小シマロン領カロリア自治区ギルビット領主ノーマン・ギルビット様は、中年の執事《しつじ》を連れて姿を現した。
初めてお会いする人間の領主様は、あまりにインパクトが強すぎた。どれくらい|強烈《きょうれつ》だったかというと、小柄《こがら》とか華奢《きゃしゃ》とか三つ編みですかという突っ込みポインツも、|瞬間《しゅんかん》的に忘れてしまうほどだ。
彼は仮面の男ではなく、
「ノーマン……ていうか、マスクマン!?」
確かに銀ピカ、確かに頭部全体を覆《おお》ってはいる。だが、柔《やわ》らか素材と後ろの革紐《かわひも》で構成されたそれは、仮面というより覆面《ふくめん》だ。
「は、はじまめしてマスクマン領主ドノ」
椅子《いす》から立って握手《あくしゅ》を求めたのだが、|驚《おどろ》きのあまり声が裏返ってしまった。細くて冷たい指先は、労働に慣れていない滑《なめ》らかさだ。おれのほうはタコやマメで大変なことになっているので、ぎゅっと握るのが申し訳ない。
先方の外見が|特殊《とくしゅ》だから、対戦相手みたいに感じてしまう。テーブルが正方形なのは不思議ではないが、角に座らされているのは何故《なぜ》だろう。どっちが赤コーナーでどっちが青コーナーなんだか。
口髭《くちひげ》の下から言葉を発する中年執事が、領主の後ろに立ったままで言った。
「仮面のことはお聞き及《およ》びでしょう。主《あるじ》は幼少のみぎりより、このお姿で生活しておられます。しかも三年前には不運な事故で、まともな声さえ失いまして……このような会談の席で、私ごときが発言することをお許しくださいませ」
「おれは別に……」
「いやそれは|奇遇《きぐう》っ!」
いきなり言葉を|遮《さえぎ》られ、ぎょっとして隣《となり》のイメチェンくんに顔を向ける。にせ|金髪《きんぱつ》にせ碧眼《へきがん》の日本人は、嬉々《きき》として|嘘《うそ》を並べ立てる。
「実はうちのクルーソー大佐《たいさ》も、|風呂場《ふろば》で喉《のど》と目をやられましてねっ。いやはや風呂|掃除《そうじ》も命がけ、まぜるな危険! は厳守しませんとねえ」
大佐!? |嘘《うそ》八百!
「ほう、お若く見えますのに大佐とは……」
「ええ、キャリア組の超《ちょう》エリートなので。けど、若いのに髪《かみ》だけはヤバイ感じでして。男性ホルモンはもんもんなんですけどねっ」
大成!? 嘘九百!
「ですから本日は銀行|強盗《ごうとう》みたいですが、|帽子《ぼうし》とグラサン着用のままで失礼します。やーなんかお似合いじゃないですかー? マスクマン領主|殿《どの》とうちの大佐」
嘘千%……お似合いって何だよ村田……。
とりあえず身分を偽《いつわ》ることは、会見直前に決めていた。ノーマン・ギルビットにお会いするに当たって、いくつかの問題が残されていたので。
一、黒目|黒髪《くろかみ》を曝《さら》せないため、帽子とサングラスを外せない。
二、自らの地位は、魔王どころか魔族であることも、明かせない。
三、ウィンコットの末裔ではないことについて、先方の|怒《おこ》りをかわないように、うまい説明を考えなければならない。あるいはこのまま|騙《だま》し通して、美味《おい》しい思いをするのもひとつの手か?
