「さりとていかに迷(まよ)はせ給ふや。濁世(ぢょくせ)を厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りこそ、今夜(こよひ)の法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを、現形(げぎょう)し給ふはありがたくも悲(かな)しき御(み)こころにし侍り。
ひたぶるに隔生即忘(きゃくしゃうそくまう)して、仏果(ぶつくゎ)円満(ゑんまん)の位(くらゐ)に昇(のぼ)らせ給へ」と。情(こころ)をつくして諫(いさめ)奉(たてまつ)る。
新院呵々(からから)と笑はせ給ひ、「汝(なんぢ)しらず、近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れは朕(わが)なすこと事(わざ)なり。生(いき)てありし日より魔道(まだう)にこころざしをかたふけて、平治(へいぢ)の乱(みだ)れを発(おこ)さしめ、死(しし)て猶(なほ)、朝家(てうか)に祟(たたり)をなす。
見よみよ、やがて天(あめ)が下(した)に大乱(たいらん)を生(しゃう)ぜしめん」といふ。
現代語訳
「よくここまで参ってくれた」と言うのを聞いて、これぞ崇徳新院の霊魂であると気づき、おもわず地にぬかづき、涙を流して申しあげた。
「畏(おそ)れ多いことでございます。しかしながら、何ゆえ成仏なされずお迷いになっておられますのか。醜悪な現世を逃(のが)れ去られたことが羨(うらや)ましく思われてこそ、こうして、仏縁にあやかるべく今夜はご回向申し上げましたのに、奇怪なご出現は愚僧にとってはありがたいよりは、悲しい御心(みこころ)であります。
どうか一途(いちず)にひたすらに現世への妄執(もうしゅう)を断たれ、円満十分な成仏の高みへ御昇りなされませ」と、心情をこめて諫(いさ)め申し上げる。
新院は声をあげてからからと笑われ、「汝(なんじ)は何も知らぬ。近頃の世の乱れは自分のしわざなのである。朕(われ)こそは生きていた日から魔道に深く心を傾けて平治(へいじ)の乱を起さしめ、死後もなお、国家・朝廷に祟(たた)ろうとするものである。
見ているがいい。もうすぐに、天下に大乱を起してやるぞ」と言った。