう。
その場所を背中に庇うように、魔王陛下は仁王《におう》立ちだ。
少々やつれてくたびれてはいるが、大きな怪我《けが》はなさそうだ。コンラッドは安堵《あんど》の|溜息《ためいき》をつく。ヴォルフラムはすぐにでも駆《か》け寄って、抱きつきたそうな顔をしている。だがこの状態のユーリ様に、迂闊《うかつ》に触《さわ》ると大変だ。思わず様をつけて呼んでしまう。
例によって瞳《ひとみ》はらんらんと|輝《かがや》き……。
「あ、なんか目から飛んだぞ」
「……あーあ、コンタクトだ」
インスタントでへーゼルアイにしていたことを、二人同時に思い出す。
よりによってこんな瞬間に、両眼の黒がばっちり全開だ。
もうこうなったら|歌舞伎《かぶき》でも観《み》るつもりで、腰《こし》を据《す》えて待つしかない。
女達は怯《おび》えて誰《だれ》一人動けない。兵と役人はどう攻めたものかと考えているようだが、全方向三六〇度、一分の|隙《すき》も見あたらない。
地の底から蛟《みずち》でも駆け昇《のぼ》ってきそうな、細かい震動《しんどう》が近付いてくる。最初は足の裏でしか感じなかった揺《ゆ》れも、ついには腹まで響《ひび》いてきた。
「……無償の愛に命を捧《ささ》げ、健気《けなげ》にも男を信じた女に対し、褒《ほ》めるどころか鞭《むち》打って冷酷《れいこく》非道な国家の仕打ち……」
時代劇俳優顔負けの役者口調。
「ともに逃《に》げんと誓《ちか》った者も、我が身かわいさに女を売ったという。そもそも男女のわりない仲は、おなご一人では為《な》し得ぬもの。だのに、か弱き身ばかりに罪を背負わせ、寄場送りとは何事か!」
丹田《たんでん》を痺《しび》れさせていた縦揺れが、一瞬だけ静まった。
「互《たが》いの慕情《ぼじょう》をもってしか、罪と罰《ばつ》とは定められぬというのに、愛し恋《こ》ひ渡《わた》る二人を裁くのが理も弁《わきま》えぬ白もひかん[#「もひかん」に傍点]! 別れろ切れろは芸者の時にいう言葉、白もひかんごときに強《し》いられるものではないわ!」
「あれ、なんか新しい小|芝居《しばい》が混ざったみたいだな」
のんびり呟く次男の向こうで、息子の馬役の変貌《へんぼう》ぶりに呆気《あっけ》にとられたトリコロール氏は、自慢《じまん》の赤髭《あかひげ》をしごくのも忘れ、目を見開いて立ち尽《つ》くしている。
「しかも更生《こうせい》を謳《うた》った施設《しせつ》では、体罰《たいばつ》、暴力、極悪《ごくあく》待遇《たいぐう》。人としての尊厳さえ奪われて、唯一《ゆいいつ》の支えである赤子までも、生きながらにして地中に埋《う》める、地獄《じごく》の鬼《おに》さえそっぽを向くであろう|残虐《ざんぎゃく》非道ぶり……」
天を指した右腕《みぎうで》を派手に振り下ろし、ユーリの食指は真《ま》っ直《す》ぐにトグリコルを狙った。髪《かみ》と|眉《まゆ》と髭の三色が異なる男は、短く叫《きけ》んで腰を抜《ぬ》かす。
「その行状、すでに人に非《あら》ず! 物を壊《こわ》し、命を奪うことが本意ではないが……やむをえぬ、おぬしを斬《き》るッ!」
斬ると言ってはおきながら、得物《えもの》が刀ではないところがミソだ。
ぼこりと不気味な音がして、全員の視線が|一斉《いっせい》に墓地に注《そそ》がれた。
小心な者は気を失い、頑丈《がんじょう》な男どもも悲鳴をあげた。
以前に死体が埋められた地中から、夕日をも鷲掴《わしづか》みにせんという未練がましさで、曲がった指と土色の腕が突《つ》き出したのだ。まず一本、続いて二本、離れた土饅頭《どまんじゅう》からもう一組、更《さら》に続々と仲間達が、腕を抜いては地面につき、ついには胸や腰まで伸び上がる者も現れる始末。
「うわ」
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付き合い慣れたヴォルフラムでさえ、趣味《しゅみ》の悪さに息を呑《の》む。
「し……死人《しびと》だ。あいつ死人使いだったのか?」
解りやすくいうと、ゾンビ。ゾンビの半身浴?