そもそも、魔族であるフォンウィンコット家が、この国で尊敬されているのは何故か。他では黒い髪を見られただけで、石まで投げられる始末なのに。
おれの苦労はどこへやら、マスクマン入場前の待ち時間に、村田はのんきに「プロジェクトX」ごっこまでしていた。
「伝染病から街を救ったとかさ、大昔に。トンネルを掘《ほ》るのに尽力《じんりょく》したとかじゃない? ウィン山は思った。このままでは、だめだ。とか、ナレーションは田ロトモロヲでどうよ」
どうもこうもない。
「あ、でもお前、|偽名《ぎめい》使ってたよな。今度は本名言っていいのか? 名乗れない理由は聞かないし、僕も付き合ってロビンソンにしてもいいよ。こうなりゃ乗りかかった船だから」
「別にお前は|普通《ふつう》でいいって」
「なんだよ水くさいなー、友達じゃん。友情友情。おまかせムラケンくーん、だよ。どうせ身分を偽るなら、現実と思いきり差があるのがいいな。そこらの野球好き高校生じゃ、名家の末裔にふさわしくないもんな。医者とかどうだ、青年医師、なりきれそう? 無理かー。じゃあもうシェフの気まぐれコースでど……」
「た、助けてムラケンくーん。お前もしかして楽しんでないか? ていうかそんな明るい性格だったっけ!?」
村田は|前髪《まえがみ》を掻《か》き上げながら、心底楽しそうにニヤついた。
「うーん、|漂流《ひょうりゅう》は人を大胆《だいたん》にするみたいよ」
おれの心、彼知らずだ。
そんな会話をしていたときは|晩餐《ばんさん》室も肌寒かったが、今は暖炉《だんろ》に火が入っている。夜には気温が急低下する土地なのか、部屋は暑すぎず快適だ。床《ゆか》はマーブル模様の冷たい石だが、壁《かべ》は金銀を多用した豪華《ごうか》な布張り。お椀《わん》の底みたいな|天井《てんじょう》には、戯《たわむ》れる天使が描《えが》かれていた。
いかにも貴族のお住まいデス! という感じ。規模的には比べものにならないが、こと内装に関しては、血盟城よりずっと金がかかっているだろう。
主役であるご当主が現れるまでは、メイドさんらしき女の子達が世話を焼いてくれた。お茶だお菓子《かし》だと運んだ上に、可愛《かわい》いコスチュームでおしぼりまで差し出されたときは、スタッフ教育|完璧《かんぺき》なファミレスにいるのかと|錯覚《さっかく》しそうになったくらいだ。
二人して、ほんやりしてしまう。
「かわいいねー、いいねえメイドさん」
「あー、あの腰の後ろがたまんないよな。エプロンの紐《ひも》、蝶結《ちょうむす》び。おれらの裸《はだか》エプロンとは雲泥《うんでい》の差」
「目の保養、目の保養。一人くらいお持ち帰りできないかな」
友人はおしぼりで首まで拭《ふ》きながら言った。
「……村田、お前ってほんとはオッサン?」
ただしそれもノーマン・ギルビットが登場するまで。マネージャーを連れて入場の銀ピカマスクマンには、一発でノックアウトされてしまった。
もうすぐ食事だと言われたが、旅の仲間であるデジアナGショックによると、二十四時間制では現在九時。こんな時間から晩飯ということは、ナイターはゲームセットまで観《み》る主義らしい。その点だけは、気が合いそう。
前菜とアペリティフが運ばれてきた。高脚杯に注がれたのは、案の定、二十《はたち》歳を過ぎてからの飲み物だ。おねーさん、水、水ください。金色の模様が美しい皿に載《の》せられているのは、薄《うす》くスライスされた星形の物体だ。
スターフルーツだろう、スターフルーツでしょ、スターフルーツだよねっ?
