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今日からマ王15-3

时间: 2018-04-30    点击:251进入日语论坛
核心提示:    3 おれの|脳《のう》味噌《みそ》にこんな便利機能が付いているのなら、もっと早く教えてくれれば良かったのに。そう
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 おれの|脳《のう》味噌《みそ》にこんな便利機能が付いているのなら、もっと早く教えてくれれば良かったのに。そうすれば少なくともオーラルの授業だけは、英語教師の顔色を|窺《うかが》うことなく堂々と受けられたのに。
「|驚《おどろ》いたな、おれって英語ペラペラだったんだ」
 時々聞き返されることはあったが、ヘイゼルとの会話に支障はなかった。正直、あのカタカナ混じりの中学イングリッシュが、実際に役立つ日が来ようとは思ってもみなかった。義務教育って意外と大事。
 しかし問題は、英語を話しているのに気付いた直後から、失われていた記憶が次々と|甦《よみがえ》ってしまった点だ。例えば地下鉄の駅名らしき数字、グリ江ちゃんではない|怪《あや》しい女装のオネエさん、人魚、|喋《しゃべ》るお|神筏《みくじ》ボックス、|何処《どこ》のチェーン店か|判《わか》らないコンビニの制服、アヒル。
「どっか海外の通りの名前とか……なんだこりゃ。兄貴に連れ回されたんだろうか。あ、そんな気がしてきた……あーでも思いだしちゃいけない過去のような……」
「いけない過去?」
 大人一人がやっと進める|幅《はば》の通路で、ヨザックが|窮屈《きゅうくつ》そうに|振《ふ》り返った。オレンジ色の頭が|天井《てんじょう》にぶつかりそうだ。それ以前に手にした|松明《たいまつ》が、同じ色の|髪《かみ》を|焦《こ》がしそうだ。
「|誰《だれ》にだって消したい過去はあるものよ、|坊《ぼっ》ちゃん。無理にはっきりさせなくても」
「止められるもんなら止めてますってェ」
 でもまるでテーブルクロスにグラスを|倒《たお》したように、|徐々《じょじょ》に広がり|染《し》み|渡《わた》って行くのだ。これまでは単なる|塵《ちり》だった物が、水を吸い込み一つ一つ|膨《ふく》らんで、段々と明確な画像になる。
「うひゃーどうしようあのエプロンドレスみたいなのは何だろう、ていうかまさかアレ……」
 歩きながら額を押さえるおれを見て、保護者達は少々心配になってきたようだ。
 コンラッドは彼らしくない不安そうな声で、おれの額に背後から手を重ねた。
「|大丈夫《だいじょうぶ》ですか。どこか痛むようなら、彼女に言って少し休みますか?」
「|違《ちが》う違う、痛いっつーより|恥《は》ずかし、あイター! され放題じゃん、ちょっとは|拒否《きょひ》しろよ子供の|頃《ころ》のおれ!」
 ヘイゼルは時折曲がる地下通路のずっと先を歩いている。|灯《あか》りと小さな背中しか見えない。
「アーダルベルトのせいかもしれません」
「マッチョが何、どうしたって?」
「こちらの言語を無理やり引き出した時に、|記憶《きおく》の|箍《たが》が緩んだのかもしれない」
「|箍《たが》が緩むって……年取って|涙《なみだ》もろくなるような感じかな」
「いえ、そうではなく、本来なら歯止めが|掛《か》かっているはずの過去まで、甦ってしまう状態です」
「歯止め?」
 見上げる要領で首を後ろに反らすと、|殊《こと》の外深刻そうな顔に出会う。|虹彩《こうさい》に散った銀の星が、|炎《ほのお》に照らされて|煌《きら》めいていた。こんな|距離《きょり》で目にするのは久し振りだ。
「つまりあなたが話していたのは、学校で習った英語だけではなく、幼少時に自然と耳にしていた言葉なのではないかと……」
「ああ、おれってなんちゃって帰国子女だから! といってもほんの数ヵ月間、しかも生まれてすぐの赤ん|坊《ぼう》だったんですけど」
「聞いてます」
