児(ちご)が獄(だけ)といふ嶮(けは)しき獄(みね)背(うしろ)に聳(そばだ)ちて、千仞(せんじん)の谷底(たにそこ)より雲(くも)霧(きり)おひのぼれば、咫尺(まのあたり)をも鬱悒(おぼつかなき)ここ地(ち)せらる。
木立(こだち)わづかに開(すき)たる所に、土高(つちたか)く積(つみ)たるが上に、石を三(みつ)がさねに畳(たた)みなしたるが、荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓(みはか)にやと心もかきくらまされて、さらに夢(ゆめ)現(うつつ)をもわきがたし。
現代語訳
この里に近い、白峰という所に、崇(す)徳(とく)院の御陵(おはか)があると聞いて、拝み申し上げようと思い立ち、十月の初旬ごろその山に登った。松や柏が薄暗いまでに奥深く茂りあっていて、白雲がたなびく晴天の日さえ小雨がそぼ降るような感じである。
児(ちご)が獄(だけ)という険しい峰が背後にそそり立ち、その深い谷底から雲(き)霧(り)が這(は)い上がると、目の前さえおぼつかない不安な気持ちになる。
木立がわずかに隙(す)いた所に土を盛り上げ、三重の石を築き重ねただけの塚が、野(の)茨(いばら)や蔓草(つるくさ)などに埋もれているのを見たときは、なんとなく悲しくなり、「これがお墓であろうか」とあまりのことに心も真っ暗にかきくらまされ、まったく夢・現(うつつ)とも判然としなかった。