先割れスプーンでつついてみた村田が、感心したように|呟《つぶや》いた。
「ヒトデだあー」
「……珍味《ちんみ》だな」
涙声《なみだごえ》。
「|不躾《ぶしつけ》ではございますが……」
自己|紹介《しょうかい》と|一頻《ひとしき》りの社交辞令が済んだ後に、ベイカーと名乗った中年執事はそう切りだした。
彼はベイカーというより「ヒゲ」だ。アゴヒゲアザラシを思わせる。
「クルーソー様はウィンコット家とは、どのような……」
「ああ、実は大佐の亡《な》くなられた母上が、ウィンコットの血を引く女性だったんですよ」
村田の|脇腹《わきばら》を肘《ひじ》でつつき、声を潜《ひそ》めて|抗議《こうぎ》する。
「おふくろ死んでねーよっ」
「いいから」
よくない。だが、当人の苦情をものともせず、補佐《ほさ》官ロビソソンは饒舌《じょうぜつ》だ。おれは心の中だけで、この物語はフィクションですと繰《く》り返した。実在する人物、団体等とは、何の関係もありません。
「彼女は大佐を産む直前に亡くなったし、大佐自身は別の場所で育ったので、直接会ったことはないんです。でもある日、生前の彼女を知る者が現れましてね、その男が、これは渋……クルーソー大佐のものだと」
待て村田、産む直前に亡くなったってどういう技術だ? ヒゲは言い|間違《まちが》いに気付かぬふりで、主人からの耳打ちを言葉にする。
「そのウィンコットの血を引く女性の……お名前は……」
「ジュリア」
「ぐひぇええっ!?」
テーブルの下で脛《すね》を蹴《け》られ、慌《あわ》てて両手で口を塞《ふき》ぐ。そうでした、喉を痛めている設定でした。だけど、村田、今なんて言った!? 女の名前を何て答えた!?
「うちの大佐ってばママンの名前を聞くだけで感極《かんきわ》まって、|妙《みょう》な声が出ちゃうんです」
ヒゲは、お気になさらずと首を振《ふ》った。心なしか向けられる視線が同情的。
「で? 彼とウィンコット家の関係については、今お話ししたとおりですが。今度はそちら様の事情も教えてくださるんですよね」
領主ペアは長めの耳打ちを終えて、|喋《しゃべ》り担当の中年|執事《しつじ》が口を開く。
いつもより多く喋っておりますが、これでギャラはおんなじだ。
「私どもが申し上げることが、果たして故人のご意志かは判《わか》りかねますが……元々この地を治めていたのは、御母堂様の血筋であるウィンコット家なのです」
なにそれ。だってスザナ・ジュリアさんは|魔族《まぞく》だし、|眞魔《しんま》国の十貴族、しかも名前も古い名門だって話だったぞ。
「とはいっても、もう何千年も前の話になります。現カロリア……当時はもちろん違《ちが》う名称《めいしょう》で呼ばれておりました。この土地も民《たみ》も|全《すべ》てウィンコット家の所有でした。彼等は世界を呑《の》みこもうとした古《いにしえ》の創主達をうち負かし、この世界を存続させた偉大《いだい》な種族の一員でしたから。しかしどういった変化があったのか、|徐々《じょじょ》に民を虐《しいた》げるようになり、やがて狂気《きょうき》の支配を強《し》い始めたのです」
創主……どこかで耳にした単語だ。達をも打ち倒《たお》した力と叡智《えいち》と勇気をもって、と続くはず。何のことはない、うちの正式国名の一部である。
ヒゲ中年は主人であるノーマン・ギルビットに顔を向け、先を続けるかどうか目で|訊《き》いた。銀のマスクが微《かす》かに|頷《うなず》く。
「……民衆達は理不尽《りふじん》な圧政に立ち上がり、新たな時代とよき国主を求めて屈《くつ》することなく闘《たたか》いました。その結果としてカロリアは立国されたわけです。ご存知《ぞんじ》のとおり、かの家はその後、定住の地を求めて旅し、西の果てで魔族となられたわけですが……」
全然、まったく、ご存知じゃなかった。
魔族というのは生まれたときから魔族なのではなくて、旅先でひょっこりとなれるものなのか。キャッチフレーズは「そうだ、魔族しよ」、よく晴れて長閑《のどか》な午後は「魔族びより」。
「ですから、私どもカロリア国民とウィンコット家は、歴史的に深い因縁《いんねん》があるのです。ですが、過去のことは過去のこと。気の遠くなるような長い時間が、我々の|軋轢《あつれき》を解消してくれたはず。カロリアは今こそ和解したいのです、先の世に遺恨《いこん》を遺《のこ》したくないのです」
誰《だれ》にも聞こえなさそうな声で、村田がぼそっと呟いた。
「……そんな歴史を信じる奴《やつ》が……」
青い仮面の向こうには、おれと同じ日本人の黒い瞳《ひとみ》がある。
「そんな|馬鹿《ばか》げた歴史を信じる奴がいるとでも思うのか!?」
おれのお友達は何をひとりギレしちゃってるの!? と一瞬《いっしゅん》だけびびる。しかし怒声の抗議は隣《となり》にいるムラケンのものではなく、今まさに蹴破《けやぶ》りそうな勢いでドアを開けて参入してきた新たな客の意見だった。
全員の視線が一斉《いっせい》にそちらへ注がれる。彼等は七人の団体だったが、よく見ると腰《こし》や腕《うで》に取り縋《すが》っている四、五人はこの館《やかた》の兵士で、残る二人が本命だった。もっとよく見ると、二人組の容姿には異なる点も多く……うわっ!