 そうしている間にも、身に覚えのない体験は次々と甦ってきていた。ショットガンらしき物、|巨乳《きょにゅう》に顔を|埋《うず》め……うわストップ、巨乳、だからストップ巻き戻しって! |慌《あわ》てて振り回した右腕は、乾いた土の|壁《かべ》にぶつかった。小指の石が黄色い粉を|削《けず》り取る。
「気をつけて」
「大丈夫だ。それより歯止めって何だよ、記憶の箍って」
 コンラッドはヨザックにも聞こえるように、やや声を高くして続けた。
「俺も専門的に学んだわけではありませんが、多くの人の記憶というのは、二、三歳頃から始まっているものでしょう。それ以前の、生まれて間もない時のことや、|胎内《たいない》の状態などは|殆《ほとん》どの場合覚えていない」
「まあそうだね」
「けれど以前にも申し上げたとおり、|魂《たましい》は|全《すべ》て記録しているんです」
 記憶と記録。難しい話になってきた。
「あなたが|訪《おとず》れたこともなかった眞魔国の言語を理解できたのは、それが記録され、魂の|襞《ひだ》に|蓄積《ちくせき》されていたからです。もちろん陛下……ユーリとしてお生まれになる前の経験ですが」
 石でも|詰《つ》まったような気がして、おれは無理やり|喉《のど》を動かした。口の中は|渇《かわ》いていて、|呑《の》み込む|唾《つば》さえなかったが。
「……つまり、前の持ち主の経験値を借りて喋ってるってことだ」
 表面上は何の変化も見せずに、コンラッドはゆっくりと|頷《うなず》いた。
「そうなります。本来なら表層には|浮《う》かんでこないはずの記録です。決して開かない扉の奥深くに、閉じ|込《こ》めておくべきものです。新しい所有者の人格形成に、|影響《えいきょう》があってはいけませんから」
「影響……まあ、そうかな」
 新しい所有者というのは、おれだ。
 前の持ち主が誰だったのかは、おれの知ったことではない。
「そんなの知ったこっちゃないですけどねぇ」
 心の中の言葉を読まれたのかと、思わず足が止まってしまった。けれどそれはおれの口から発せられたのではなく、ヘイゼルを見失わないように前を向いたままのヨザックが、平素と変わらぬ口調で言ったのだ。
「生まれちまったほうにしてみれば、前世がどうだったかなんて、正直知ったこっちゃありませんやね。今あるものを使って生きていくだけで必死、死ぬまでに使い切るだけで|精一杯《せいいっぱい》さ」
「グリ江ちゃんはいいこと言うなあ! おれが金田一博士だったら、グリ江ちゃん語録を|編纂《へんさん》してるよ」
「|嬉《うれ》しい、陛下。グリ江感激!」
 前世のことを考え始めたら人間お|終《しま》いだ。
 おれだってそれらしき人物の名を告げられたことはあるが、自分のこの眼で確かめようもない過去なんて、そう簡単に信じられるわけがない。同じ魂を使っていた人が|大富豪《だいふごう》であろうとも、現在のおれはしがない|庶民《しょみん》の|次男坊《じなんぼう》で、高校生|兼任《けんにん》の新前|魔王《まおう》だ。万が一以前も王様だったとしても、精々お|菓子《かし》のホームラン王くらいの規模だろう。世界が|狭《せま》い。
 ましてや知り合いの女性でしたなんて言われたら、どう反応していいか見当もつかない。次に会ったときどんな|挨拶《あいさつ》をすればいいんだ。部長そのネクタイ|素敵《すてき》、とか? 部長じゃないしネクタイしてないし。
 胸に戻った魔石が熱を増すようだが、敢《あ》えて気付かぬふりをする。やっぱり、知らない顔をして生きていくのが一番だ。
 そう結論づけたおれを裏切るように、ヨザックが|呑気《のんき》な口を開いた。
「けど、周囲の者は困るでしょうねえ」
 照らし|損《そこ》ねた足元の小石に|蹟《つまず》く。
「昨日まで友人だった相手が実は敵だと判ったり、|可愛《かわい》い|息子《むすこ》が親の|仇《かたき》の生まれ変わりだと知ったりしたら、そりゃあ困る、|困惑《こんわく》しますよ」
「……だから|封印《ふういん》されるんだ」
 額に|載《の》っていたコンラッドの|掌《てのひら》が、不意に冷たくなった気がする。
