ある時、その長者が水無川(みずなしがわ)のほとりを歩いていると、川原に見たこともない大きな赤牛がねていました。
「これは、何と大きな牛じゃ」
と、感心していると、次の日も同じ牛がいるので、
「はて、飼い主はいないのだろうか?」
と、不思議に思いました。
そしてその次の日も、やっぱり牛は同じ所にねそべっています。
長者は立ち止まって、その牛をつくづくながめると、
「ははーん、きっと底なしの大食らいじゃから、すてられたのだな。よいよい、わしが面倒をみてやろう」
と、言いました。
すると牛はむっくりと起きあがって、うれしそうに体をすりよせてきたのです。
「おお、わしの言葉がわかるとは感心じゃ」
喜んだ長者は、そのまま牛を家へ連れて帰りました。
さて、この牛は毎日、まぐさを山ほど食べては寝てばかりいたので、『なまくら牛』と呼ばれるようになりました。
その頃、都では、法皇が三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)という大きなお堂をたてることになって、その棟木(むなぎ)につかう大木を山から都まで運ぶのに、国中の力持ちを集めていました。
ところが、どんな力持ちが引いても大木はびくともしないので、
「さて、どうしたものだろう?」
と、役人たちが困っていると、
「それなら、円海長者の大牛に引かせてみたらどうだろう?」
と、言う者がいました。
それでさっそく、円海長者の所へ使いが出されました。
話を聞いた円海長者は、
(さて、あのなまくら牛に、そんな大仕事ができるだろうか?)
と、心配になりましたが、それでも大牛の鼻づらをなでながら言いました。
「お前の力を見せる時がきたぞ。せいいっぱいがんばって、働いてきておくれ」
すると牛は、のっそりと小屋から出て庭石によだれで字のようなものを書くと、門の外で待つ役人のもとへ歩いていきました。
役人が力試しにと、三かかえもある大石を牛にくくりつけました。
すると牛は、平気で大石を引きずっていきます。
「おお、これはすごい!」
感心した役人たちは、さっそくその牛を長者ともども、若狭の国へ連れていきました。
さていよいよ、大木を運ぶ日がやってきました。
円海長者は、そわそわと落ちつきません。
たくさんの見物人が集まるなか、牛の体に大木をくくりつけた太いつなが何重にもまかれました。
ここまできた以上、もう後もどりは許されません。
「よし、いいか。わしの気合いで一気に引けよ。わかったな。そーれっ!」
長者は大きなかけ声とともに、力一杯たずなを引っ張りました。
大牛は足をふんばって頭を下げると、グイグイグイーとつなを引きました。
するとそのとたんに、ミシミシギギーと大木が動き出したのです。
長者は、顔をまっ赤にして応援しました。
「そーれっ! そーれっ!」
そして見物人たちまでが、それに合わせてかけ声をおくりました。
そしてそのかけ声に合わせるように、ズズズーッと、大木は若狭の山を下り、都へと無事に引かれていったのです。
これを知った法皇さまはとても喜んで、円海の牛を、
「日本一の力牛じゃ!」
と、ほめたたえました。
それからそのほうびとして、たくさんの土地を飼い主である長者に与えたのです。
大牛がよだれで文字を書いた庭石は、『よだれ石』として、今でも文室(ふむろ)の正高寺(しょうこうじ)にのこっているそうです。