おれは大慌《おおあわ》てで戸口から顔を背《そむ》け、正面のノーマン・ギルビットに視線を戻《もど》す。別にマスクマンを見詰《みつ》めていたいわけではない。新客と顔を合わせたくないだけだ。
「ウィンコット家が圧政を敷《し》いたから民衆が|蜂起《ほうき》しただと!? ふざけるな! この世の脅威《きょうい》から救ってもらっておきながら、闘いが終わればお払《はら》い箱だ。利用するだけ利用してからに、平穏《へいおん》が訪《おとず》れると、オレたちの魔力が恐《おそ》ろしくなったんだ。人間どもの考えることは皆《みな》同じ、自分と異なるものは排除《はいじょ》する……そんな汚《きたな》い手を使ってでもな。和解、遺恨? 笑わせてくれるぜ!」
「申しわけありませんギルビット様! お止めしようとはしたのですがっ」
兵士連中のぶら下がり具合は涙《なみだ》ぐましい。振り切って、というより引きずって来た二人組の力を褒《ほ》めるべきだ。そのうちの一人を目にした途端《とたん》に、おれのトラウマが発動する。
ブロンド、碧眼《へきがん》、男前。胸板《むないた》、でかい手、肩《かた》筋肉。鷲鼻《わしばな》、割れ顎《あご》、デンバーブロンコス。裏切り、宿敵、反魔族。ウェラー、フォンウィンコット、フォングランツ。
アー……ダルベルト。
名前も思い出したくない! ダルベルトじゃないけど!
逃避《とうひ》するあまり二人組の怒鳴《どな》っていなかったほうに意識を集中してみた。|両脇《りょうわき》を刈《か》りあげた上でのポニーテールという、非常に独特なヘアスタイルだった。濃茶《こいちゃ》のヒゲを丁寧《ていねい》に揃《そろ》えているせいで、色白な頬《ほお》と顎に模様ができている。もみあげから細く長く繋《つな》げる剃《そ》り方は、外人助っ人やレスラーにも最近多い。言ってみれば刈りあげポニーテール、かわいく略すと刈りポニ。
冷静を保っていたからか、力強さや精悍《せいかん》さよりも、鋭利《えいり》な|凶器《きょうき》という印象が強い。どちらかというと細い一重《ひとえ》の眼《め》は、無関心無感動を装《よそお》うことで他人に心を読ませない。
「マキシーン様、このような夜に……いったい何の……」
「そのままで」
腰を浮《う》かせるベイカー執事を手で制し、刈りポニことマキシーンはノーマン・ギルビットの正面まで歩を進める。つまりおれの席の真横だ。
前にいるギルビット組からは張りつめた空気、脇に来た刈りポニからは冷たい|匂《にお》い、背後の元魔族からはくすぶった|怒《いか》り、隣の相方からは意味不明な温《ぬく》もり。
村田の服の裾《すそ》を掴《つか》みたくなった。
「さて、ノーマン・ギルビット殿《どの》」
マキシーンは枯《か》れた渋い声をしてはいるが、四捨五入すればまだ三十で通るだろう。彼がごく|普通《ふつう》の人間ならば。故意に抑《おさ》えてゆっくりと、威圧感《いあつかん》を与《あた》える話し方をする。
「我々、小シマロンは、先頃《さきごろ》不穏《ふおん》な|噂《うわさ》を耳にした。|根拠《こんきょ》さえ定《さだ》かでない風評だ、あまりに荒唐無稽《こうとうむけい》な話で、今のところは信じるに足りぬ。今のところはな」
「マキシーン様、主《あるじ》は迎賓《げいひん》の晩さ……」
