近衛院(このゑのゐん)に禅(ゆづ)りましても、藐如(はこ)射(や)の山(やま) の瓊(たま)の林(はやし)に禁(し)めさせ給ふを、思ひきや、麋(び)鹿(ろく)のかよふ跡のみ見えて、詣(まうで)つかふる人もなき深山(みやま)の荊(おどろ)の下に神がくれ給はんとは。
万乗(ばんじょう)の君にてわたらせ給ふさへ、宿世(すくせ)の業(ごふ)といふもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき出づるがごとし。
終夜(よもすがら)供養(くやう)したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文(きゃうもん)徐(しづ)かに、誦(ず)しつつも、かつ歌よみてたてまつる。
松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり
現代語訳
思えば、目(ま)のあたりにお姿を拝した時は、紫宸殿(ししんでん)・清涼(せいりょう)殿(でん)の玉座で政治(おおまつりごと)をお執(と)りになっていたのを、多くの殿(てん)上人(じょうびと)・公(く)卿(げ)たちは、かくも賢明な君主でいらっしゃると、仰せ言を畏(おそ)れかしこんでお仕えしたことであった。
近衛帝に譲位なされた後も、上皇御所の美々しい宮殿にお住みになっていたのを、そのお方が今は、誰一人としてお参りする人もなく、ただ山鹿の通う足跡のみがわずかに残る、こんな深山の草藪(おどろ)の下に崩御(おかくれ)になっているとは、天子というような身であられても過去の因縁と言うものが恐ろしくつきまとい、前世で作った罪からはお逃れになれなかったのだな、と人の世のはかなきことを考え続けて、涙がとめどなくあふれる。
せめて今宵は一晩中供養申し上げようと御墓の前の平らな石の上に座り、おもむろにお経を読みながら一首の歌を詠みあげた。
松山の…
(松山の波は今も変わらず、寄せては返しているのに、いつまでもお変わりないと思われた君は、今では形(潟)なくお亡くなりになったのですね)