「周囲にも本人にも|悟《さと》られないように、魂の奥底に、厳重に|鍵《かぎ》を掛けて封印するんだ。だがアーダルベルトはそれを破り、陛下のものではない記憶を引き出した。言語だけならと、そう危急にとりもしなかったが、あの時に笹が|緩《ゆる》んだとなると……」
「待ってくれ、待ってくれよ」
 彼の手を振り|解《ほど》き、おれは|靴《くつ》の|踵《かかと》を|軋《きし》ませて向きを変えた。
「赤ん坊の頃に見聞きした光景を思い出しただけだよ。三歳児くらいとかな。そんなのご近所でちょっと評判のエリート|幼稚園児《ようちえんじ》なら、単なる|食卓《しょくたく》の話題になる話だろ? ぼくママのお|腹《なか》の中に居た頃のことも覚えてるよーってさ。それを何だよコンラッド、|大袈裟《おおげさ》だよ大袈裟。考え過ぎ、心配し過ぎなんだって」
「そうでしょうか」
「そうだ」
 指輪の無い方で|拳《こぶし》を作り、制服の胸を軽く|突《つ》いた。とん、と小さな|衝撃《しょうげき》が返ってくる。彼の|鼓動《こどう》を|掴《つか》んだ気がした。
「心配するのはギュンターの仕事だろ」
「でも、したいんです……させてください」
 |恐《おそ》らく炎の|揺《ゆ》らめきのせいだろう。泣きそうな|眼《め》をしていた。おれではなく、彼が。
「今だけでも」
 その|瞬間《しゅんかん》おれの中には、十六にもなった|野郎《やろう》に言う|台詞《せりふ》じゃないだろうとか、城の連中にも|囁《ささや》かれてるけど、あんたとギュンターは過保護すぎるとか、|幾《いく》らでも言い返す言葉があった。けれど結局は何一つ口答えできずに、ただ在り来たりの短い返事を繰《く》り返しただけだった。
「|大丈夫《だいじょうぶ》だ」
 もう一度、大丈夫だよと。
 だから陽気なお庭番の入れてくれた茶々が、これほど有り難かったことはない。何事も|面白《おもしろ》がるのが習慣であるヨザックは、ファイヤーダンスよろしく顔の横で松明を|振《ふ》り回した。掛ける言葉に迷わなくて済むように。
「危ないだろグリ江ちゃん!?」
「よかったー、グリ江のことも心配してくれて」
「いやどっちかっていうと|灯《あか》りの心配を……」
 呼ばれたような気がして|肩越《かたご》しに先方を|見遣《みや》ると、すっかり遠くなってしまったヘイゼル・グレイブスが声を張り上げていた。
「ボーイズ、|脚《あし》がお留守のようだよ!」
 コンラッドに向かってボーイズはないだろう、と英語|解《わか》る組は|肩《かた》を|辣《すく》める。見た目と|実年齢《じつねんれい》の差を知ったら、彼女だって相当|驚《おどろ》くだろうな。
 
 
 ところが実年齢を聞いて|素《す》っ|頓狂《とんきょう》な声を上げてしまったのは、ヘイゼルではなくおれのほうだった。
「そんなに!?」
 彼女の言葉を信じるならば、|余裕《よゆう》で百二十歳は過ぎているそうだ。ご婦人に|年齢《ねんれい》を|訊《き》くのは失礼とか、そういうレベルを|超《こ》えている。とはいえ外見は七十そこそこだから、魔族の|歳《とし》の取り方とも異なっていた。
 それにしてもコンラッド、ヨザックも加えて、百歳オーバー三人組に囲まれていると、最近の|高齢者《こうれいしゃ》の|皆《みな》さんは元気だよなと実感してしまう。|毒蝮三太夫《どくまむしさんだゆう》になった気分だ。
「ということは神族も、魔族同様ご|長寿《ちょうじゅ》種族なんだね」
「いや、確かに百五十くらいまでは生きるようだが、あんたたちみたいに老化が遅《おそ》いとは聞かないね。百を超えれば|身体《からだ》にガタがくるし、|病《や》んで|寝《ね》たきりになる者も多い」
 そう言いつつもベネラことヘイゼルは、大きな|溝《みぞ》をひょいと|跳《と》び|越《こ》えた。身体にガタがくる? 誰《だれ》の話だ。
「|騙《だま》し騙しやってきたけれど、あたしもそろそろ限界が近付いてきたようだしね。もっともあたしはここの世界の者じゃないから、時間が肉体に|及《およ》ぼす影響にも、多少は差があるんだろうけど」
「ちょっと待った、聞き捨てならないな。ここの世界の人じゃない? 