「執事の意見ではなく」
彼が|素早《すばや》く手を振ると、グラスが床《ゆか》で砕《くだ》け散った。おれの食前酒だ。
「……失礼、つい興奮してしまい」
つい、ではなく、絶対にわざとだ。詫びにも反応できなかった。悪いなんて思ってもいないだろうから、返事をしなくても礼には反するまい。
「ノーマン・ギルビット殿本人の言を求めて来たのだ。取り越《こ》し苦労であることを期待してはいるが、ことによっては本国に出向き、弁明していただくかもしれぬ。ギルビット殿、我等シマロンの意向に対し、異を唱えているのは本当か? 魔族との開戦を避《さ》けるために、画策したというのは、事実だろうか」
ギルビット領主がベイカーに耳打ちし、執事は|椅子《いす》を鳴らして立ち上がった。
「そのようなことは……」
「どうも瞳が覗《のぞ》けないと、真実と|虚言《きょげん》の区別がつけにくいな」
|侮蔑《ぶべつ》を含んだ冷たい台詞《せりふ》に、ノーマンの肩が大きく震《ふる》えた。
「声を失ったのは知っているし、幼児期の病も気の毒だったと思う。だが、幸いこの場には痘痕《あばた》やび爛《らん》などを目にして、|卒倒《そっとう》するご婦人も居《お》られない。|無粋《ぶすい》な銀の仮面を外して、男同士語り合うわけにはいかぬものか」
「マキシーン様それは、あまりにもっ」
執事は|狼狽《ろうばい》するし、マスクマンは緊張するし。この重苦しい空気を掻《か》き乱すためなら、もはや恥《はじ》も外聞もない。
いっそ、わーんおれ激しくチキンハートなのでマスク外されたらショックで気絶しますーと、女以上に大声で泣き喚《わめ》いてやろうか。
ただし一つだけ問題がある。マキシーン対ノーマン戦の裏番組で、背後の元魔族対渋谷ユーリ戦も進行中だという点だ。かつておれの脳味噌をいじった男、アメフトマッチョことフォングランツ・アーダルベルトに気付かれれば、あっという間に地面に転がることとなる。彼は魔族を憎《にく》んでいて、新前《しんまい》魔王《まおう》を殺そうとしたのだから。
「それとも、仮面を外せぬ本当の理由は、見た目の話ではないのかな?」
ふと見ると、すぐ右に置かれた男の指には、|緊張《きんちょう》の欠片《かけら》もなかった。テーブルクロスに皺《しわ》を寄せるでもなく、力が入って白くなるわけでもない。
マキシーンという小シマロンの人間は、必要とあればどんなスイッチでも押すだろう。笑《え》みを浮かべたりもせず、無感動なままの茶色い瞳で。
この男は危険だ。
ある意味、アーダルベルト以上に。
「さあ、ノーマン殿。貴公の弁を聞こうではないか」
……|雰囲気《ふんいき》を読まない|駄洒落《だじゃれ》も、危険。
通じるかどうかは判らないが、合図のつもりで村田の指を掴んだ。ひょいと引っ込められてしまう。いやんじゃないだろ、いやん、じゃ。
リング上でマスクを外されて観衆に素顔を曝《さら》されるのは、マスクマンにとって最悪の|屈辱《くつじょく》だ。
レスラー生命、終わったも同然。そんな可哀想《かわいそう》なことをするくらいなら、ここでおれが一発大恥かいてでも、マスクマン人生を救ってやる。
あの細くて冷たい指先が、革紐《かわひも》にかかったらゴーサインだ。