「成敗ッ!」
上半身まで土から出た者達は、親分の号令でYMCAのY状態に腕を広げ、ワカメみたいに揺れ始めた。
この上もなく、グロテスク。当然、現場は|阿鼻叫喚《あびきょうかん》なのに、ユーリ本人の足下には砂に書かれた漢字二文字が。
すごい「正義」もあったもんだ。
「違《ちが》うな、死人じゃない。人間の腕に見えるが……砂と土だ。泥人形かな、厳密にいうと」
「あれが泥人形か? おいあれが……なんだ!? ががが合体するぞ!? こんなおぞましい魔術《まじゅつ》は見たことがないっ!」
「その言葉は聞いたことがあるけど」
死霊《しりょう》の海藻《かいそう》盆踊《ぼんおど》りをしていたゾンビ達が、|瞬《またた》く間に融《と》けて流れて集まって、|巨大《きょだい》な人型になり始めた。最終的なサイズはウルトラマンくらいだ。一歩進むだけで地表の人間は逃げ惑《まど》う。
踏《ふ》み潰《つぶ》されてはたまらない。
「陛下、ついに特撮《とくさつ》ヒーローものの技《わざ》まで学ばれたんですね」
「かかか感心してる場合かコンラートっ」
子供達は大喜びのはずだが……所長の息子は恐怖《きょうふ》のあまり粗相《そそう》をしていた。操るロボットが表面ダレダレのゾンビ風泥巨人では、幼児の|膀胱《ぼうこう》は耐《た》えられまい。
「よーし、腕を前から横へ伸ばしてー手足の運動ォー」
操縦者・ユーリの命令は、何故《なぜ》かラジオ体操調。
泥巨人が忠実に動く度《たび》に、重労働の舞台《ぶたい》であった採掘《さいくつ》現場は崩《くず》された。もはや入り口の穴も見えない。|舞《ま》い上がる|砂埃《すなぼこり》と土砂《どしゃ》ばかりだ。
異常な興奮に囚《とら》われたトグリコルが、這《は》いつくばって逃げながら叫ぶ。
「悪魔だ! 奴《やつ》は地獄の使者だーッ!」
「地獄の使者だと? 余の顔を見忘れたか」
最強モードのユーリの台詞《せりふ》に、兵と女の大半が平伏《ひれふ》した。誰《だれ》だか知りもしないくせに。
「さて、どうやって止めようか」
「ぼくに|訊《き》くなぼくにっ。あああああー動いてる! 動いてるそばから皮膚《ひふ》が融けて流れて落ちていく、でも砂だから土に還《かえ》れる」
エコマークつき。
逃げ惑う人々を蹴散《けち》らして、鼻息荒《あら》く軍馬が駆けてきた。泥巨人の足を掻潜《かいくぐ》り、馬上の人物はユーリの近くで飛び降りた。躊躇《ちゅうちょ》なく歩み寄り、左手で襟首《えりくび》を絞《し》め上げる。
「兄上!?」
満身《まんしん》創痍《そうい》のフォンヴォルテール|卿《きょう》には、弟の呼びかけさえ届かない
「なにを、して、いるっ」
腹に据えかねたという声だ。
「何人か殺さなければ気が済まんのか? ええ?」
「そなたが何者かは……存ぜぬが……」
「この辺りで止《や》めておけ。いいなユーリ、この馬鹿《ばか》げた人形を戻《もど》せ」
首を掴《つか》まれ揺さぶられて、脳震盪《のうしんとう》を起こしかけている。
「身を挺《てい》してまで余を諌《いさ》めようとは天晴《あっぱ》れな覚悟《かくご》。致《いた》し方ない、この場はそなたの忠心に免《めん》じて……場を収め……よう……」
ふにゃりと彼が|脱力《だつりょく》する。
三男がまた、謂《いわ》れのない怒《いか》りに囚われているので、ろくに力の残っていないグウェンダルに代わり、コンラッドはユーリの身体《からだ》を引きうけた。
「ギュンターにも見せてやりたかったなぁ」
あらゆる意味で、絶叫《ぜっきょう》だろう。