 それどういうことですか、まさかヘイゼルさんもおれと同じ……」
「その件に関しては、ウェラー氏が|詳《くわ》しいと思うけど」
 明かりを受けた顔の半分だけで笑い、|壁《かべ》の数|箇所《かしょ》に手を|這《は》わす。|突起《とっき》か何かを探しているようだ。
「あたしは何十年も前に死んだんだよ。地球の、合衆国……アメリカという所でね」
「アメリカ!?」
「……一九三六年、ボストン|郊外《こうがい》であなたは|行方《ゆくえ》不明になった」
 七十年も前だよという驚きが、思わず口をついて出てしまった。老婦人の所作を見守っていたコンラッドが続けた。
「移築した|邸宅《ていたく》の焼失と共に」
「そうだよ、焼け死んだはずなんだ。なのにあたしはこうしてピンピンしている。どうしてなんだろうね。来た当初は此処は死後の世界なのかと思ったよ。けれど天国にしちゃあ過酷な環境《かんきょう》だ。だから生前あまり善行を積んだともいえないせいで、天国の門が開かなかったのだろうとね」
「|違《ちが》う違う、|地獄《じごく》でも|極楽《ごくらく》でもないんだよそれが」
 おれだけが|慌《あわ》てて否定する。|冗談《じょうだん》じゃない、グレイブス説が通ってしまえば、自分も死んでいることになる。おれは何度も往復しているし、今のところ日本でも消息不明にはなっていない。
「ああもちろん、此処が死後の世界じゃないことくらい今は知っているよ。けれど故郷ではあたしの|葬儀《そうぎ》も済んだろうし、ささやかながら墓も立ててくれただろう。ヘイゼル・グレイブスはもう死んでいるんだよ。|禁忌《きんき》を破ってあれに|触《ふ》れ、あの青い|炎《ほのお》に包まれた瞬間にね」
「そう、あなたは箱の|蓋《ふた》を開けた。そしてその衝撃でこちらへと飛ばされてきたんだ」
「コンラッド!」
 会話を|遮《さえぎ》ると同時に、|鈍《にぶ》い音を立てて壁がスライドした。注意してみると|扉《とびら》は分厚い石の板でで、横に転がせるように|巨大《きょだい》な円になっていた。けれど今は地下道の仕組みに感心している場合ではない。
「箱って言ったか?」
 |緊張《きんちょう》で指先が冷たくなる。
「今、箱って言ったよな。それはおれたちが散々苦労させられている、例の四つの箱のことか? それが……」
 氷でも呑《の》み込むみたいに喉《のど》が痛んだ。
「ここに?」
「この場所ではないよ」
 ヘイゼル・グレイブスはおれの表情を確かめながら、|石壁《いしかべ》の向こうに半歩だけ|踏《ふ》み込んだ。
「もっとずっと北だ、この大陸の|端《はし》さ。神族の土地は広大だ」
 人を検分する眼だ。空港の探知器を通らされるような、不快な気分にさせられる。
「こちらの世界に来てからは、不幸にして海を越えたことはない。だから他国と比べることはできないが、生前のあたしの|距離《きょり》感から察するに、|豪州《ごうしゅう》くらいの大きさはあるだろうね」
 でも羊はいないよと付け加えて、ヘイゼルは笑った。
「その名のとおりさ、聖砂国。風と砂ばかりで緑地どころか草木も|碌《ろく》にない」
「詳しいんだね、神族でもないのに」
「何年居ると思っているんだい? |坊《ぼう》……さっき陛下が|図《はか》らずも口にしただろう。七十年だよ。七十年も同じ国で過ごせば、此処で生まれた子供よりは物知りにもなるさ」
 彼女は小さな石室に我々を招き入れ、壁の油に|松明《たいまつ》の火を近付けた。|途端《とたん》に六箇所へと炎が移り、部屋は昼間のように明るくなる。四方の壁は燃えるように真っ赤だ。
 それは単に赤く|塗《ぬ》り|潰《つぶ》してあるわけではなく、|深紅《しんく》の|塗料《とりょう》を使った|壁画《へきが》だった。精密な模様の所々に、人物や|家畜《かちく》や、神と|思《おぼ》しき姿が|描《えが》かれている。流れたての血にも似たただ一色で、二十|畳程《じょうほど》の部屋を|埋《う》め|尽《つ》くしていた。|壮観《そうかん》だ。
