恐ろしき籤くじ
「や、や、や! こ、こ、これは、どうも。……こ、こ、これはどうも……」
ひどいどもりようである。
「そ、そ、それじゃこれが、こ、こ、こんどの一連の殺人事件の、ど、ど、ど、動機だというんですか」
と、びっくりしたのか、うれしいのか、それとも興奮しているのか、むやみやたらと、もじゃもじゃ頭をかきまわしたのは、金田一耕助という小柄で奇妙な探偵さんである。あまり頭をかきまわすので、細かいフケが、きららのように飛んで散乱した。
「畜生!」
と、鋭い舌打ちをしたのは磯川警部だ。それきりふたりは、凍りついたように黙りこんで、手帳のきれはしを見つめている。
金田一耕助はあいかわらず、ガリガリ、ガリガリ、めったやたらともじゃもじゃ頭をかきまわしながら、ガタガタと脚でしきりに貧乏ゆすりをやっている。磯川警部は眼を皿のようにして、手帳のきれはしに書かれた文字を見つめている。紙を持つ手が、アル中患者のようにブルブルふるえ、血管がおそろしくふくれあがって額にはねっとりと脂汗。……
私はそういうふたりの様子を、悪酒に酔ったようなとりとめのない気持ちでながめていた。頭がフラフラして、眼がちらつき、いまにも吐きそうな気持ちだった。全身にけだるい倦けん怠たい感かんがひろがって、見得も外聞もなく、そのままそこへへたってしまいたかった。
ああ、ほんとうにそのとき私は、このままどこかへ行ってしまいたかったのだ。
それは私たち──私と美也子のふたりが、梅幸尼の死体と死体のそばに落ちていた、あの奇妙な紙片を発見してから、間もなくのことだった。
かさねがさねの大きなショックに、私はそのとき、何をどうしてよいのか、さっぱり才覚も浮かばなかったが、女ながらも美也子は、局外者だけにしっかりしていたのか、いったん驚きからさめると、すぐに人をよんで駐在所へ走らせた。
幸い駐在所には、うちつづく怪事にそなえて、昨夜から磯川警部が二、三の刑事と、泊まりこむことになったらしく知らせをきいて、刑事とともに駆けつけてきた。途中、西屋へよってきたとみえて、もじゃもじゃ頭の金田一耕助もいっしょだった。
美也子はそこで、手っとりばやく事情を話すと、死体のそばから拾った紙片を出してみせたが、その瞬間、警部も金田一耕助も全身が硬直するような驚きにうたれたのである。
無理もないのだ。ああ、その紙片に書かれた文字──いったいそれは何を意味するのか。
双児杉 お梅様の杉
お竹様の杉
博 労 井川丑松
片岡吉蔵
分限者 東屋、田治見久弥
西屋、野村荘吉
坊 主 麻呂尾寺の長英
蓮光寺の洪禅
尼 濃茶の尼、妙蓮
姥ケ市の尼、梅幸
そして、以上の名前のうち、お竹様の杉、井川丑松、田治見久弥、蓮光寺の洪禅、姥ケ市の尼、梅幸の名前のうえに、それぞれ、赤インキで棒がひいてあることはまえにもいったが、お竹様の杉をのぞいては、赤インキで抹まっ殺さつしてある名前こそ、ちかごろ、あいついで殺されていったひとではないか。
してみると犯人は、村にある、相似た境遇身分、地位、職業の人間ふたりのうち、そのひとりを殺そうとしているのだろうか。だがそれはなんのためか。
しかし、それもこの表をよく見れば、わからぬこともなさそうな気がする。いちばん最初に抹殺されているお竹様の杉は、人意をもって倒されたのではなく、落雷のために引き裂かれたのだ。しかもそのことが八つ墓村に、不吉な予感をもたらすもととなり、村にみなぎるちかごろの不安はすべてそこから端を発しているのだ。
この事件の犯人は、ひょっとすると、救いがたい迷信から、お竹様の杉が雷に引き裂かれたことをもって八つ墓村に大きな祟たたりのある前兆と考え、さてこそ、八つ墓明神のいかりを鎮めるために、お竹様の杉をもふくめて、八つの生いけ贄にえをそなえようとしているのではあるまいか。しかも、それには、お梅様の杉、お竹様の杉と二本ならんだ神杉の、一本が倒れたことにヒントを得て、村で並立あるいは対立している、ふたりのうちのひとりを殺そうとしているのではあるまいか。
ああ、なんということだ。世にこれほど、奇怪な殺人計画があるだろうか。世にこれほど気ちがいめいた殺人作業があるだろうか。私はなんともいえぬ恐ろしさに、全身に電撃をうけたようなショックをおぼえ、やがて、ショックをとおりこして、しだいに放心状態におちいりつつあったのだ。……
「ああ、いや」
金田一耕助がのどにからまる痰たんを切りながら、やっと口がきけるようになったのは、それからだいぶたってからのことであった。私にはその声が、どこか遠くのほうからでも響いてくるように思われてならなかった。それほど、そのとき、私の精神状態は、うす白く濁っていたのだ。
金田一耕助はこんなことをいっていた。
「この表を見て、ぼくにもやっと、洪禅さん殺しのなぞが解けましたよ。あのときぼくは、毒の入った本膳が、洪禅さんのまえに行くことを、どうして犯人が予知したろうかと思い悩んだのです。犯人が本膳のひとつに毒を投げ込む、──これは造ぞう作さなくやれたでしょう。しかし、その毒入り本膳を、洪禅さんのまえにすえるについては、あの場合、五十パーセントの成功率しかなかったわけです。もっともこれは辰弥君が犯人でないと仮定してですがね。一応、まあこの仮定の上に立って、では、犯人はどうして、そんなあやふやなことで満足していられたのか──そこをさんざん考えつめていくと、どうしても、次のような結論に達せざるを得なくなるのです。すなわち、犯人の殺そうとしたのは必ずしも洪禅さんと限ったことではなかったのではないか。洪禅さんでも英泉さんでも、どちらでもよかったのではないか。……それはいかにもバカげたことです。被害者がAでもよければBでもよい。そんなバカバカしい殺人事件がこの世の中にあるはずがない。……それが昨夜来ぼくを苦しめていた問題なんですが、この表を見るとやっぱり、そういうバカバカしい、なんともいえぬ奇妙な殺人事件であったのですよ。この表で見ると、犯人は洪禅さんと長英さんのどちらかを殺そうとしていた。しかし、長英さんが病気で、弟子の英泉さんが、名代に立ったので、洪禅さんと英泉さんのどちらかを殺そうとした。そしてその結果洪禅さんが、あの不幸なクジに当たったというわけなのです。恐ろしい、実に奇妙な、気ちがいじみた事件ではありますが、これこそ洪禅さん殺しのなぞをとくキイだったのですよ」