院長(ながき)嘘(いき)をつがせ給ひ、「今、事を正(ただ)して罪を問ふ、ことわりなきにあらず。されどいかんせん。
この島に謫(はぶら)れて、高遠(たかとほ)が松山の家に困(くるし)められ、日に三(み)たびの御膳(おもの)すすむるよりは、まゐりつかふる者もなし。
只天(あま)とぶ雁(かり)の小夜(さよ)の枕におとづるるを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、暁(あかつき)の千鳥の洲崎(すさき)にさわぐも、心をくだく種(たね)となる。烏(からす)の頭(かしら)は白くなるとも、都(みやこ)には還(かへ)るべき期(とき)もあらねば、定(さだめ)て海(あま)畔(べ)の鬼とならんずらん。
ひたすら後世(ごせ)のためにとて、五部(ごぶ)の大乗(だいじょう)経(ぎやう)をうつしてけるが、貝(かひ)鐘(がね)の音(ね)も聞えぬ荒磯(ありそ)にとどめんもかなし。
せめては筆の跡ばかりを洛(みやこ)の中(うち)に入れさせ給へと、任和寺(にんわじ)の御室(みむろ)の許(もと)へ、経にそへてよみておくりける、
B浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音(ね)をのみぞ鳴(な)く
しかるに少納言(せうなごん)信西(しんぜい)がはからひとして、若(もし)呪詛(じゅそ)の心にやと奏(そう)しけるにより、そがままにかへされしぞうらみなれ。
現代語訳
新院は長い溜息(ためいき)をもらして、「汝は今、事の筋目を明らかにして、朕(われ)の罪を責めた。道理がないわけではない。しかし何としようぞ。
この土地に流刑になって、松山の高遠邸に幽閉され、日に三度の食事を届ける以外には、誰一人参り仕えるものはいなかった。
ただ夜の枕辺に空飛ぶ雁の鳴き声を聞いては、都に行くのだろうかと懐かしく、暁の浜辺で鳴き騒ぐ千鳥の声も心を砕きさいなむ憂いの種となった。烏の頭が白くなっても、朕が都へ帰る折はないであろうから、きっとこの海辺の死霊となるにちがいない。
ならば、ひたすら朕が後世を祈らんがためにと、五部の大乗経を写経し終えたけれど、これを貝・鐘の音も聞こえぬ、この荒々しい漁村にとどめ置くのも悲しい仕業。
せめて、わが筆の跡、写経だけでも都の内に入れて給えと、任和寺の門跡の許へ、経に歌一首を添えて送り届けた。
B浜千鳥…
(書き写したわが文字のみは、あの千鳥と同じように都へ辿り着くことができるが、当の自分はこの松山でただ泣き沈むばかりである)
しかるに、少納言信西が処置をはかって、「もしや帝に対する呪詛のお心からでは」と上奏したことからそのまま送り返されたのこそ、恨めしいことであったぞ。