「へーえ」
 あまり芸術に興味のなさそうなヨザックでさえ、思わず|感嘆《かんたん》の声を上げたくらいだ。
「ここは……礼拝所か何か……?」
「今は単なる集会所さ。もっとも二百年以上前には、入口[#「入口」に傍点]として重要な意味を持っていたらしいけれどね。いいかい、|予《あらかじ》め教えておく」
 ヘイゼルは最奥の壁を|叩《たた》いた。|何故《なぜ》か視線は英語の通じるコンラッドではなく、おれに向いている。
「この部屋の壁はそれぞれ通路に|繋《つな》がっている。けれど決してこの先には行っちゃいけない。この先は迷宮だ。昔は人の住む地下都市だったが、二百年前に最後の住人達が|引摺《ひきず》り出されてからは、ずっと放置されたままだ。七十年前にあたしが通った時でさえ、|闇《やみ》ばかりで|頼《たよ》る光もなかった。いいかい、死にたくなかったらこの壁は越えちゃいけない。よほど強い守護天使でも持たない限り、この先の迷宮で生き延びるのは不可能だ」
「でもヘイゼルさんは通り抜けたんだ」
「完全に抜けたわけじゃないよ」
 彼女は|埃《ほこり》にまみれた|白髪頭《しらがあたま》を振り、|乾《かわ》いた土の上に|腰《こし》をおろした。不思議なことに座る姿に先程までの壮健さはなく、そこに居るのは疲れ切った小柄な老女だった。親指と人差し指を額に当てて、がっくりと|項垂《うなだ》れている。
「……あたしだって|端《はし》から端まで通り抜けたわけじゃない。そんなことが可能なもんか。地上の騎馬《きば》民族から身を隠《かく》すために、途中の抜け穴《あな》から入って少し歩いただけさ。その僅かな距離でさえ、気が|狂《くる》いそうになった。信じられるかい、数え切れない|廃墟《はいきょ》を|荒《あ》らし、|幾《いく》つもの墓所に|侵入《しんにゅう》したあたしがだよ」
 まるで自分自身に言い聞かせるみたいに、ヘイゼルは迷宮の|恐怖《きょうふ》を言い|募《つの》った。
「|銃弾《じゅうだん》の飛び|交《か》う中を|掻潜《かいくぐ》ったことも、密林で|獣《けもの》と|対峙《たいじ》したこともある。|洞窟《どうくつ》を|手探《てさぐ》りで進んだことも、海底の|沈没船《ちんぼつせん》に閉じ込められかけたことだってあるんだ。けれどあれは……あの闇はそんなものじゃなかった。地球上で狩りをするのとは違う、全く違うんだ」
 言葉が通じていないはずなのに、ヨザックも口を|挟《はさ》まない。何の話なのか|雰《ふん》囲気《いき》で察しているのだろう。
「三百年程前までは地下都市には人が住み、地上程ではないがそれなりに栄えていたと聞いている。住人は|奴隷《どれい》の中でも最も身分の低い、地上での生活を許されなかった者達ばかりだったが、少なくとも闇はなかった。|灯《ひ》が|点《とも》され、通路は暗黒の迷宮ではなかった。ところがある時代に、当時の聖砂国君主が、地中で生活する奴隷達の|全《すべ》てを地上に引摺り出したらしい。その暴君が住人達をどうしたのかは聞いていないし聞きたくもないが、それ以来此処は神の|御《ご》加護の及ばぬ場所になった。あたし自身、迷宮を|彷徨《さまよ》ったときは、神に見放されたと思ったものだよ……」
 声の低さは|呟《つぶや》きに近い。
「……あれは神のお作りになった禁忌の箱で、欲望に|駆《か》られ手を|掛《か》けたから、自分は|罰《ばつ》せられているのだと……」
「そんなことはないよ、ヘイゼル」
 思わぬ言葉が口をついて出た。
 老婦人は顔を上げた。おれの目を真っ向から|見据《みす》えてくる。
「神は関係ない」
「何故?」
 おれは立ったまま、足の裏をしっかりと地面に着けたままで、彼女の|榛色《はしばみいろ》の|瞳《ひとみ》を見下ろして言った。壁画の獣が|襲《おそ》いかかってきそうに感じたが、それは単なる炎のまやかしだ。
