つまらぬものでもしまっておけば、いつしか役にたつときがくるということ。
「天災は忘れたころにやって来る」
とは寺田寅彦先生の有名なコトバですが、科学万能の現代でも、天災はある程度の予知しか私たちには与えてくれません。かりに予知できたとしても、それから準備するのでは、時すでに遅しです。要はふだんの心構えが肝心で、このことわざも一朝有事に備えての心構えを訓《さと》したものでしょう。
天災の中でも、いちばん悲惨なものは飢饉で、推古天皇の治政より明治時代までに、わが国には大小二百数十回の飢饉が襲《おそ》っています。原因としては、冷害、霖雨《りんう》、大旱《たいかん》、地震、風水害、蝗害《こうがい》などがあげられ、必ずしも一様ではありませんが、どれも人の災害についての記憶が薄れたころ予告なしにやって来ています。そのせいか、むかしの人(私どもの祖父母や両親たちをふくめて)は、食べものに対して、特に敬虔《けいけん》な気持ちで接し、「もったいない」を連発し、粗略には扱いませんでした。それと言うのも「金を懐《ふところ》にして飢ゆる」飢饉の惨状を、目のあたりにしていたからでしょう。
天明より天保へとつづく大飢饉に、心ある人たちは声を大にして救荒食《きゆうこうしよく》の必要をとなえ、建部清庵は『民間備荒録《みんかんびこうろく》』を、上杉鷹山は『かてもの』を、高井蘭山は『経済教草《けいざいおしえぐさ》』を、大蔵永常は『|日用助食 竃《にちようじよしよくかまど》の 賑《にぎわい》』を、高松芳孫は『敬食微言《けいしよくびげん》』を……と、次々に世に問い、「金銭は世の宝なれども飢て食ふべからず」「質素倹約は人の為ならず、畢竟其身の為也」と説いて、前触《まえぶ》れなき天災に処する救荒の方策を訴えました。これらの本は、一地方、一藩の救済に止まらず広く社会に役立ちましたが、そのいずれにも菜飯《なめし》があげられ干菜飯《ほしなめし》をすすめております。
現代はその点まことにありがたい時代で、政治、経済制度も一変し、交通事情もよくなり、たとえ事がおきても、すぐに救いの手がさしのべられ、最悪の事態をまぬがれるようになっています。そのせいか食べものについての感謝の念が薄れ、八百屋や団地のゴミ箱には、大根や白菜の葉が無造作に捨てられています。秋大根の葉などは、みずみずしく、根よりも栄養分があって、油で炒《いた》めたり、酢みそあえにしたり、即席漬けにしたり、干して油揚げといっしょに煮込めば、結構な惣菜の一菜になります。総じて野菜類は棄てられる部分に、ビタミンなどがたくさんふくまれているのですから、調理するときはムダにしないよう努めましょう。
軒深く釣られて寒き干菜哉 雨意
掛け菜して世を安気なる県《あがた》かな 白雄
都会の人たちとちがって、農山村の人々は、むかしから緑野菜の不足する冬場の用意として、干菜を作りました。山里の家々の軒先につるされている干菜の姿は、寒気に抗しつつ、これを克服しようとする農山村の人たちの心構えの強さを象徴するかのようです。
干菜は取り合わせがよければ栄養価値もあり、おいしいものだし、農山村の冬場の副食だけにとどめず、もっと一般家庭の食生活にも生かしたいものです。
「天災は忘れたころにやって来る」
とは寺田寅彦先生の有名なコトバですが、科学万能の現代でも、天災はある程度の予知しか私たちには与えてくれません。かりに予知できたとしても、それから準備するのでは、時すでに遅しです。要はふだんの心構えが肝心で、このことわざも一朝有事に備えての心構えを訓《さと》したものでしょう。
天災の中でも、いちばん悲惨なものは飢饉で、推古天皇の治政より明治時代までに、わが国には大小二百数十回の飢饉が襲《おそ》っています。原因としては、冷害、霖雨《りんう》、大旱《たいかん》、地震、風水害、蝗害《こうがい》などがあげられ、必ずしも一様ではありませんが、どれも人の災害についての記憶が薄れたころ予告なしにやって来ています。そのせいか、むかしの人(私どもの祖父母や両親たちをふくめて)は、食べものに対して、特に敬虔《けいけん》な気持ちで接し、「もったいない」を連発し、粗略には扱いませんでした。それと言うのも「金を懐《ふところ》にして飢ゆる」飢饉の惨状を、目のあたりにしていたからでしょう。
天明より天保へとつづく大飢饉に、心ある人たちは声を大にして救荒食《きゆうこうしよく》の必要をとなえ、建部清庵は『民間備荒録《みんかんびこうろく》』を、上杉鷹山は『かてもの』を、高井蘭山は『経済教草《けいざいおしえぐさ》』を、大蔵永常は『|日用助食 竃《にちようじよしよくかまど》の 賑《にぎわい》』を、高松芳孫は『敬食微言《けいしよくびげん》』を……と、次々に世に問い、「金銭は世の宝なれども飢て食ふべからず」「質素倹約は人の為ならず、畢竟其身の為也」と説いて、前触《まえぶ》れなき天災に処する救荒の方策を訴えました。これらの本は、一地方、一藩の救済に止まらず広く社会に役立ちましたが、そのいずれにも菜飯《なめし》があげられ干菜飯《ほしなめし》をすすめております。
現代はその点まことにありがたい時代で、政治、経済制度も一変し、交通事情もよくなり、たとえ事がおきても、すぐに救いの手がさしのべられ、最悪の事態をまぬがれるようになっています。そのせいか食べものについての感謝の念が薄れ、八百屋や団地のゴミ箱には、大根や白菜の葉が無造作に捨てられています。秋大根の葉などは、みずみずしく、根よりも栄養分があって、油で炒《いた》めたり、酢みそあえにしたり、即席漬けにしたり、干して油揚げといっしょに煮込めば、結構な惣菜の一菜になります。総じて野菜類は棄てられる部分に、ビタミンなどがたくさんふくまれているのですから、調理するときはムダにしないよう努めましょう。
軒深く釣られて寒き干菜哉 雨意
掛け菜して世を安気なる県《あがた》かな 白雄
都会の人たちとちがって、農山村の人々は、むかしから緑野菜の不足する冬場の用意として、干菜を作りました。山里の家々の軒先につるされている干菜の姿は、寒気に抗しつつ、これを克服しようとする農山村の人たちの心構えの強さを象徴するかのようです。
干菜は取り合わせがよければ栄養価値もあり、おいしいものだし、農山村の冬場の副食だけにとどめず、もっと一般家庭の食生活にも生かしたいものです。