「神様は関係ない。あれは大昔に暴れ回った|脅威《きょうい》の存在を|封《ふう》じ|込《こ》めるために、|魔族《まぞく》が作って隠した物だ。おれもあなたも生まれるずっと前の話だ。そうだよな、ウェラー|卿《きょう》」
 後ろでコンラッドが|頷《うなず》く気配があった。
「だからあなたが箱のせいで不運な目に|遭《あ》ったとしても、それは決して|神罰《しんばつ》じゃない。あなたの信じる神様は、あなたを見捨てたりしないよ。ただおれには……気の毒だったと言うことしかできないけど……」
 ヘイゼル・グレイブスはおれと背後のウェラー卿を見上げ、|暫《しばら》く|黙《だま》り込んでいたが、やがてほんの僅かに唇《くちびる》を開き、細い声で聞き覚えのある旋律《せんりつ》を歌い始めた。言葉は掠《かす》れ、歌詞は聴《き》き取れなかったが、それは確かに|宮殿《きゅうでん》の前で、子供が歌っていた曲だった。
「なんの……」
 問いの中程で|肩《かた》を押さえられ、先を|訊《き》けない。横を向くとコンラッドが目を細め、口にはださずに|判《わか》ったと告げた。何の曲か思い出したのだろう。
 動きもせず黙って待っていると、ヘイゼルは不意に歌うのをやめた。隠れて泣いたのを見つかった子供みたいな顔をする。
「あたしの|葬式《そうしき》のときに、一人でも歌ってくれていればいいんだけど」
「その曲だったかは知らないが」
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 コンラッドは一歩進み、座り込んだままのヘイゼルに左手を差し出した。あの|左腕《ひだりうで》を。
「あなたの葬儀には多くの友が出席し、歌い、|嘆《なげ》き、死を|悼《いた》んだと聞きました。遠方にあって|縁《えん》の遠かった者達も、それを|切《き》っ掛けに旧交を温めた。ご息女とその夫君もご立派な態度で、故人を|想《おも》うにはとても良い式だったそうです」
「よかった、喜ばしい。けど|妙《みょう》な気分だね、自分の葬式の様子を異国の地で聞くなんて」
「そして|後継者《こうけいしゃ》であるエイプリルは、あなたの望むとおりの人物になった」
 立ち上がりかけていたヘイゼルは、|突然《とつぜん》険しい表情で動きを止めた。おれの知らない名前だが、彼女にとっては|娘《むすめ》か孫なのだろう。
「エイプリルが……」
「彼女はあなたが消えた二年後に、|偶然《ぐうぜん》「箱」に|関《かか》わった。あなたと同じようにね」
 耳を疑った。本来四つある「箱」の内、幾つがこちらにあって幾つが地球にあったんだ!? いやそれ以前に、何でこの世界の脅威である物が、地球に存在したのだろう。聞いているだけの身がもどかしいが、ヘイゼルの必死の表情には、魔族側の疑問を差し挟む余地は無さそうだった。
「まさかあの子が、あの子があたしと同じ目に!?」
「いいえ」
 ウェラー卿はその左手でしっかりと、ヘイゼルの|皺《しわ》じみた細い指を|掴《つか》んだ。
「彼女は友人達と……ご存知でしょう、あなたの友だ。レジャンとDTと言っていました。エイプリルは彼等の力を借りて、箱を深い水底に|沈《しず》めた。|禁忌《きんき》に|触《ふ》れることなく。ドイツ軍の目を|欺《あざむ》いてね」
 老女の顔が|安堵《あんど》に|綻《ほころ》んだ。|目尻《めじり》と口元の皺が深くなる。
「俺はエイプリル・グレイブスに会いました。あなたのことを|誇《ほこ》りに思うと言っていた」
「そう……」
 コンラッドはまるで自身の祖母を|慈《いつく》しむような|笑《え》みで、あなたにそっくりだと言った。
「ありがとう、何よりの|報《しら》せよ」
 そして今度こそ本当に彼女は泣いた。
 ヘイゼル・グレイブスはコンラッドの手を|握《にぎ》り、乾いた|頬《ほお》に|涙《なみだ》を流した。
 彼女の時間はやっと繋がったのだ。
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